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最愛 ~映画『容疑者Xの献身』 鑑賞記~

2008年10月19日 22時55分01秒 | いろいろ



今日は所用もあり、ららぽーと柏の葉まで行っておりました。
そのついでといっては何ですが、映画『容疑者Xの献身』を観てまいりましたので、ちょっとばかり感想文などを書かせていただきます。

とは言っても、これから観にいかれる方もいらっしゃるかもしれませんので、ストーリーには極力触れないように簡単に書かせていただきますけどね。




原作は、映画タイトルと同じで『容疑者Xの献身』(東野圭吾 著)。 テレビドラマ好きの方なら昨冬放送していた『ガリレオ』の映画版と思っていただいた方が良いでしょう。

東野圭吾が書かれているガリレオシリーズ『探偵ガリレオ』『予知夢』、そして今回の『容疑者Xの献身』では、ドラマ版や映画版で出てくる主人公の一人、内海薫(柴崎コウ)は出てきません(他作品では出てくるらしいです。)。
柴崎コウがやっている役柄がドラマ版の時、私にとってはちょっと邪魔、というや余計な役だった感じだったのだけど、今回の『容疑者Xの献身』ではあまり大きく扱われなかったこともあり、あまり気にならずに観ることができたのは良かった。 あまり内海薫が出しゃばるような場面がなく、主役と言うよりも脇役の中のメインキャラクターという感じになっていたのが却って功を奏したのかもしれない。


あ、ちなみに、私は映画を観る前に小説は読んでいません。
予習、という意味合いで読んでも良いのだけれど、先入観というか世界観が出来てしまうのが嫌だったので。
「あ、この次はこういう展開になるんだよな~」とか「小説と違うじゃんか。無理に演出してやがるな。」とか思いながら観ると、純粋にストーリーや役者の演技にのめりこむことが難しくなる。 だから、小説との違いとか比較による批評は書くつもりはありませんのであしからず。



この映画の見所といえば、堤真一の演技でしょう。



福山雅治が演じるガリレオ・湯川学と大学の同期で、天才数学者である石神哲也を演じていたのが堤真一。
天才数学者でありながらも諸事情があり、学者(研究者)の道に進めず高校の一数学教師となって生活していた石神のわびしさや孤独さ。 そしてそんな環境でも数学の研究を続けている意固地さみたいな面を見事に演じている。
そして、映画が進むにつれて、表情には表わさないながらも変わっていくさまざまな心情変化を表現している。



事前情報を全くインプットしない中で観ているので、この指摘が当たっているのかは全くわからないけれども、この映画に存在するテーマは『愛』だと思う。

『愛』といっても、異性を好きになるという愛だけではない。
この映画の中には、少なくとも「異性を想う愛」「家族を想う愛」、そして「感謝からくる愛」の3つはある。 たぶんもっともっと多くの愛が含まれているのだと思うけれど、私のすさんだ心でもこの3つは強く感じた。

これらの愛が、殺人事件を解決していく中で、非常に重要な要素を占めている。
単なるミステリー映画や推理サスペンス映画という観点でみたら、いくつか抜け落ちている点があると思うのだけれど、そういった抜け落ちている点をカバーするだけの奥深い表現・心情が表現されていた。

その愛の表現は、ほぼ全て堤真一が演じている、と言っていいと思う。
石神がとっていた行動の一つ一つに意味がある。 一つ一つの言葉にも意味がある。 そして、石神が映し出されている中に映る背景にも、一つ一つ意味がある。 

この映画の主題は、福山雅治が作詞・作曲した『最愛』(KOH+)だけれども、福山雅治がどうしてこのタイトル、そしてこの歌詞にしたのか、ということが、非常に納得がいった。




改めて小説でも読んでみたいけれども、改めて作品の奥に隠された意味を考えながら、再度観てみたい映画だった。




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