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10/13-1 : 【08総括】 投手編2~新劇場開幕 中継ぎ・抑え~

2008年10月13日 22時00分01秒 | 08総評
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前回の【08総括】 投手編1~先発崩壊~に引き続き、中継ぎ・抑え投手編の私的総評をお送りさせていただきます。

先発編の時にも書きましたが、開幕始まるまでの課題だったのは、薮田・藤田・雅英の3人が一気に抜けた中継ぎ・抑えの穴を埋められるか、という点でした。 
YFKなんていう言葉はどうでも良いとして、中堅からベテランになろうか、という投手が一気に3人いなくなり、トレードでもないからその替わりになる投手が入ってくるわけではない。 単純に常時1軍で投げることができる中継ぎ投手が新たに3人以上必要となる、という点は確かでした。 その手段としては、トレード、新外国人投手、2軍投手の抜擢・成長、新入団投手、の4通りからキャンプなどで見極めながら、登用していくしかない。

実際に開幕までにどのような動きになったかと言えば、新外国人投手としてはアブレイユ43を獲得し、シコースキー49が復帰。 新入団投手としては、服部20、根本28、伊藤30、下敷領24という4名の投手を大社ドラフトで獲得。 トレードはありませんでしたし、昨年の2軍投手で開幕時に1軍枠を獲得するような投手はなし、といった状況でした。


ボビーはオープン戦時には「当面、特に抑えが誰かは固定せずに起用していく」という報道が出ていましたが、実際にシーズンインすると、抑えには荻野0が固定。 川崎12がキャンプで怪我したことで若干開幕に間に合わなかったこともあり、所謂『勝利の方程式』としての抑えの前、セットアッパーは固定されず。 シコースキー・アブレイユ・川崎、時には高木48がその位置を務めていました。
 
結局、3つの椅子が空いた中継ぎ枠には、シコースキー、アブレイユ、そして新人から伊藤30が最後の枠を取る形となりました。
まあ、本来はいなくなった人の枠を取るだけでなく、すでにいる人(例:小宮山14・高木の「Around40枠」)から奪い取る、という投手がいて欲しかったんですけどね。 唯一、4・5月には「左腕枠」の高木・川崎の不調から、新人の根本28が1軍で頑張ってくれましたが、結局は奪い取るまでにはいきませんでした。





前置き的な話が長くなりました。
それでは2008年の中継ぎ・抑え投手達はどうだったのでしょうか。 私的な総評としては「2007年 < 2008年 < 2005年」といった感じでしょうか?

2005年及び2007年はともにレギュラーシーズンは2位の年です。 今年は4位ですから、中継ぎ・抑え投手陣だけみれば2位相当の活躍はできたのではないか、と思っています。
もちろん、それは1年間通しての結果として、ということであり、今年の場合は非常に深い暗黒の底へ落ちた時期がありました。 暗黒の時期とは、先発編でも少し述べたように、5~6月にかけてのGW~交流戦まででした。 先発陣の崩壊により、中継ぎ陣の登板過多を招き、この時期に「何点リードしていても勝てる気がしない」という状態にまで陥ってしまいました。
先発投手陣含めた「投壊」の時期の長かったため、チームは4位となり、チーム防御率がリーグ最下位となってしまった、ということなのでしょう。


ここで主要な救援投手の月別の登板試合数と防御率(失点・自責点)を書いてみます。




 0 荻野  【58試合 2.45 58回2/3 19失点 16自責点】
   3月 4試合 0.00(0、0) → 4月 7試合 5.40(4、4) → 5月 9試合 0.96(4、1)
   6月 6試合 3.00(2、2) → 7月 9試合 1.80(2、2) → 8月 9試合 3.00(3、3)
   9月12試合 3.09(4、4) →10月 2試合 0.00(0、0)

12 川崎  【65試合 3.00 60回 24失点 20自責点】
   3月 3試合 0.00(0、0) → 4月 8試合 2.45(2、2) → 5月11試合 5.79(7、6)
   6月 8試合 4.70(4、4)
 → 7月13試合 0.73(1、1) → 8月 8試合 1.42(4、1)
   9月11試合 4.76(6、6) →10月 3試合 0.00(0、0)

49 シコースキー 【54試合 2.23 48回1/3 15失点 12自責点】
   3月 3試合 6.75(1、1) → 4月 9試合 1.04(2、1) → 5月 4試合 5.40(4、3)
   6月11試合 5.19(6、5)
 → 7月 8試合 2.70(2、2) → 8月 5試合 0.00(0、0)
   9月12試合  0.00(0、0) →10月 2試合 0.00(0、0)


30 伊藤 【51試合 3.05 59回 24失点 20自責点】
   3月 3試合10.13(3、3) → 4月 8試合 2.70(3、2) → 5月 8試合 4.82(7、5)
   6月 8試合 2.61(3、3) → 7月 9試合 3.52(4、3) → 8月 6試合 3.86(3、3)
   9月 7試合 0.93(1、1) →10月 2試合 0.00(0、0)
  
48 高木 【43試合 3.54 28回 11失点 11自責点】
   3月 3試合 0.00(0、0) → 4月 5試合 6.75(2、2) → 5月 7試合 4.05(3、3)
   6月 7試合 4.91(2、2) → 7月 6試合 9.82(4、4)
 → 8月 9試合  0.00(0、0)
   9月 6試合  0.00(0、0)   

14 小宮山 【33試合 5.72 39回1/3 29失点 25自責点】
   3月 2試合 2.70(1、1) → 4月 5試合11.57(12、9) → 5月 5試合10.80(4、4)
   6月 2試合 0.00(0、0) → 7月 4試合 2.16(3、2) → 8月 8試合 3.72(4、4) 
   9月 6試合 7.36(3、3) →10月 1試合 9.00(2、2)





6月くらいまでだと、アブレイユ43と根本28も頻繁に試合出場していましたが、アブレイユの5月は8試合登板で防御率4.00(4失点、4自責点)で、根本はチーム最多の13試合に登板し防御率5.14(5失点、4自責点)となっています。


年間通してほぼ1軍にいた6人の中継ぎ投手に5月までは1軍で登板していた2人を入れても、ほとんどの投手が5・6月に成績が悪化してしまったことがわかります。
特に、本来は荻野につなぐための勝利の方程式側セットアッパー2人(川崎、シコースキー)が崩れ、対左打者のワンポイントである高木が離脱、代役・根本も4月の好成績(8試合 防御率1.23、1失点のみ)とは全く逆で制球難から沈む。
負けている展開で、少しでも相手打線の勢いを止めておかなければならないはずの小宮山は防御率二桁で論外でしたし、伊藤も制球難がひどくなり止められず。

本当に酷い状態でした。
昨日の記事で記載したように、3・4月の段階で先発投手が33試合中11試合で6回ももたず降板し、中継ぎ投手を4人以上使わざるを得なくなった試合が8試合もあった。
結局、その登板過多状態の影響もあったのか、ほとんどの中継ぎ投手達が5-6月に調子を大きく落としてしまうことになり、さらには、先発投手達も5月には5回さえ持たない試合が10試合もあるという、投手総崩壊状態になってしまった。。。



 


ただ、先発投手陣と同様、やはり悪いことばかりではなかったですよね。
7月以降には荻野は劇場型ながらも安定し、川崎も9月の4試合を除いては昨年同様の安定感を増し、シコースキーと高木に至っては8月以降無失点!
小宮山は防御率的にみると酷いけれども、満塁のピンチで登板すると神がかりなピッチングをみせて抑え、制球難で「スナイパー」の異名を得る寸前だった伊藤も9月からは「ビハインドの王子」と呼ばれるほど、見事な負けゲームでの火消し役を勤めあげました。

他にも、5月以降は制球難から力を出せなかったけれども4月の成績をみれば、十分にプロでも通用することがわかった根本。 そして、今年はきっちりプロ初登板を果たすことができただけでなくプロ初勝利を挙げることもできた松本45。 中継ぎで川崎に続き、高木の座を虎視眈々と狙える可能性がある左腕投手が出てきました。 

あとは、中郷38・相原53といった右腕の中継ぎ投手が小宮山の座を奪えるようになってくれていればもっと良かったのですが、この点が一番心残りですね。




        




ここまで書いて「2007年 < 2008年 < 2005年」に関することをが一つもないことに気づきました。
だから昨日、このエントリーをアップすることを止めたのですよ。 これじゃあ、全然最初に書いたことの根拠書いていないですからねぇ。

せっかくですから、マスコミの皆様や野球解説者の方々が散々書かれていたYFKとの比較をしてみましょうか。
YFKと書きますが、役割的には左右のセットアッパーとクローザーの3人。 いわゆる『勝利の方程式』を担った投手達が2005年、2007年、そして今年(2008年)とどう違ったのか、を簡単に一覧表にしました。







全項目を比較してはいませんが、赤くなっている数字は3年間で最も良い数値、青くなっている数字は一番悪い数値になっています。
各役割(右・左・抑え)で最も良かった・悪かったものに色づけしています。 人の名前のあとにあるのは、3人の合算数値です。


もう明らかですね。
2007年のYFKよりは遥かに良い、ということがわかります。 完全に壊滅状態だった藤田を除いて薮田と小林雅だけにしたとしても、荻野が小林雅の奪三振率において劣っていただけで、その他項目は全て上回っています。

今年は与四死球数が多かった、というコメントを前回エントリー時にスバルさんから頂いていました。
なので、ちょっと計算してみました。 被安打数が少なかったり投球回数がもっと多かったりしていたので、被安打数+与四死球を合わせた数値で算出してみると、少なくとも2007年よりは遥かに出塁を許していないことがわかりました。 特に荻野あたりがカウント0-2スタート、というイメージが頭に残っており、今年の方が出塁される割合は高いんだろうなぁ、と思っていましたが、算出してみたら意外な結果がでました。 

こうしてみると、やはり「YFKが抜けた穴が大きかった」という論調は間違っているんでしょうね。




ただ、2005年と比べてみると、これはやはり2005年の方がやや優勢であった、ということも確かでした。
考えてみたら2005年といえば「球界再編騒ぎ」の翌年であり、Gイーグルスが全ての球団にとってのお客様だった年でもありました。 だからこの年の成績が全般的に良いのは、ある意味当たり前なのかもしれません。

それでも、クローザーの荻野と2005小林雅を比べてみると、今年の荻野は十分に役割を果たせていたということがわかります。
1投球回あたりの出塁率でみても、実は2005年及び2007年小林雅の『劇場』値よりも低い値である、というのも、改めて計算してみてわかったことでした。

数値的にみても、マリーンズに新劇場が開幕した年、ということでしょう!
(劇場はいいから、防波堤になってくれよ・・・、というのはごもっともなご意見でございます。





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次回は、攻撃編、にしようかと思います。
が、まだ全くデータ的なものは集計していないので、何日か空くかもしれません。。。
なので、明日は~ごまかし企画~になるかも