海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《アンタール》の「版」に関するメモ4

2008年02月08日 | 《アンタール》
【4】混乱する「版」

私がリムスキー=コルサコフに少し深く立ち入って興味を持ちはじめた頃にリリースされたのが、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲全集でした。
リムスキーの1番と2番《アンタール》を聴くのはそれが初めてでしたし、イヴァン・ビリビーン風の秀逸なジャケットデザインや詳細な解説にも非常に感銘を受けたものでした。

解説はリチャード・タラスキン。高名なロシア音楽学者です(もちろん当時はそんなことは知りませんでした)。日本の書籍ではおよそ期待できないような内容がそこには記されており、私は何度も貪るように読んだものです。

そのCDの解説に《アンタール》の作曲の経緯が記されている部分がありますので、少し長いですが引用してみることにしましょう。


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以上の理由から、1868年の《アンタール》第1版は、実際には初期の「仲間」の文字通りの入門書であるとみてよかろう。リムスキーが改訂にあたって行ったことは、まずオーケストレーションを滑らかな流れるような線でまとめ、楽器を少し増やして必要なものを補うことによって、いっそう演奏しやすいものにすることであった。この改訂版は1880年にベッセル社から出版された。1897年、リムスキーはさらに徹底したオーヴァーホールを施した。細部に磨きをかけ、構造的にも拡充し、調的な統一感を増すために第2楽章を嬰ハ短調からニ短調に変更している。ところが出版社のほうは、版を彫り直さなければならないような変更はしないと言い張り、ゴーサインを出さなかった。ベッセル社が示した限界ぎりぎりまで新たなアイディアを盛り込んだ、いわば折衷版は1903年に出版された。この改訂のほうが後に行われたため、これが改訂版として広く受け入れられることになった。しかしリムスキーが本当に望んだことはここにはなく、シテインベルクが作曲者の死後出版した1897年の改訂にあるのである。今回の録音もこちらの版によっている。以上見た通り、《アンタール》は、「決定」版は「最終」版ではないという、変則的な経緯を持つ作品なのである。実際には(海賊版が多数出回っているおかげで)「最終」版がいちばん入手しやすいが、これは信頼に足るものではなく,また演奏に用いるべきではない。

「初めてのロシアの交響曲?」リチャード・タラスキン(橋本久美子訳)より

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私は長い間、ここに記されたことが真実であると信じて疑っていませんでした。《アンタール》の作曲の複雑な経緯もこの小論文で知りました。
しかし、今、実際に楽譜を見ながら演奏を聴いていると、果たして正しいのだろうかと思わざるを得ない箇所があります。

まず「第1稿」から「第2稿」の改訂に際しては、この小論文では「楽器を少し増やして必要なものを補う」とされていますが、すでに述べたとおり、「第1稿」ではファゴット3本、トランペット3本だった変則的な編成が、「第2稿」では一般的なファゴット2本、トランペット2本に変更されているのですから、「楽器を少し減らして不要なものを省く」とするのが正しいのではないでしょうか。

そして問題は「今回の録音もこちらの版によっている」とされていることです。ヤルヴィ盤をお持ちの方は聴いていただけばお分かりいただけるとおもいますが、この演奏は「第3稿」ではなく明らかに「第2稿」の特徴があらわれています。
これはいったいどうしたことでしょうか?

解説でここまで「第3稿」の正統性を力説し、他の版を「用いるべきでない」と言い切っているにも関わらず、肝心の演奏が「第2稿」によっている。あるいは「第4稿」の可能性もありますが、少なくとも「第3稿」ではないのです。

(【2015.9.28追記】どうやらヤルヴィは「第4稿」のようです。)

私がこれまでにくどいくらいに参照した楽譜が「正しいと仮定して」などと書いてきた理由は実はここにあります。いや、やはりこの小論文が正しくて、参照した楽譜が間違っているではなかろうかと。


(つづく)