海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《不死身のカシチェイ》公演~5

2008年09月08日 | 《不死身のカシチェイ》
《不死身のカシチェイ》の数少ない登場人物の中で、もっとも「困った」キャラが「嵐の勇士」です。
なぜ彼が困ったちゃんかというと、お調子者でお馬鹿なくせに「嵐の勇士」なんてカッコイイ役名が与えられてしまっているからなんです。
元々「お約束」で物語が成立しているおとぎ話で、「嵐の勇士」と聞けば、誰だってヒーローだと思ってしまいますよね。
この「役名トラップ」にはまってしまうと《不死身のカシチェイ》の物語が混乱してしまいますので、要注意なのです。

嵐の勇士───彼もまたカシチェイに囚われの身となっていたのですが、そこはそれ、風のようにどこへでも自由に飛んで行けることから、「メッセンジャー」(要はパシリ)として娘のところへお使いに行くことになります(そこで逃げてしまえばいいのに,,,とは、この際考えないことにします)。
しかし、彼がカシチェエヴナに伝えるべきは、「わしの『死』は大丈夫か?」というカシチェイからのメッセージだったのに、間違えて王女の嘆きの言葉をしゃべってしまうのですね(ここがお馬鹿)。
まあ、それが意識を取り戻したイヴァン・コローレヴィチの「里心」がつきはじめるきっかけとなったのですから、結果オーライではあるのですけど。

ちなみに飲み屋で男性客の「里心」がつくのはトイレに行ったときなんだそうです。
そのため、トイレから戻ってきた客に間髪入れずおしぼりを手渡し、矢継ぎ早に話題を持ち掛けて飲んでいた時の状態に戻し、里心をなくさせて少しでも滞在時間を伸ばしてカネを落とさせる───というのが、やり手のホステスのテクニックらしいですね。
そういう意味では、イヴァン・コローレヴィチを取り逃がしたカシチェエヴナはホステス失格です。

さて、嵐の勇士は「自由だ!自由だ!」という台詞をことあるごとに喋っています。
確かに「自由」というのはこのオペラでの重要なテーマのひとつではありますが、自由の象徴がこの嵐の勇士であるならば、若干ちぐはぐな感じは否めません。
彼は、どちらかというとこのオペラではコミカルな役どころであるために、演出家も彼をどう解釈したら良いのかさぞ頭を悩ますことでしょう。

ちょっとオツムが弱くて、放浪癖があって、でもそれが「自由」の象徴である───という嵐の勇士の性格にどう回答するかが、《不死身のカシチェイ》の演出上の大きな鍵を握っているように思います。

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