サルトルの付言するが、彼の云う「信頼とは自己欺瞞である。」と云う言い分は信頼と云うものが意識に上ってきてそう初めて考えられるわけで、普通信頼とは意識に昇ってこない。だから信頼と云うものは成り立つと云うことを忘れている。実際貴方が他人を信頼する時にはそれはもっと感情的なものであろう
@335666Kazu こちらこそよろしくお願いします<m(__)m>
サルトルが信じること事態を「自己欺瞞」だと述べているが、実際に我々が人を信じるときにいちいちこれは自己欺瞞だと意識的に考えて行動しているのだろうか。それは違うであろう。我々は初めて他者に寄せている信頼を欺瞞する時にそれを自己欺瞞、自己否定の土台に引きずりおろすのである。
すなわち我々は意識が明瞭になればなるほど人を信じることができなくなり、その反対に意識が不明瞭ならば人を信じられることができるようになるのではないか。だが、人が生きていく際にはこの双方の意識の明瞭さ、不明瞭さの峻別が必要になるのは分かる。
あまりに自尊心が強い人間は人間関係を円滑に進められない。なぜなら自分の自尊心を他の人に押し付け、もし仮にほかの人がそれに反発しようものならば、烈火のごとく怒りを露わにするからである。とはいっても、ほどほどの自尊心がないと自分に自信がつかず人間関係以前の問題にはなるが。
最近の悩み事はどの武術の道場に行っても「自分で流派を立ち上げてはどうか?」と云われることである。しかし私は武術で食べていくつもりはないのでその回答に困ってしまう。また「うちの道場で教えられることはない」とも云われる。私はそんなに高尚な人間ではないのに。
よく読書をすることは良いことだと云われているがショーペンハウアーのこの言葉を忘れてはならない。「本を読むと云うことは他人の思考を借りることである。真の思想家とは己で考え続けた者のことを云う。」因みにパスカルは本をほとんど読まなかったそうである。
電子書籍の世界において自費出版を中心にしている会社は取次に取り次いでもらえない場合が多いそうである。特に巨大な電子ストアにおいてはそれが顕著である。やはり企画出版と自費出版には巨大な溝があるようである。
基本的に天才の能力は19歳から24歳の間までに開花する。これはポール・ヴァレリーの本に詳しい。その能力を開花した天才たちは如何なく能力を発揮する。多読に書記過多などがその特徴である。とはいっても、これは精神医学の言葉を借りれば軽躁状態にすぎない。