1970年の東京モーターショーにベレット MX1600とともに展示されたいすゞ ベレット R6 スパイダーです。
同年9月に富士でレースデビューし、10月の日本オールスターレースでは優勝を果たしました。
前年の日本グランプリに出場したベレット R6はこちらをご覧ください。→Isuzu Bellett R6 1969
Isuzu Bellett R6 Spider Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影

<参考データ>
MR/L4,1.6L/Wheelbase 2,300mm
同年9月に富士でレースデビューし、10月の日本オールスターレースでは優勝を果たしました。
前年の日本グランプリに出場したベレット R6はこちらをご覧ください。→Isuzu Bellett R6 1969
Isuzu Bellett R6 Spider Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影

<参考データ>
MR/L4,1.6L/Wheelbase 2,300mm
http://987.blog.so-net.ne.jp/2006-01-12
i
suzuとghiaの時系列はこちらに。
http://987.blog.so-net.ne.jp/2008-02-27
コンテッサ~サムライを諦めたヒノに比べると過激で
花があって夢もありますね。
グループ6なんて言葉は久しぶりに見かけました。
日本初のGT、量産DOHCを積んだメーカーの誇りはすさまじい
ものがありますね。
いすゞが一番外国車っぽい会社だったのも、あれから30年
経ち、アルファやロータスをたやすく口にするようになって初めて
僕らは理解しいすゞに追いついたのではないでしょうか。
浅岡重輝さんの名前も覚えています。近年各地のクラシックなイベントに
出場されていますが奥様も上品な貴婦人を思わせる方で、最近の芸能人の
クラシックカーに群がってるのより、浅岡さんの姿と出で立ちを
見られただけで、その日はよい一日だったと思ってしまいます。
ご紹介いただいたページをあらためて読ませてもらいましたが、綿密に書かれていていつもながら勉強になります。ありがとうございます。
さらりと書かれていますが、36年ぶりに同じクルマ、同じドライバーの走りを見るなんて、スゴイことですよね。
まさにタイムスリップしたご気分ではなかったのでしょうか。
60年代、前にも書きましたがベレットGTはまさに和製アルファでした。
御三家としての矜持はただならぬものがあったことは想像に難くありません。
しかし相変わらず辛口で・・・そのスタンスはずっと続けていただきたいものです。
そうですね。全く事前情報無しで見たときには一瞬,息を呑みます。今年のJCCA New Year MeetingでR6 Coupeを見たときがまさにそうでした。1969年の日本GP以来でしたから40年ぶりとした。
貴重なマシンをきちんと保管しているオーナーの方々に感謝しています。
当時はニッサンが「羊の皮を被ったオオカミ」とスカイラインを強力に売り込み、そしてトヨタが自慢のヤマハのツインカムエンジンを前面に「名ばかりのGTは道を明けろ」と過激な広告コピーを掲げしのぎを削っていたものですが、いすゞは物静かに淡々と好ましい洒落たクルマを送り出していましたよね。
どことなく上品でありながらメラメラとマニア心を忘れずに先駆の情熱に溢れたクルマ造りが今になって評価されていることは掛け値なしに凄いとぼくも思います。
他社ではあり得なかったイタルデザインやモモ、レカロさらにはイルムシャーやロータスといったブランドとの(今風に言えば)コラボレーションを前面に押し出したのもいすゞが最初でしたね。
世界最大のメーカーだったいすゞの大旦那GMの凋落、ワゴナーの引責辞任など誰も想像できなかったけれど、それより何よりまるでおもちゃ箱のようだった藤沢工場で生まれた12気筒エンジンを搭載したF-1マシンや450GT、ミッドシップのスポーツカーが陽の目を見なかったのが自分のことのように悔しくてなりません。
まったくもっておっしゃるとおりです。
外野であれこれ言いながら見て楽しむのはお気楽ですが、それも団体やオーナーさんたちの努力の上に成り立っていることに感謝しなければ・・・
他の国産メーカーとは一味違ったクルマ作りに共鳴する方々が当時確実にいらっしゃいました。
乗用車からの撤退は残念でした。