一年間、在宅で担当した終末期の患者様を振り返りたいと思います。
お受けした人数は11人。男性4人、女性7人で平均年齢は70.1歳。
原発は乳がん2人、膵臓がん2人、肺がん2人、胃がん1人、肝臓がん1人、
胆嚢がん1人、大腸がん1人、原発不明1人。
このうち在宅での看取りが3人、症状悪化による入院が8人。
入院となった原因は発熱+全身状態悪化が3人、呼吸困難が3人、
家族の介護困難が1人、薬疹が1人。
この中には、御家族のお考え次第で在宅で過ごせた方もおられます。
私が担当してから在宅で過ごせた日数は30.1日。
最長が134日、次いで73日、40日。
短い方では3日が1人、4日が2人、次いで6日という結果でした。
この他、人数には入れていませんが退院して訪問が始まる前に
亡くなった方も2人いらっしゃいました。
最長の方は脚が不自由ですが独歩、通院可、化学療法中の方でした。
その方を除くと平均では20日になります。
患者様と関わらせて頂いた感想としては、もう少し早く紹介して
欲しかった…という想いはあります。訪問看護師さんも同様の事を
おっしゃっていましたが、往診・訪問介護の必要性を御家族が
考えられた時点で、残された時間は考えられているよりもずっと
短くなっている事が多いのです。
もう少し紹介が早ければ、患者様や御家族と深く関わったり、
適切な準備、より良いサポートが出来ると思います。
まして自宅に帰りたいと退院する患者様の事を考えると
もう少し色々な判断が出来たり、話を出来る時期に退院が
出来れば…と思わずにはいられません。
但しこれは医療者側の感覚・意見であって、
患者様や御家族にとっては我々との深い関わりや
良い死の準備が本当に必要なのかどうかは
患者様ごとによく考えてみる必要があります。
次回もう少し考察してみようと想います。
お受けした人数は11人。男性4人、女性7人で平均年齢は70.1歳。
原発は乳がん2人、膵臓がん2人、肺がん2人、胃がん1人、肝臓がん1人、
胆嚢がん1人、大腸がん1人、原発不明1人。
このうち在宅での看取りが3人、症状悪化による入院が8人。
入院となった原因は発熱+全身状態悪化が3人、呼吸困難が3人、
家族の介護困難が1人、薬疹が1人。
この中には、御家族のお考え次第で在宅で過ごせた方もおられます。
私が担当してから在宅で過ごせた日数は30.1日。
最長が134日、次いで73日、40日。
短い方では3日が1人、4日が2人、次いで6日という結果でした。
この他、人数には入れていませんが退院して訪問が始まる前に
亡くなった方も2人いらっしゃいました。
最長の方は脚が不自由ですが独歩、通院可、化学療法中の方でした。
その方を除くと平均では20日になります。
患者様と関わらせて頂いた感想としては、もう少し早く紹介して
欲しかった…という想いはあります。訪問看護師さんも同様の事を
おっしゃっていましたが、往診・訪問介護の必要性を御家族が
考えられた時点で、残された時間は考えられているよりもずっと
短くなっている事が多いのです。
もう少し紹介が早ければ、患者様や御家族と深く関わったり、
適切な準備、より良いサポートが出来ると思います。
まして自宅に帰りたいと退院する患者様の事を考えると
もう少し色々な判断が出来たり、話を出来る時期に退院が
出来れば…と思わずにはいられません。
但しこれは医療者側の感覚・意見であって、
患者様や御家族にとっては我々との深い関わりや
良い死の準備が本当に必要なのかどうかは
患者様ごとによく考えてみる必要があります。
次回もう少し考察してみようと想います。
予測がつけば、会社を介護休暇を取って看病できたのにな、と今さらながら思いますが、実際医師に「長くても70日ですよ」と言われたら冷静になれず「でももしかしたらもうちょっと生きるかも」と思うかもしれないですけど・・・。難しいです。
余命など分かりません。仮に70日仕事を休んで
頂いたとしても、70日たって本当に介護が必要
な時に休暇の限界になってしまうかもしれません。
また、厳しいと感じても、何も備えずに急変
された時の御家族の狼狽や後悔が分かって
いても、あまり余命が短い、急変の可能性等を
繰り返し説明するのもどうか…という想いも
医療者にはあります。
どのような伝え方をすれば良いのか良かった
のか、毎回悩んでいます。
こう考えるととても難しいですが
家族も医療者も許された時間の中で
出来る限りの事をするしかありません。
よりよい助けが出来るよう考えていこうと
思っています。
本日、初めて拝見させて頂きました。大変、勉強になりました。ありがとうございます。
肺がんの母をホスピスで看取りました。
母の場合1ヶ月弱ぐらいだったと思います。
最初の病院から、ホスピスに転院を決めたときに「どのくらいで転院できますか」と聞いたら、平均3週間と言われました。
それはつまり、平均3週間で誰かが1人亡くなりベッドが空くということですよね。
こたろうさんの平均20日、という体験にも合致するところだと思います。
つまり、ガンの終末期医療で「もうすることがない」となるまでが、こたろうさんの感覚からするとかなり遅い…のではないでしょうか。
また、母は「季節はこせないだろう」とは思いましたが、母の見た目や振る舞いから、まさかそんなわずかな時間で亡くなるとは思いもしませんでした。
癌性髄膜炎のあと、みな平均12週間しか存命していないと言われても、ホスピスは平均3週間で空くといっても、本人ですらギリギリまで信じてなかったと思います。
医師も不必要に私たちの不安をあおれないとは思いますが…
最後の最後で、母子して、週末を受け入れられないまま、逝かせてしまったなあ、という後悔の念があります。母も急変する自分にびっくりしてたんじゃないかな…。
私も「休暇の限界」を考えて母についていてあげませんでした。本当に3週間ならもっとできたんですけど…「平均」と言われ、生活できてる母を見たら、やっぱりそれ以上を信じてしまいました。
何かの参考になればと思い書かせていただきました。
訪問有難うございます。
志を持った学生さんに出会えて嬉しいです。
緩和医療、在宅医療の発展のために
一緒に頑張りましょう。
貴重なお母様との御経験をお話頂き、有難う
ございました。コトさんのお気持ち、行動は
普通だと思います。
私も家族の死を前提に仕事を休むなんて事は
きっと出来ないのではないかと思います。
おっしゃるように、予想は予想でしかない訳
ですから。
そしてきっとその時まで、心では信じられない
と思います。
きっと、殆どの人がそうだと思います。