今年は閏(うるう)年で、四国霊場は本来逆打ちの年ですが、私は昨年に済ませていました。
順打ちの時はツアーで行きました。
JR博多駅に指定時間に集合、添乗員が社旗を高く掲げ、それを目印にぞろぞろと付いて行く、というあれです。
ツアーで行けば至れり尽くせりで、札所から札所まで不自由なく運んでくれます。それこそ任せっきりのお大尽気分ですね。
ところがお遍路さんを一度経験すると、こんな旅行気分でイイんだろうかと、昔の人達は必死の思いで、お遍路をしたはずだと。
高浜虚子の句に「みちのべに阿波の遍路の墓あわれ」が有ります。
昔は白装束は死に装束、金剛杖は墓標のかわり、差した短刀は自決用、と伺った覚えがあります。
現在は簡単にバスや車で、次から次に札所を打って廻ります、が、昔の人達は必死の思いで廻っていたんじゃないかと。
よくお遍路のバスの中から「歩き」で廻る方達をお見かけします。
頭が下がります。
その方達への後ろめたさ、なんでしょうか。
ここまで言うと、考えすぎなんでしょうが。
その人なりで良いんだと、自問自答してしまいます。
そこで、逆打ちは自分の車で、自分の力で廻る事に決めました。