爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

遍路道6(大和慰霊碑を求めて)

2020-05-10 14:48:38 | 日記
この写真は、戦艦大和沈没の説明でよく使われる「鹿児島県坊の岬」です。

本文ではこうなっています。
昭和20年4月7日午後2時23分
鹿児島県坊の岬南西沖約120浬
(1浬かいり1.852km 222.24km)にて沈没すると。

まず坊の岬をナビで設定し、灯台近くまで行く事にしました。

国道からの進入です、道幅がとても狭く、軽自動車でもまともに離合できない程の道でした。
たまたま地元の方でしたか、出会い頭の同じ軽自動車でしたが、カーブの膨らみで避けて頂きました。
ついでに、窓を開けて大和の慰霊碑の事を、聞いてみました。
「ここじゃありませんよ。市内の方に戻って下さい。火ノ山公園ですよ」と親切に教えて頂きました。

20分ほど戻ると、道路脇に案内を見つけました。
駐車場から丘に登ると、小さな慰霊碑が有りました。
毎年、大和沈没の4月7日に、海上自衛隊の方による慰霊祭行われていると、案内に有りました。

この場所から遙か沖合い200kmあまり。見える筈も有りませんが、第二艦隊総員6000名以上の戦士達が、艦船と共に沈んだ海を見つめ、「お疲れ様でした。ありがとうございました」と心の中でつぶやき、最敬礼し、帰路につきました。

ちょっと、悲しかったです。








遍路道閑話5

2020-05-10 09:29:29 | 日記
私のプロフィールの中で、元坊主との説明は、60歳定年のサラリーマンだったからです。
現在はアルバイトです。
お寺のご住職やご子息ならば、定年制は無いんでしようが!?



私は決して偉くないんですが、
どの業界のお偉い方々は、とかく叩かれがちですよね。それも身元を明かさない人達に。

その昔の人達は、戦場で敵と対峙した時に、「やぁやぁ、我こそは、どこそこの住人、なんのなにがしなり~!」と、現在なら狙い撃ちされて、ひとたまりも無いんでしょうが!?

それが男らしさとか、九州男児とか言うのなら、私には捨て難い、大切にしたい感情ですね。

世間にはよく居ますよね。
文句は言うのに、隠れてこそこそ言う奴が。

言うなら正々堂々と、前面に出て言えやって奴。

嫌ですね。こそこそする奴は。

まぁ、その人の価値観なんでしょうから、いろいろは言えないんでしょうね。

でも、言ってます!











遍路道6

2020-05-10 07:58:41 | 日記
この写真は「秩父観音霊場」4番札所の模様です。

古い小さなお堂の前で、赤子にお乳を与えている観音様です。

母性を感じますね。

お観音様は正しくは観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)と言います。

但し、どの菩薩様も性別が無い、男性でも女性でもないと言います。

また魂の階位で、下から地獄・餓鬼・畜生・修羅(阿修羅)・人(人間)・天(天部)・声聞・縁覚・菩薩・仏(如来)の十階が有ります。

上から二番目が菩薩様です。

この菩薩様の立場と役目、上求菩提(じょうぐぼだい・上の如来様を目指し修行する)・下化衆生(げけしゅじょう・一般の庶民も導き助ける)という、大変忙しい立場と役目なんですね。

似てませんか、私達人間と。