上流階級のお嬢様・英子とその御付の運転手・ベッキーさんが謎を解くミステリーの二作目
時代は昭和初期ということで 英子のいる上流社会では華やかでゆったりとした日々が流れている
謎ときも風雅でおもしろい 浮世絵の入れ替わり 百人一首が鍵になっている暗号 古典を題材に作られたステンドグラス…
「暁」「蛍」「雁」「雪」とくればそりゃ「枕草子」だと思うよ普通…
「伊勢物語」かぁ 読んだことない どんな話なんだろ
一方日々の食事にも事欠く人々も大勢いて 戦争という暗い影も忍び寄ってくる時代
ただ そんな昔のことなのに 現代社会の抱える問題にも通じるものがある
青年将校に対して英子がぶつけた軍国主義への反発
『国家という行進なら、その向かう先は、孔子のいう仁や、あるいは、殺すなかれといった、基本的な徳であるように思えます。それを越えた主義主張を否応無しに強制された時、行進は、歪まざるをえないのではないでしょうか。外に向かっては行為が、内に向かっては心が、です。-わたしのいう自由とは、基本的な徳に向かう行進の中で、右を向き左を向く自由です。鳥の声に耳を傾け、空の雲を見る自由です。-そこから、機械の尊さではない、人の尊さが生まれるのではないでしょうか』
とても正しい理想論
お嬢様の机上の空論と馬鹿にせず 青年は誠実に答える
「人を縛る主義主張を否定すれば大義が存在しなくなる 大義がなければ人は私利や快楽を求めて腐った一生を送るのではないか たくさんの飢えた貧しい者達が 胸を張り喜びと共に行進に加われるのなら それがどのような行進でも心から支持する」と…
でもやっぱり私も英子同様 大事な人を危険とわかってる行進には送り出せないなぁ 方向は間違えないで欲しい
はるか昔 すばらしい政治をして立派な教会を作った王様は 十字軍も起こしている
使命感に駆られて喜んで戦いに向かう信仰の厚い人たち その人たちの末路は悲惨なものだったそうで
その教会を見てきた建築家は英子に言う
『俺の思う美とはね、人の気持ちをたいらかにしてくれるもんだな。眦を上げて、エルサレムに向かわせるなら、神の美じゃなくて、悪魔の美だね。そりゃあ、神を奉じるのは悪いことじゃない。神を内に持つのは、いいことだろう。何かと支えには、なるだろうよ。だがね、俺には、御立派で荘厳な神様なんか、いらない。<わたしよりも、異教徒一人の命の方が、よほど大切なのだ>と説く神がいたら、そういうことを、勇気を持って語れる神が現れたら、その時こそ、俺は神の前に跪くね』
『自分に何が出来る?そう自問した時、どんな人間よりも貧しい生活を送るのは、神様が自分に課す、至極、誠実な罰じゃないかな。俺はね、そういう神様となら、手を取り合って泣ける気がする。-神っていうのは、限りなく無力で、哀れなんだろうな。だからこそ、その悲しみを知る目で、人を見つめる。そういう目で見つめられるから、人は救いを感じられるんじゃないかな』
大義名分も正義も大事だろうけど
その先に必ず幸せがあると信じ込まされて無理やり歩かされるのは好きじゃない
使命感に燃えて歩いてる間は幸せだろう 目的を達成すればもちろん幸せだろう
途中で命を落とすことになってもそれが本望だと幸せに思うのだろう
どっちみち幸福感を味わえることになってるんだ
そんな神様は 私も要らない