A collection of epigrams by 君塚正太

 君塚正太と申します。小説家、哲学者をしています。昨秋に刊行されました。本の題名は、「竜の小太郎 第一話」です。

8月29日(金)のつぶやき

2014年08月30日 02時00分12秒 | 既刊本

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私の本です。お気に召したらお買い求めください。



8月28日(木)のつぶやき

2014年08月29日 01時47分51秒 | 既刊本

8月30日の上映会イベント、鏡の中の戦争にも出演する日本最強の男・君塚正太氏がゲストとして来訪。当日は著書を販売するそうです。欲しい人はお早めに(千円)


虐めとは響きのよい言葉であるが、普通に考えて差別である。また虐めていた相手はその事実を忘れていることが往々にある。昔私も虐められていた。それで人生をめちゃくちゃにされたため、18歳の時に虐めの主犯格の家族を皆殺しに行った微笑ましい過去がある。無論、警察に捕まったが


相手の家族は事件後、すぐに引越した。そんなことをしても無駄なのに。探偵を雇って今も執拗な仕返しをしている。最近ではそいつの母親の頭がおかしくなって自殺したらしい。何と嬉しいことであろうか。ゴミはこの世から徹底的に排除しなければならない。今度は国家憲兵隊を遣って追い詰める


私は小学校の頃の虐めを機にあらゆる技能を付けてきた。無論、人脈もだ。小学校のクラスメイトを活かしておくつもりはない。今度国家憲兵隊、国家警察の上官に事情を話し、然るべき措置を取ってもらう。おそらく司令官は激昂するであろう。まあ、屑が死んでも何の憐みもない


果たして精神とは存在するのであろうか。記憶が精神を作ることはありえない。なぜなら記憶とは経験を想起させるだけでそこに精神は宿っていないからだ。では果たして精神の本質はどこにあるのだろうか。それは自我に芽生えて様々な経験をしていくうちに構築されるものではないだろうか。


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8月27日(水)のつぶやき

2014年08月28日 01時51分26秒 | 既刊本

人の運命が生まれる前から決まってると述べる人が往々にしているが、実際に生きていく中で経験を積み重ねて、その結果自分の運命を感得していくことによってしか、運命の探究には寄与しない。要するに人間は生きていく中で自らの運命を探し出すのも一つの運命だと云えるのである。



8月20日(水)のつぶやき

2014年08月21日 01時41分38秒 | 既刊本

人が生きているうちで見栄とは恐ろしいものであり、また有益なものでもある。あまりに見栄を張りすぎると周りから友人は離れてゆく。ただし、見栄の有益な点とはそれが向上心に結びつく場合が往々にしてあると云うことである。一旦、見栄のおかげで向上心が触発されるとそれは思わぬ方向に働くのである



8月19日(火)のつぶやき

2014年08月20日 01時39分23秒 | 既刊本

小難しい本を読んでいるとよく頭が痛くならないの?と訊かれるがそんなことは全くない。むしろリラックスしている感がある。ショーペンハウアーが述べたように読書とは他人の頭で考えることであり、楽なのである。真の思想家とは四六時中自分の頭で考えている人々を云うのである。

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カントが「人倫の形而上学の基礎付け」で述べたような非人間的な理想郷への思想は唾棄すべきものである。我々はあくまでよくにまみれた存在である。それを消して忘れてはいけない。その欲から向上心や努力が生まれてきていることも忘れてはいけない。カントが述べる理想郷は無欲の顕現である。