爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

遍路道3

2020-05-04 16:11:04 | 日記
今年は閏(うるう)年で、四国霊場は本来逆打ちの年ですが、私は昨年に済ませていました。
順打ちの時はツアーで行きました。
JR博多駅に指定時間に集合、添乗員が社旗を高く掲げ、それを目印にぞろぞろと付いて行く、というあれです。

ツアーで行けば至れり尽くせりで、札所から札所まで不自由なく運んでくれます。それこそ任せっきりのお大尽気分ですね。

ところがお遍路さんを一度経験すると、こんな旅行気分でイイんだろうかと、昔の人達は必死の思いで、お遍路をしたはずだと。

高浜虚子の句に「みちのべに阿波の遍路の墓あわれ」が有ります。

昔は白装束は死に装束、金剛杖は墓標のかわり、差した短刀は自決用、と伺った覚えがあります

現在は簡単にバスや車で、次から次に札所を打って廻ります、が、昔の人達は必死の思いで廻っていたんじゃないかと。

よくお遍路のバスの中から「歩き」で廻る方達をお見かけします。
頭が下がります。
その方達への後ろめたさ、なんでしょうか。

ここまで言うと、考えすぎなんでしょうが。

その人なりで良いんだと、自問自答してしまいます。

そこで、逆打ちは自分の車で、自分の力で廻る事に決めました。