私にはこれらの写真の凄さはよくわからない。史料的価値はもちろんあると思うが…痩せた馬はいるけど。100年少し前、日露戦争の頃だろうか、のアメリカ、ウィスコンシン。 flickr.com/photos/whsimag…
そもそも読者に詩人を理解する義務があるのでしょうか、あるいは詩人に読者が理解できるように書く義務があるのでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」
「もしドラ」は売れないと思っていた(ドワンゴ川上会長) business.nikkeibp.co.jp/article/interv… 意外だったが、岩崎夏海と川上量生は同い年だったんだ。宮崎五郎は一つ(2学年)上。1968年世代。
スペインの「ハポン」400年経てDNA鑑定へ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) yomiuri.co.jp/national/news/… 10世代以上昔の話だが、どのくらいの確度でわかるのだろうか。
いいコラム。想像したらちょっと泣いた。 RT @tospowebstaff: タモリさんに国民栄誉賞を | プチ鹿島のソースは東スポ! tokyo-sports.co.jp/blogtalent-p-k…
パフォーマー数と視聴者数の適切なバランスを取るためにニコ動ではパフフォーマンすをするためのハードルを高くしている、という発想は目から鱗。『ルールを変える思考法』本当にルールを変えてるなあと思う。ネットは全員表現者みたいな思想があったからなあ、昔は。
私は中学時代に比べ、小学校時代と高校時代の方が圧倒的に楽しかった。まあ一番楽しかったのは大学だけどね。遊びすぎた。
サービス、エンタテイメントを提供する側の考え方として、振られる前に振ってしまう、つまり飽きられる前、まだ熱中する人がいるうちに次のサービスに移行してしまう、という考えがある。『ルールを変える思考法』もうなんというか脱帽、みたいな。すごく刺激的。
好きな作者や作品とかには、声をあげて応援したり感想を投げたりしたほうがいいです。
反応が無くて、作者が「誰にも見てもらえない…創作活動辞めよう」となってから
「え~。好きだったのに~><」と言っても遅いです。
一言の応援や感想でも物凄い力になるんです。
学生がレポートをネット情報のコピペでつくる、という現象は明らかにネットの発達により人間の思考力を衰えさせているという一つの実例だな。
ネットの発達は、それを利用して勉強しようという学生と、それを利用して勉強しないで済ませようという学生の二極化を促したことは確かなんじゃないか。
あらゆる面で二極化が進んでんだよなあ。文明の利器を積極的に(発展進歩のために)利用するか消極的に(努力を節約し実力をつけないで過ごすために)利用するかで。
もちろん、一人の人間の中でそれが共存するということも多いだろう。専門はバリバリやるがそれ以外はコピペで済ますとか。
限られたリソースをどう使うかを選択する幅がかなり増えたことは確かだ。それに現実の制度面が対応してないというべきなんだろう。
黄色:法律によって無神論者の権利が減じられる国
オレンジ:法律によって無神論者が投獄される国
赤:法律によって無神論者が処刑される国
pic.twitter.com/nDWlzZ8a3Q
※ラオスは誤りと思われます washingtonpost.com/blogs/worldvie… …
川上量生『ルールを変える思考法』:コンテンツとは何か、という問いに対する目の覚めるような答え buff.ly/HgtAfU "Feel in my bones" #ブログ書きました
絶滅危惧種のツシマヤマネコを内緒で15年も飼っていて老衰で死なせた人が環境省から厳重注意されたのち、むしろ飼育の参考になるとして飼育状況を詳しく聞かれている話すごく良い