A collection of epigrams by 君塚正太

 君塚正太と申します。小説家、哲学者をしています。昨秋に刊行されました。本の題名は、「竜の小太郎 第一話」です。

12月30日(火)のつぶやき

2014年12月31日 01時42分36秒 | 既刊本

@TaikisjSonoma 例えば「自分のしていることは本当に正しいのか?」と云うことを突き詰めて考えている人は単に「自分のしていることは正しい」と思っている人より論に説得力を持ちます。なぜなら自分のしているであろう正しいことを頭の中で吟味しているからです。


@TaikisjSonoma 自らの考えや行いに対して懐疑を抱くことによってその考えはより洗練され、自信に繋がってきます。これが本来の自信の意味です。根拠のない自信はすぐに崩れ落ちます。


@TaikisjSonoma 自らの考えに懐疑心を抱きつつ、それを討論する場においては懐疑を抱いていた考えはすでに吟味を経ています。よって吟味を経た考えを持った人は自信を持っています。それが懐疑心を抱くと云うことです。


@TaikisjSonoma 前の回答でそれは云っています。後は自分で考えてください



12月29日(月)のつぶやき

2014年12月30日 01時42分01秒 | 既刊本

本当に自信のある人は自らに対しての懐疑を忘れない精神とその懐疑に裏打ちされた確固たる自信を持っている。これこそが本当の自信である。虚構で塗り固められた自信などはすぐに崩れ去ってしまう。自らへの懐疑とは四六時中思索の緊張の糸を緩めないことを云う。

1 件 リツイートされました


12月26日(金)のつぶやき

2014年12月27日 01時42分38秒 | 既刊本

── 石神くんは髪の毛にしか興味がない。
小説『髪の毛探偵 石神くん 0』が『月刊群雛 (GunSu) 2014年12月号』に掲載! ── 晴海まどかさんへのインタビュー
bit.ly/1uz87iF

サンプル↓
dl.dropboxusercontent.com/u/71885212/bib…


天才の精神はかくも敏感である。そのせいで些細なことに悩み、自己肯定感を失いやすい。しかし、時を経て自信を得た天才の場合は違ってくる。その鋭敏な神経は未だ残存しているが、その敏感さを思索に活かし、飽くことのない知的探求を続けてゆく。その姿勢に対して幼少の頃より彼を知る人は驚く


サルトルが云うには「我々は欠如者なので充足を求める。」とあるが本当に我々は欠如者なのであろうか。なるほど確かに不足している者が充足を望むのは分かる。けれども、我々最たる欠乏者のはずである老人になっても何かを求めるのであろうか。それぐらいの歳になるともう諦めがつく人が殆どではないか


マッハの提言した悟性一元論とは彼自身が簡潔に説明している。「ここに棒がある。この棒を水槽に入れると錯覚で曲がって見える。ところがこの曲がっている棒自体をそのまま認識することを悟性一元論と云うんだ。」と彼は云う。どうしても科学に毒された現代人は勝手に想像を加え曲がった棒を認めない


自身をつける効率的な方法は様々な人に褒めてもらうのが良い。これによって自己肯定感が促進され、自身がついてくる。これは若い時にした方が効果的なのは言うまでもない。人間は不思議なもので他人との係わり合いのなかで自己を成長させてゆく。

1 件 リツイートされました


12月25日(木)のつぶやき

2014年12月26日 01時42分22秒 | 既刊本

自分がそこにいると認識できているのは果たして意識のみのせいであろうか。この答には、はい、と答えるしかない。もし、いいえ、と答える人が居るならば貴方は他人によって認識できて成り立っていると云うのであろうか。主観なくして客観は存せず。これほど明瞭な格言もあるまい。