A collection of epigrams by 君塚正太

 君塚正太と申します。小説家、哲学者をしています。昨秋に刊行されました。本の題名は、「竜の小太郎 第一話」です。

8月17日(日)のつぶやき

2014年08月18日 01時37分07秒 | 既刊本

戦場に行って一番辛かったことは仲間の解釈をすることであった。もう助からない仲間の介錯をすると自分の中の何かが変わるような印象を受けた。その出来事があってから生きていることが恥だと云う考えがやっと解かった。所詮自分は恥の上塗りで生きているにすぎないのである。


物理学者のアンリ・ポアンカレの言葉にこうある「我々は時に立ち止まらなければならない。」なるほどその通りである。経験にしてもそれを想起して内省し、思惟をしなければ真の経験にならないのである。そのことを知らない人が多すぎる。いくら年を取っても成長しない人はこのことを考えてほしい。


天才とは有名になる前は往々にして変人に見られがちである。この見解は半分は合っていて半分は間違っている。その奇異な行動の背後に隠された卓越した思想を一般の人々は看過している。有名になり天才となる訳ではない。元々天才だった人物が有名になっただけである。


百科全書派のディドロが書いた戯曲「ラモーの甥」と云う本がある。この本はゲーテの「ファウスト」に着想を与えたと云うことで専門家の間では有名である。この本を読んでいるとディドロの精微な人間を観察する洞察力の凄さに驚かされる。今は手に入りにくいが皆様にも是非読んでほしいものである。


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拡散希望


殆どの天才は天才だと認められる前に自らのことを天才だと自覚している。精神科医のランゲ・アイヒバウムがその著書「天才」の中で論述しているような大衆心理から天才は絶対に生まれない。天才は明確な自覚を以て自身を天才と呼称する。そんな中の一人でも私はあるのである。


人生にとって一番面倒くさく、そして一番楽しいのが人付き合いである。他人と触れ合うことで人間の温かみが感じられ、気分が良くなる。また人々と触れ合うことで様々な着想が生まれ、心が充実してくる。意見の食い違いが多少あろうとも我々は一人で生きてはいけないことを自覚するべきである。



8月16日(土)のつぶやき

2014年08月17日 01時38分07秒 | 既刊本

サルトルを実存主義者と呼ぶのは勝手だが、その開祖のはずであるキルケゴールは自分のことを実存主義者と呼んだことはない。後世の人が勝手に実存主義者を祭り上げたのである。何とも迷惑な話である。それに私は実存主義をよく知っていない。そしてまた当人たちもそれをよく知りはしない。


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分析心理学者であるユングの自伝でフロイトとの訣別が相当に省略されて書かれている。そのことをよくよく考えるとフロイトとの訣別はユングにとっては大事であり、精神的衝撃が彼の心中を駆け巡ったのはやぶさかではない。では果たしてフロイトとユングは訣別したのだろうか。文献を漁っても出てこない


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8月15日(金)のつぶやき

2014年08月16日 01時38分30秒 | 既刊本

ショーペンハウアーの言葉に「人生とは苦悩の連続である。」と云う言葉がある。そして彼はそこから芸術に目を向け、「芸術を鑑賞している時こそが苦悩から離脱できる。」と説く。では芸術に美しさを感じない人は一体どのような方法で苦悩から逃れているのだろうかと云う疑問が湧いてくる。


モーリヤックと云う小説家は透き通った文章を書く。それは水晶のような印象を与える。そこには思想も込められ、その水晶の中を覗き込むと深淵に吸い込まれそうになる。いや、その深淵に吸い込まれているからこそこれほど彼の文章に熱中するのである。遠藤周作が傾倒した理由はそこからわかる。


中学時代の友人に私のことをこの前訊いたら「君塚は大物になると思っていた。」と云われた。少し意味が分からなかったので理由を尋ねると「中学時代の時に数学のテストでほぼ満点だったのに、「満点を取れなかった」と悔しがっていた」いたからそうだ。そんなことは全く覚えていないのに印象とは怖い


健常者の人を見ていて一番欲しいものは健常な肉体だとつくづく感じる。私はここ数年間不眠症に悩まされていて、普通に睡眠薬を飲まずに眠れることがうらやましい。夜閑散とした部屋で眠れないことへの憤りと孤独感にさいなまれるのは何とも言えない。これと同じ感慨はヘッセも書いている。


天才にとって狂気とは必須のものである。文章を書くにしてもその背後に狂気が潜んでいなければ駄作に終わる。天才の描き出す世界とは狂気も含むが、その先にある桃源郷を見せてくれる。私が最も好きな詩人はリルケであり、彼の狂気の間をさ迷い歩く孤高の思想が好きである。


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8月14日(木)のつぶやき

2014年08月15日 01時35分24秒 | 既刊本

人生の目標において何かを成し遂げるなど些末なことである。その様な人物は虚栄心の塊であり、倫理の欠片もない。本当に倫理観のある人物とは人々に諭すような傲慢な精神も持たず、人々に自慢できるような作品も書かず、人知れず静かにこの世を去ってゆくものである。その様な人を真の賢人と呼ぶ。


それに比べて私はなんて傲慢で愚かであろうか。虚栄心には満たされ、栄誉欲には満たされ、自分を曝け出すことが好きである。しかしその様な思念がなければ到底作品を創作してましてや発表などはしない。だが、そこから生まれてくる批判を基に自己研さんを怠らない精神は少し評価しても良い。


ブログを更新しました。 『異常心理学 パラノイア性犯罪者について』 ameblo.jp/diderot0524/en…


努力は才能があるものがすれば良いと云う変な誤謬が流れているが、それは詭弁に過ぎない。生まれ持った才能などは誰にも分からないものであり、努力をして初めて確かめられるものである。努力もせずに自分には才能がないと思っている輩は、まずその先入観を捨て去って努力することをお勧めする。