7月7日は、言わずと知れた七夕です。
七夕は夏の風物詩として、日本の伝統行事に欠かせない存在です。
本格的な夏を前に、農耕や狩猟などの季節の訪れを確認する意味もあり、日本人にとって生活と直結した行事であったといいます。
ただし、その起源はあやふやで、ネット情報などでは中国の乞巧奠(きっこうでん)にみる織姫・彦星の感動的な星伝説に由来する旨の記載が圧倒的大多数です。
ところが、乞巧奠が伝来し皇室行事(天平頃の七夕(シチセキ)の歌会?)になる以前から、ベースとなる神話や伝説が日本にも息づいており、それらをひっくるめて?棚機津女(たなばたつめ)にまつわる物語に題材をとったと言われています。
その代表的な語源は、日本書紀の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)に一目ぼれ?した時に発した「あの織経(ハタオ)る少女(オトメ)はだれ?(現代訳)」という部分と、天稚彦の葬儀の歌にある弟織女(オトタナバタ)ではないか?とする記事が数点認められます。
いずれにしても、平安期以前から7月7日を祝う祭りは長らく行われており、皇室でも相撲を観戦するなど、特別な催しが行われていたようです。
おそらく、当時の催しは庭園の池に三日月型の舟を浮かべたことでしょう。7月7日は旧暦ですので、月は三日月形に陰り月光は弱く天の川がより鮮明にみえる夜空であったと想像します。
ちなみに、相撲を観戦するという行事は、当時は特別な意味がありました。相撲の四股(シコ)の起源は、たたら場でフイゴを吹く(たたらを踏む)動作にあるとする説があり、国家運営に製鉄が欠かせない技術であったことの現れではないでしょうか?
また、七夕は刀剣職人にとっても大変重要な要素を含んでいます。
前出の通り、神話の中でも語られるように棚機津女は神に御召物を仕立てる仕事を支える巫女であり、一方、拵を作る職方は示現化した神の依代たる刀剣に御召物(拵)を仕立てる神職として「その作業は神事である旨の認識を常に持つように!」と、修業時代から師匠に度々叩き込まれてきました。
そのような理由で、工房で作業をする前にはミソギをして身体を清めることを忠告されたものです。
つまり、棚機津女同様の文化的・歴史的背景の上に成り立っている日本のものつくりの技術は、本来神を敬い奉ることを第一義として誕生したもので、その名残が最古の工芸技術に属する刀剣工作の心構えの中に息づいているのです。
さてさて、ここ神奈川では平塚の七夕祭が大変有名ですが、この度ご案内するイベント情報は熊本です!
熊本は、九州のど真ん中に位置する行政区画で、封建時代は肥後国と言いました。
関東人からすると、武道のメッカの様な強靭なイメージがある熊本ですが、そこには熊本地方・阿蘇地方・天草芦北地方・球磨地方があり、様々な地形と気候そして多彩な地域ごとの文化が脈々と生きづいているといいます。
特にご紹介したいのは、このうちの球磨地方です。
球磨地方には、人吉盆地を中心に内陸気候と山地型の気候があり、寒暖の差が激しい地方で、年降の降水量も比較的多く、夏は猛暑日になり冬は最低気温が氷点下にまで下がることもあるという大変厳しい環境です。
その文化の中心地に、人吉地区があります。
人吉は小京都とも呼ばれ、700年の時を超えた現在でも当時の面影が漂う歴史の宝庫なのです。その中にあって、ダントツの歴史と風格を兼ねそろえた存在として、地元の方々に愛され続ける神社があります。
それは、1200年の歴史を有する国宝青井阿蘇神社です。
青井阿蘇神社のホームページ:www.aoisan.jp
こちらの青井阿蘇神社は、大同元年(806年)創建と言われ、現在の社殿は相良長毎により慶長15年から18年(1610年~1613年)にかけて造営された大変味わい深い建造物です。
そして、もう一つ忘れてはいけないのが、熊本県無形文化財に指定されている兵法タイ捨流です。
兵法タイ捨流のホームページ:www.taisharyu.jp
タイ捨流は、丸目長恵流祖によって新陰流から創始された兵法で、人吉藩に伝わった系統が脈々と受け継がれています。
これらの有形・無形文化財を内包する人吉地区で、今すごいことが起きています!
それは、人吉球磨にのこる伝統文化と現代アーティストたちがコラボレーションするプロジェクトとして産声をあげ、今春イタリアにてサムライをテーマにしたエキスポ「侍うーsaburauー」を堂々開催し、かの地で大旋風を巻き起こした今最もホットな伝統文化集団が誕生したことなのです。
そしてこの度、令和元年の七夕という特別な日に、上記青井阿蘇神社にて「侍う-SABURAU- in ITALY 凱旋展」が開催されます!
当日は、地域を代表する名工兼光刀匠の豪壮な御刀に私が拵えた肥後拵も展示頂きます。武道のメッカ熊本で、しかも国宝指定の社殿にて、当方の作品を展示頂き皆さんにご鑑賞頂けることは、職方として最大の名誉であり光栄なことです。
ぜひ、今年の七夕は、熊本県人吉地区の伝統と新しい魅力が凝縮した「侍う 凱旋展」へ足をお運びください。当方の作品もお楽しみ頂けましたら幸いです。
七夕は夏の風物詩として、日本の伝統行事に欠かせない存在です。
本格的な夏を前に、農耕や狩猟などの季節の訪れを確認する意味もあり、日本人にとって生活と直結した行事であったといいます。
ただし、その起源はあやふやで、ネット情報などでは中国の乞巧奠(きっこうでん)にみる織姫・彦星の感動的な星伝説に由来する旨の記載が圧倒的大多数です。
ところが、乞巧奠が伝来し皇室行事(天平頃の七夕(シチセキ)の歌会?)になる以前から、ベースとなる神話や伝説が日本にも息づいており、それらをひっくるめて?棚機津女(たなばたつめ)にまつわる物語に題材をとったと言われています。
その代表的な語源は、日本書紀の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)に一目ぼれ?した時に発した「あの織経(ハタオ)る少女(オトメ)はだれ?(現代訳)」という部分と、天稚彦の葬儀の歌にある弟織女(オトタナバタ)ではないか?とする記事が数点認められます。
いずれにしても、平安期以前から7月7日を祝う祭りは長らく行われており、皇室でも相撲を観戦するなど、特別な催しが行われていたようです。
おそらく、当時の催しは庭園の池に三日月型の舟を浮かべたことでしょう。7月7日は旧暦ですので、月は三日月形に陰り月光は弱く天の川がより鮮明にみえる夜空であったと想像します。
ちなみに、相撲を観戦するという行事は、当時は特別な意味がありました。相撲の四股(シコ)の起源は、たたら場でフイゴを吹く(たたらを踏む)動作にあるとする説があり、国家運営に製鉄が欠かせない技術であったことの現れではないでしょうか?
また、七夕は刀剣職人にとっても大変重要な要素を含んでいます。
前出の通り、神話の中でも語られるように棚機津女は神に御召物を仕立てる仕事を支える巫女であり、一方、拵を作る職方は示現化した神の依代たる刀剣に御召物(拵)を仕立てる神職として「その作業は神事である旨の認識を常に持つように!」と、修業時代から師匠に度々叩き込まれてきました。
そのような理由で、工房で作業をする前にはミソギをして身体を清めることを忠告されたものです。
つまり、棚機津女同様の文化的・歴史的背景の上に成り立っている日本のものつくりの技術は、本来神を敬い奉ることを第一義として誕生したもので、その名残が最古の工芸技術に属する刀剣工作の心構えの中に息づいているのです。
さてさて、ここ神奈川では平塚の七夕祭が大変有名ですが、この度ご案内するイベント情報は熊本です!
熊本は、九州のど真ん中に位置する行政区画で、封建時代は肥後国と言いました。
関東人からすると、武道のメッカの様な強靭なイメージがある熊本ですが、そこには熊本地方・阿蘇地方・天草芦北地方・球磨地方があり、様々な地形と気候そして多彩な地域ごとの文化が脈々と生きづいているといいます。
特にご紹介したいのは、このうちの球磨地方です。
球磨地方には、人吉盆地を中心に内陸気候と山地型の気候があり、寒暖の差が激しい地方で、年降の降水量も比較的多く、夏は猛暑日になり冬は最低気温が氷点下にまで下がることもあるという大変厳しい環境です。
その文化の中心地に、人吉地区があります。
人吉は小京都とも呼ばれ、700年の時を超えた現在でも当時の面影が漂う歴史の宝庫なのです。その中にあって、ダントツの歴史と風格を兼ねそろえた存在として、地元の方々に愛され続ける神社があります。
それは、1200年の歴史を有する国宝青井阿蘇神社です。
青井阿蘇神社のホームページ:www.aoisan.jp
こちらの青井阿蘇神社は、大同元年(806年)創建と言われ、現在の社殿は相良長毎により慶長15年から18年(1610年~1613年)にかけて造営された大変味わい深い建造物です。
そして、もう一つ忘れてはいけないのが、熊本県無形文化財に指定されている兵法タイ捨流です。
兵法タイ捨流のホームページ:www.taisharyu.jp
タイ捨流は、丸目長恵流祖によって新陰流から創始された兵法で、人吉藩に伝わった系統が脈々と受け継がれています。
これらの有形・無形文化財を内包する人吉地区で、今すごいことが起きています!
それは、人吉球磨にのこる伝統文化と現代アーティストたちがコラボレーションするプロジェクトとして産声をあげ、今春イタリアにてサムライをテーマにしたエキスポ「侍うーsaburauー」を堂々開催し、かの地で大旋風を巻き起こした今最もホットな伝統文化集団が誕生したことなのです。
そしてこの度、令和元年の七夕という特別な日に、上記青井阿蘇神社にて「侍う-SABURAU- in ITALY 凱旋展」が開催されます!
当日は、地域を代表する名工兼光刀匠の豪壮な御刀に私が拵えた肥後拵も展示頂きます。武道のメッカ熊本で、しかも国宝指定の社殿にて、当方の作品を展示頂き皆さんにご鑑賞頂けることは、職方として最大の名誉であり光栄なことです。
ぜひ、今年の七夕は、熊本県人吉地区の伝統と新しい魅力が凝縮した「侍う 凱旋展」へ足をお運びください。当方の作品もお楽しみ頂けましたら幸いです。