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Not doing,but being ~在宅緩和ケアの普及を目指して~

より良い在宅訪問診療、在宅緩和ケアを目指す医師のブログ

「患者様」という呼び名に関して

2012-02-21 08:06:27 | 日記
私はブログで一貫して「患者様」という呼び名を使ってきました。
今後も特にそれを変える予定はありません。

ただ、医療者…というより主に医師の中には、この「患者様」と
いう呼び名にとても嫌悪感を示す方がおられます。
背景は、2001年に厚生労働省が出した国立病院のサービスに関する
指針に、「患者の呼称の際、原則として姓(名)に『さま』を付する」
という内容があり、病院が一斉に「患者様」という呼び方をするように
なったという経緯も関係しているのかもしれません。
これは確かに表面的な事を半ば強制的にさせているだけなので
おかしい、という気持ちが出てきて当然です。

しかし私は、自分より人生経験もあり、辛い闘病生活を送って来られた
方が、「先生」等とおっしゃると、申し訳ないような恐縮した気持ち
になります。私は偉くないし、病気を治すような魔法の力もありません。
もちろん、「先生」に当たる他の適切な言葉がないのも事実なのですが
私は逆にこの「先生」の方が余程違和感があります。
そういった気持ちから、逆に相手に対する敬意も込めて
私は医師になる前から自分の意思で「患者様」という表現をしています。

もちろん、このような呼び名がお嫌いな方もいらっしゃいます。
日本語が変、という意見もあります。
もちろん、嫌だという方の前では敢えて使いませんし、
人それぞれですから、「患者さん」という呼び方に対しても
それはおかしいぞ、とか「様」と呼ぶべきだとか思った事も
当然の事ながら一度もありません。
言うまでもなく、呼び方など本質的な事ではありませんので。
自分は自分、人は人。それで良いではありませんか。



悩むこと

2012-02-15 13:28:06 | 日記
先日、りりーさんという方から、
「悩んでいます」というタイトルで私のブログにコメントを
下さいました。非常に共感出来る事でしたので、
本日はその話をさせて頂きます。

何度もお書きしているように、私が緩和ケアの領域で最も大切だと
思うことは寄り添うことではないかと思っています。
その一歩は、文字通り物理的に長い時間を患者様や御家族と過ごす
事だと思います。長い時間を過ごして初めて、患者様は少しずつ
本音を話して下さるようになりますし、具体的に何に苦しんでいるか
医療者側も理解出来るようになります。

痛みのスケールを用いて客観的に情報を具体化する、それはそれで
意味のある事ですが、患者様の苦しみはどうしても数値では表せない
部分があり、それは直接関わる事でしか分からないからです。

多くの、特に御高齢の患者様は、医師には遠慮して本当の事を言えず
「大丈夫です」と言ってしまいます。長く時間を過ごす中で、
「先生、あの薬は効かなかったよ」
とか、
「痛みはなくなったけど、下剤が増えて飲むのが大変だよ」
と話して下さるようになるのです。
医師の前で、患者様が必要以上に「頑張る」必要がなくなって
やっと緩和ケアが始まります。

「共にいるだけではダメ」とおっしゃる先生がいらっしゃいました。
否定はしませんし、医師・看護師であれば当然プロとして十分な
知識や技術は必要です。そうでなければ医療者である意味は
ありません。ただ、知識・技術は最低限、緩和ケアの入り口であって
ここで満足してしまってはいけないのではないか、と言いたいのです。

長い時間を患者様と過ごすと、現在の緩和ケアの知識や薬剤が
患者様の苦しみの一部しか緩和出来ていない事に気付くと思います。
何が出来るのか、これは本当に患者様のために良い事なのか、
悩みがたくさん出てきます。
悩みは、誠実に、患者様と向き合わないとあまり出てこないと思います。

悩むことは、何も緩和ケアに限ることではありません。
手術し、治癒するという性質の問題でない限り色々な場面で我々は悩みます。
最近よく話題になる、胃瘻の問題なども、その代表かもしれません。
我々に出来ることには非常に限られており
人間が生きる上での苦しみはとても多いのです。


悩みはきっと、一生懸命に患者様の苦しみに向き合おうとしている証です。

ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5

2012-02-08 15:46:34 | 日記
数日前からTwitterやFacebook上でこの記事をよく目にします。
オーストラリアで緩和ケアの仕事をしている看護師さんが、
“死の間際の患者様から最も良く聞かれる後悔”を挙げて
おられます。お読みになりましたでしょうか。

http://youpouch.com/2012/02/06/53534/

1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」
2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
4. 「友人関係を続けていれば良かった」
5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

みんな職場や場合によっては家族のために、
「こうでありたかった」人生とは違う道を歩んできたことを
思い起こして後悔されるのかもしれません。
人の為に生きたことに後悔し、もっと自分自身のために
生きれば良かった、と思うのはちょっと皮肉な気もしますね。

そして、会社や職場での信用、地位や名誉、お金はきっと
一部の人を除き生きる上ではきっと大切で必要なもの
なのだと思います。しかし、死の間際という場では
時とともに去り行くもの、儚いものだと否応なしに
思い知らされるのかもしれません。

これを書いた看護師さんは、少しでも多くの人に後悔のない
人生を歩んでもらいたいという気持ちから記事を書かれた
のではないかと思います。死を想い、日々を生きる事が
出来れば、間違いなく有意義なことだと思います。

しかし、一方で人間はそれを聞いても生き方を変えられない
のが正直なところかもしれませんね。目前の課題・問題に
足掻きながら、一日一日を必死に頑張っている人が大部分
だと思いますし、そしてどんなに頑張っても頑張っても
後悔が残ってしまうのが人生なのかもしれません。

以前にも書いたかもしれませんが、ホスピスで
「私の人生は最高だった。有難う!」とおっしゃって
亡くなった患者様がおられました。
その方は何か特別な人生を歩んで来られた訳ではなかったと
思いますが、後悔ではなく、最高だった、と言えるのは
何が違っていたのでしょうか。

後悔であったか最高であったか。
決めるのはその人自身なのは間違いなさそうです。

在宅緩和ケアのマニュアルが必要

2012-02-07 19:58:05 | 日記
緩和医療学会でガイドラインの作成が行なわれており、疼痛、消化器症状、
鎮静といった内容のガイドラインがサイトからダウンロード出来るように
なっています。出来る限りエビデンスに沿った内容になっており、とも
すると“自己流”になりやすい緩和ケアという分野で、定規のような役割
を果たしてくれていると思います。私もガイドラインに戻って診療を見直す
事にしています。

しかし、在宅をやってみて思ったのは、ガイドラインは全てホスピスや
病院を想定して作成されており、在宅の内容は殆ど含まれていません。
ひとつは、ガイドラインを作成されている先生方が主に病院で活躍されて
いる先生で、残念ながら在宅での御経験が少ないという事もあると思い
ますし、エビデンスなんて殆どない、総合病院の常識ではとても文章化
出来ないような一面を持つことも原因のひとつかもしれません。

しかし、これだけ厚労省が在宅医療を推進しているにも関わらず
在宅緩和医療が伸びない原因のひとつは、在宅向けの緩和医療の良い指針
がない事もひとつの理由ではないかと思います。
保険のシステムも分かりにくいです。

例えば、在宅でサンドスタチンを使いたいと考えたとしましょう。
サンドスタチンは持続皮下注しか保険が通っていません。
皮下注に使えるポンプは高額で、レンタルを取り扱っている業者も
少ない。ディスポーザブルポンプが、サンドスタチンでは使えない
(保険請求出来ない)という事実を、どれだけの家庭医が知っている
でしょうか。高額な薬剤であり、訪問回数の問題を考えると、どれだけ
薬剤をシリンジに詰めたら良いのか…点滴静注では保険が通らないのか、
どこにもヒントはありません。
初めて使用する先生にはとても敷居が高いと思います。

ほかにも、法の整備が出来ておらず、“グレーゾーン”が多い中で
保険で切られるのではないか、法律違反にはならないのか、等の
ストレスの中で多くの医師は選択を迫られています。
知識の浸透もまちまちです。近所で開業されている、緩和ケア領域では
有名な先生とお話した時、「プレペノンは患者宅に保管しても良いのでは」
と明らかに間違った事をおっしゃっていました。
これを聞いて、果たしてどれだけの医師がきちんとした知識で
在宅緩和ケアに携わっているのか…と疑問に思いました。
もちろん、役所に問い合わせても各課をたらい回しにされ、回答が
得られないという経験を何度もしました。

ガイドラインというものは難しいかもしれませんが、在宅でモルヒネを
使用する時に必要な法的な知識、具体的な使用法のヒント・注意など
分かりやすいマニュアルは出来ないものでしょうか。


本:痛は「怒り」である

2012-01-27 13:34:56 | 日記
この本は2002年の4月に初版が出ていますが、少なくとも一部では
かなり反響を呼んだ本です。腰痛の多くは腰そのものにに原因がある訳
ではなく、ストレスなどに起因した心身症により発症する、という内容。
胃腸の調子や喘息などの症状が心因的な影響を大きく受ける、という
事は広く受け入れられた考えですが、実は骨格筋はこれらと同様、
あるいはそれ以上に感情の影響を受けるというのです。
確かに、骨が著しく曲がっているのに痛みがない人もいれば、
画像上大きな問題がないのに強い腰痛に困っている人は多いと思います。
また、骨折の後があっても時期と合わなかったり、実は痛いのは別の場所
である事も結構あるはずです。

この考え方は著者の長谷川 淳史さんのオリジナルではなく、
ニューヨーク大学医学部教授ジョン・E・サーノ博士が提唱した理論を
元にしており、「ヒーリング・バックペイン」という本などに書かれています
(翻訳されています)。

読んでみれば分かりますが自身の経験を踏まえつつ理論的、かつ慎重な
書き方をされており、医師である私が読んでも納得出来る書き方でした。
もちろん、腰痛のメカニズムには不明な点も多く、この考え方だけで改善
するものばかりではない事は間違いないですが…。
例えばAmazonの書籍のレビューを見ても、この本に救われたという人達が
たくさんいる事が分かります。

この本によると、「怒り」という感情は喜びや悲しみと比べて「持つことは恥、
持たない方が良い感情」として抑制されてしまう事が多く、積もった感情が
症状に影響している、というのです。もちろん「怒りを消す」事は簡単では
ありませんが、この本では「怒りを持つ自分」を認めるだけで痛みが軽減する
事があると言うのです。

そんなものは暗示、プラセボだ、という人は必ずいると思います。
しかし、暗示でも良いではありませんか。腰痛で困っている人が暗示で良く
なるのであれば、こんなに良い話はないと思います。
痛み止めと違い、副作用もなければ薬代もかからない。
この本でも述べられていますが、「あなたの腰は曲がっているから治らない」
等という、悪い方向の暗示より余程良いと思います。
ちなみに、この本でも暗示によって人間が命を落とすという実例を挙げ、
暗示の力についても述べています。

がんの疼痛は、ここで言う腰痛のようにはいかないと思います。
私も同列に扱う意味で、ここでこの話をした訳ではありません。
しかし、自分が「怒り」という感情に支配されてはいないか、と省みる
体験は多くの人にとって無駄ではないと思いますし、
これによってもしかしたら気持ちが楽になったり何かが改善するかもしれません。
それと、医師の余命宣告や、良かれと思って発信している
「病状を受け入れなさい」というメッセージが、時に患者様にとって強い負の暗示
にもなり得るという認識を私達は持つ必要があるのではないかと思っています。