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何故神社にお寺が有ったのか?の回答

2014-04-10 21:00:00 | 高次元存在からのメッセージと彼らの事
「どうして昔は神社で神様と仏様が一緒に祀られていたのかな?」と言う事を考えていたら、当時の事を知る我が家の神様方から回答を頂きましたので、こちらで公表させて頂きます。

まず、仏教伝来の頃一時迫害をされたのは学校で教わる日本史として皆様ご存知かと思いますが、日本の神々がうちのツインの事を知っていたように、高次元の世界でも目立つ存在は一見すると何の関係もないような他国の高次元同士でも噂で聞いていたりします。
で、当時バラモン教を高次元方式で攻め落としていた仏教と言うのは当時の高次元の間では警戒するべき存在とされていたんだようです。
挙句、ツインいわく『吸収合併された会社の社員は、今までの習慣を変えさせられたりしても文句が言えないのと同じ事。』なんだそうで、高次元の世界でも一度取り込まれてしまうともう相手方に従うしかないんだようで、バラモン教の二の舞になる物か!と日本に仏教が来た時日本の神々は警戒心から排除しようとする動きをしていたんだそうです。

それが、飛鳥時代位に有った仏教弾圧。
早い話が、当時日本の神々と仏様の間で小競り合いが有ったんですね。

しかし、排除しようとしている内に、仏様は元々平和主義で戦いは好まない=実は悪い奴じゃない。と言う事を多くの神々が気付き始め、バラモン教を吸収していた影響で多数の高次元が所属している組織である。と言うのを自分達と同じかもしれない。と解釈し、仏教との間で人間で言う代表者会談のような事をした事が有るんだそうです。

で、その時の日本側の代表と言うのが出雲大社でおなじみの大国主命で、我が家の神様は彼の後ろに鎮座し、事の顛末を見守る神々のとしてその場に居合わせていたんだそうです。
で、仏教側も同じように代表者を先頭に、後ろに多くの仏様方を控えさせていたんだそうです。

で、ワタリの脳内に送り込まれたイメージから推測するに、当時こう言うやり取りが有ったんだようです。

大国主命(以下大)→『お前達、本当は戦いたくないのであろう?』
仏教→(以下仏)『はい。もう戦いたくありません。』
大→『どうして日本に来た?』
仏→『実は・・・・・(ワタリには聞こえませんが、気配から察するに日本に布教に来た理由を説明しているようです)』
大→『なら、我々の神社の敷地を使うと良い。』
仏→『!?!?!?!?(バラモン教の時戦ったので、まさかの急展開にすごく驚いています)』
大→『(仏様の後ろに控えている方々を差して)そこにいるのはお前達の神々だろ?我々と共通点も有るし我れの敷地を使えばお前達も布教がし易いだろう。さらに我々は黄泉に関しての説明を人間達にどうしようか困っていたのだ。ちょうど良いからお前達あの世について説明をしてくれ。(当時、すでに閻魔様の存在は有り、冥府に関する観念を日本の神々以上に明確に持っていたんだようです)』
仏→『解りました!』

そう言う訳で、人間が神社とお寺を別々に建てると言う取り決めをするその日まで、神社では間に合わない教えを担当する役割をする代わりに布教をする許可をもらった。と言うのが神社の境内に神社にお寺が有った理由なんだそうです。

そう、まるで大手スーパーに入るテナントのようなものですよね(笑)

ちなみに、日本の神様方は本当に敵意が有ったり悪意の有る存在には容赦しません。
警戒している間は話す事すらせず、本当に警戒心だけをむき出しにしてきます。
しかし、その代わり実はそうじゃない。敵意も悪意も本当は全然ない=本当は悪い奴じゃなかった。と言う事が解るとあっと言う間に態度を軟化させ、神様としての品位は保ちつつも非常に砕けた感じになります。

この変わり身の早さをツイン達ヨーロッパ系の高次元は『愛だ!』と言って喜びます(^^;)

まあ、キリスト教に関しては仏教と被っている上に一神教で虐げ大好きですから、日本の神々は仏教の時のように布教を全面的に認めていると言う感じは無いのですが、本当重々有りえる理由なので、ワタリとしては非常に納得していたりします。

まあ、これらの結果日本では本当は生まれてから死ぬまで神社で儀式は出来るのに、お寺でも結婚式は出来るのに、お葬式以外の全部は神社で取り行い、冥府担当なせいか冥府感が一番強いお葬式はお寺。となってしまったのかもしれず、それが仏教を布教させるに当たり仏様方が払ったお代で有り、役割分担する事で仏教と神道は仲良くしているのかもしれませんが。

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