マーク IXの後継モデルとして1961年にデビューしたジャガー マーク Xです。
同じ年発表のEタイプにも積まれた3.8リッターエンジンは後にEタイプ同様4.2リッターになり、66年のマイナーチェンジでは420Gと車名が変わります。
60年代に撮影したジャガー マーク Xはこちらをご覧ください。→Jaguar Mark X 1961- -01
ジャガー マーク Ⅶはこちらをご覧ください。→Jaguar Mark Ⅶ 1951-
Jaguar Mark X Tokyo 1989年撮影
Jaguar Mark X Tokyo 1989年撮影
<参考データ>
FR/L6,3.8L/Wheelbase 3,048mm,Length 5,131mm,Width 1,938mm,Height 1,384mm
同じ年発表のEタイプにも積まれた3.8リッターエンジンは後にEタイプ同様4.2リッターになり、66年のマイナーチェンジでは420Gと車名が変わります。
60年代に撮影したジャガー マーク Xはこちらをご覧ください。→Jaguar Mark X 1961- -01
ジャガー マーク Ⅶはこちらをご覧ください。→Jaguar Mark Ⅶ 1951-
Jaguar Mark X Tokyo 1989年撮影
Jaguar Mark X Tokyo 1989年撮影
<参考データ>
FR/L6,3.8L/Wheelbase 3,048mm,Length 5,131mm,Width 1,938mm,Height 1,384mm
M.セイヤーのデザインは見事の一言。ジャグアーデザインはあのジウジアーロもかなわなかった気がします。
T社のデザイナーさんはoriginalのこのMKXを見た事があるのでしょうか?。
最近、嶋田洋書でジャガーの本をめくっていて、60年代の草レースだと思いますが、Eタイプが先頭を走る写真を見つけ、マーク2もそうですが惚れ惚れします。
バブルの頃だったか、ジウジアーロがマーク2の復活みたいなのをプロポーザルし落選、結局それが今のレクサスGSに繋がる初代アリストとなりましたが、あの時受け入れていれば、また状況もと思わずにいられません。
このMark Xは、ちょっとローバーP6と近い印象を受けます。それまでのモデルと比べて、フロントはやたらと近代的になったと思わせる一方でリア周りは前モデルから完全には脱却できていないよう(古風さが残っている)な感じです。
それにしてもこの顔は、後のXJ6やディムラーのリムジンにも採用されましたし長い間英国の顔だったような気がします。
この写真も背景には興味深い車が写り込んでいますね。後に止まっているのはBe-1ですかね?
道路の反対側にはベレットやタイプ2のキャンパー(?)が見えます。
思い浮かべていました。
ケリーはいろんなスポーツカーに乗って最後はローバーP6。
やっぱりこの車に乗って似合う女優は誰なのでしょう。
当時の華やかなりし頃のお話をありがとうございます。
MKXとカプリ2とはずいぶん対照的なクルマですね。
オーナーが逆でも成り立つような気もします。
MK IXと比べるにつけこのデザインの先進性には驚かされます。
後のXJシリーズの方向性を確かなものにしたことは間違いないですね。
おっしゃられているイタルデザインのプロポーザルとはケンジントンのことでしょうか。
このクルマはデザイナー自ら個人の作品と述べておりコンペに参加したわけではありませんが、丸みのある、緩やかなウェーブのついたスタイリングは後のラグジュアリーセダンに大きな影響を与えました。
今のクァトロポルテにすらその影響が垣間見える気がするのですが・・・
おっしゃるとおりこの顔付きは英国の顔でしたね。
このクルマのスタイリングの特徴はサイドビューで全体に前のめりになっている点にあろうかと思われます。
フロント、リアは言うに及ばずドアパーティングまでも・・・
マンガでクルマが急発進、急停車したときの動感の表現として平行四辺形っぽく描かれることがありますが、このクルマのサイドはまさにそれです。斬新です。
イングリッド・バーグマンと聞くとどうしてもあの「不思議なカタチのフェラーリ」が浮かびます。
話は飛びますがこんなローバーを友だちがパリで撮ってきてくれました。まだまだ現役のようです。
http://image.blog.livedoor.jp/hk10123/imgs/5/b/5b9b5af3.jpg
あの頃、というか90年代初頭、アルティオリ・ブガッティーの第二モデル、ジウジアーロデザイン4シーターEB112(?)だったか、あれも素晴らしいデザインでしたので、あの頃を思い出すと胸がいっぱいになります。
赤坂のココパームス、飯倉のキャンティには昔良くかまやつ・ひろしさんが愛車のディーノとミニのカントリーマンで交互に立ち寄っていました。ピンクレディーの末維(碓?)さんが白いコーニッシュコンバチで来てるのを見かけたことも。
表参道では細野晴臣さんがグリーンのローバー3.5Lの後席に座って移動しているのを何度か見かけたことがありますが、本当に彼に良く似合ってました。比較的最近ではタモリさんが420Gを持っていらっしゃるようですね。ああ、それと前に書いたかもですが一度霞町のガソリンスタンでで給油していた時、いしだ・あゆみさんがグリーンのヴァンプラ1300で乗りつけてきて「満タンにして洗っておいてね」と店員に声をかけクルマと同色っぽい玉虫色っぽいグリーンのバーバリーのトレンチコートを肩に引っ掛けて颯爽と去る姿を目の前で見た時は「いかにも女優さんしててお洒落な人なんだなあ」と妙に感心したものでした・
以上「麻布の元自動車少年」の60年代~80年代の当時モノ芸能人の愛車リポートでした!?
もっと昔は前田武彦のアルファ2600、田宮次郎のジュリアの段付き。その前はガルウイング一辺倒でしたね。
外国ではS.マックイーンやJ.コバーン、それとピンクパンサーのP.セラーズ氏らが、Ferrariのルッソに乗っていました。マストロヤンニはLanciaのアウレリアでしたね。
タモリさんのジャグアーは、確かマチャアキが乗っていた車でした。今の芸能人は、クラシックカーイベントがお好きなようで、マチャアキはマセラテイやオスカ、東儀秀樹さんはACと。お金持ちで羨ましいです。
私の亡き父も仕事関係で東宝の映画関係の方とお付き合いがあったんですが、「意外にメルセデスベンツは嫌いだという人が多いんだなあ」とよく言っていたのを思い出します。戦前のアドルフ・ヒトラー、ナチスのイメージなんでしょうか。あとヨーロッパ映画では悪者はドイツ車に乗ってたり、アメリカ映画でもギャングが現れるときには決められたように…。最近はジェームズ・ボンドがBMWに乗ってたりするので大分イメージが良くなったようですけど。
きっとジャガーは昔風に言うと野球のアンチ巨人軍ファンみたいな「アンチ・メルセデス派のマニア御用達のブランド」だったのでしょうね。
マックイーン、コバーン、セラーズの皆さんのマニアぶりは知っていましたが、マストロヤンニのランチアは知りませんでしたが凄く気になりますね。しかしマルチェロ氏もランチアも2枚目ぶりではひけを取らないですから両者のコンビは実にカッコ良かったことでしょう。
ええ?マチャアキさんはオスカもお持ちで?東儀秀樹さんはテレビで見るたびにクルマがマニアックになっていくと思ったましたが308に始まり、ディーノの次はACエースとかコブラなんですか!頑張ってるなあ…。私も羨ましい限りでしゅ。
しかしその反面、幾らでも乗り換えられるだろう環境にいるにもかかわらず1台の車を乗り続けている人とその愛車には興味があります。
タモリ氏のジャガーは古くからお持ちなのではないでしょうか? ジャガーの話を聞いたのは随分と前のことでした。(同じジャガーではないのかもしれませんが・・・)
かまやつ氏のカントリーマンは森山良子さんの所に行ったと聞いた記憶があります。
グレース・ケリーの最後の愛車が確かローバーのP5クーペでした。カーユニックは雑誌の広告でしか知りませんが面白そうな車を多く扱っていたようですね。(カメラマンのお店でしたっけ?)
雑誌の広告で思い出しましたが、作家の安部譲二氏は作家になる前に幾つもの会社を経営していて、その中に某”C”という中古車屋がありました。
以前、安部氏がある作家とテレビで対談していたのを観たことがあって、その作家が若い頃に安部氏の経営するレストランか酒場の常連だった当時のことを振り返ってこんな会話をしていました。
「僕は暫くの間、安部さんがその筋の人だとは知らなかったんですよ。」
「へぇー、そうかい?」
「当たり前ですよ! どこの世界に白いアクアスキュータムのトレンチコート着てローバーに乗っている任侠がいるんですか!!」
「あぁ、アノ”豚っ鼻”のローバーな。乗ってたなー、そんな車にも。」
きっと安部譲二氏が乗っていたのはP5だったのでしょう。
わたしもそうでして、羨ましい反面、あまり興味がわきません。もちろんセンスのいいクルマ好きもいますが・・・
その昔、アラブの大金持ちがオーダーした理由は、人と違うクルマに乗りたい!これが一番の動機だと思っています。それらのFouriSerieのクルマが伝説になってしまうお話と芸能人のお話は同種かな~と。まあ、それも楽しいですけどね。
こちらの掲示板に投稿されている方の方がクルマ好き、マニアだと思っていますが・・・
グレース・ケリー>自分でそういいながら、面白いMerakのお話を現オーナーから聞いたことがあります。
外装白、通常メッキであるバンパーも白、内装はダッシュボード含め全て白のピッグバックスキン、白色が大好きだった彼女からの特別オーダーだったそうな・・・
私は「この不思議なカラーリングを持つ1stオーナー誰だと思う?」と質問された。→もちろん判るわけないって!!
芸能人がらみでひとつ、パワー全開だった頃の織田○道さんと狭い道ですれ違ったことがありました。残念なことにカウンタックではなくただのセルシオでしたが。
marqueさんのバンパーまで白いメラクのお話、興味深いですねえ。どんな風に見えるんでしょう。もし写真を撮っておられるのでしたらいつの日にか見たいものです。