A collection of epigrams by 君塚正太

 君塚正太と申します。小説家、哲学者をしています。昨秋に刊行されました。本の題名は、「竜の小太郎 第一話」です。

虚栄心について

2007年03月12日 00時04分31秒 | 思想、警句
 昔から言われてきた人の持つ醜い特徴、虚栄心についての論述を行いたいと思います。まず目に付くのが、女の人の虚栄心の強さだ。彼女らは絢爛豪奢に着飾り、いつも周囲からの目線を気にしている。これがほとんどの女性に見られる。もちろん、それをしない女性もいるが、圧倒的に虚栄心をふりまく女性が多い。いくら年をとってもきれいになりたい。その飽くなき欲望の結果、整形手術や化粧に彼女らは奔走している。
 哲学者の視点から見て、これほど愚かしい事は無い。初めて、会った時の第一印象はとかく重要だと言われがちだが、それは違う。次第に親交が深まれば、化けの皮ははがれ、必然的に本性を相手に見られてしまう。それに人から見られる事を顧慮するのもおかしな話だ。大抵の人は身なりや体面を気にするが、そんなものに大した意味はない。なぜならもし街中で汚い身なりをした人物を見ても、そんなものは三日もすれば、忘れてしまうからである。なお、それでも身なりを気にするのなら、より客観的に自分を見れば良い。もし自分がこういう場面に遭遇した時に自分はどう思うか?などの客観的な見解を踏襲していけば、自ずと虚栄心の愚かさが分かるはずである。
 だがこれでも女性の虚栄心の強さはなくならないであろう。生物学的な見地から述べて、女性とは男性とくっつくためにあくせくする必要がある。これは全ての動物にも言える。孔雀の羽を広げる行為はその良い例であろう。確かにこう考えれば、虚栄心の大切さは少なからず、分かる。しかしそれでも理性的に生きたいと望むならば、虚栄心などと言うくだらない衣装は破棄して、より自分を高める道を選ぶべきである。ただし、それには相当の困難を要する。私の男友達にも少なからず、虚栄心のかげりは看取できるし、それに私にだってそれはある。そもそもこういう文章を書いている時点で私は虚栄心が強いと言えるのである。したがって、虚栄心のある程度の自制、客観的に自分を見る事によって困難な人生を歩く中で少しでもその困難さは軽減されるであろう。

人の見方について

2007年03月04日 23時41分23秒 | 思想、警句
 様々な友人の話を聞くと、どうやらほとんどの人は第一印象を大切にするようである。だが私はこの見解を浅はかなものだと思う。いくら着飾っても長い付き合いをすれば、その化粧は落ちてゆく。そしていまや第一印象は、単なる過去の残像に追いやられる。その時になって、人々は知るはずである。自分の能力の限界、性格、思考方法などを知る事になる。もちろん、この時点に至れば、再度身繕いをしても無駄である。したがって私は第一印象で人を見極める事を浅はかなものだと思う。もちろん、ギリシャ時代から観相学と呼ばれる独特の人の見方は、学問として存在した。それは現代に至っても、なお精神医学の分野でそれは盛んに行われえている。ただし、この方法にも一定の限界がある。せいぜい出来てその人の性格の枝葉と才気ぐらいである。しかも後者は精確な判断力を持たなければ、出来ない。そのため、観相学とは直観に全てをゆだねていると言える。感受性豊かでさらに現実主義的な思考を持つ人しか、この方法は使えない。だから、観相学とは諸学問から揶揄されたのである。
 だがそれでも人の見方に対する重要な知見は今なお存在する。ドイツの精神医学者クレッチュマー「性格と体格」において、観相学を不可解な学問から精神医学にとっては欠かせない重要な知見にまで引き上げたのである。その後、それは体系化され、現代の精神療法に活用されているのである。