爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

一休さん

2020-05-14 10:40:50 | 日記
私の娘達が小学校低学年の頃、30年余り前です、テレビ漫画の「一休さん」が放映され、娘達が喜んで見ていたので、私もつい見ていました。

頓知(とんち)の一休さん、その人ですね。

臨済宗(禅宗)のお坊さんです。
一休禅師「宗純」と言います。
宗教界でも、必ず師匠と言われる人に付き、教えを請い、修行を積んで行きます。

当時の一休さんの師匠は、年長ゆえか、師匠の死亡なり引退なり、または配置換えで、数名の師匠に師事した様です。

現在でも、教団の中で必ず派閥が生じてしまいます。
思想の違い、教えの解釈の違い、そして人間関係等で、人はつるんで行きます。

一休さんの出自は謎と言われています。
一説には後小松天皇のご落胤(らくいん)とも言われ、それぞれ天皇にも召されて、意見を求められています。

そういう一休さんですが、跡目相続の騒動に巻き込まれます。

派閥の頭領相手に罵倒する歌を残しています。

名誉欲が強かったかどうかは、判りませんが、身体は健全な男性です。

当時お坊さんは妻帯が許されない時代でしたが、当然性欲が募ります。

一休さんは性欲を否定する事を良しとしなかったのでしょう。
悟りの妨げになるとも、思ったのでしょうかね。

周囲を気にせず、女犯した様です。

現在の妻帯は当たり前の事ですが、当時の一休さんの行動は画期的でした。

ただし、浄土真宗中興の祖と言われる、蓮如さんと交友が有った様ですので、その影響も有ったのでしょうか。
親鸞さんが妻帯されていたからですね。

また放浪中なのでしょうか、剃髪もせずに髭を伸ばした肖像も残されています。

師匠が亡くなり、自殺を考えていた事もある様です。

真理や悟りを求めて、放浪を続けていたんでしょうか。

自分の息子と一緒に住んでいた史実もある様です。

ちゃんとした文書で残されている訳ではないので、推測に過ぎませんが。

着飾った一休さんの肖像も残っています。
晩年、亡くなる7年前に大徳寺住持(住職)を務めています。

文明13年(1481)11月
88歳で亡くなりました。

頓知の効く心を持った、お坊さんの一休さん。

立派なお坊さんだったと、私は思っています。