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11月28日阿佐ヶ谷ロフトA 『マンガ嫌韓流』作者の山野車輪とアンチネトウヨのオレが一緒な理由解説だ

2013-11-26 16:02:56 | Weblog
1971年~1974年生まれのプチ老害世代が若い頃を懐かしむ夕べを阿佐ヶ谷LOFT-Aで11月28日の19:30~行います。

 1971~74年に生まれた男女が1980年代、90年代に熱狂した様々なものを振り返る夜なわけです。多分、オレたちって様々な「あるある」を経験した世代なんですよね。ドラクエしかり、ジャンプしかり。あの文化ってなんだったんだろうな……。といったことをあれから30年経った今、振り返りたいんですよ。

 で、色々と疑問はあるかもしれません。『マンガ嫌韓流』著者の山野車輪氏とネトウヨのことを普段から「お前らはアホか」と言い、本気でネトウヨのことをバカにしつつも彼らの今後の人生を心配しているオレが一緒に出るということに。

 ただね、一緒に飲んだわけですよ。新宿の紙カツがウマい『鳥一』という店で山野さんと。で、オレとしては「貴様、ふざけんじゃねぇ! お前がネトウヨを生んだんだ、この野郎」といった思いは事前にありました。会うまではケンカ上等だったのですが、4時間ほどみっちり話し合い、「この人とは話が通じる」ということを思い、今回一緒にイベントを行うことに至ったのです。

 山野さんだっていつまでも「ネトウヨの経典を描いた人」みたいには言われたくないわけですよ。(あくまでもオレの主観だぞ)

 普通に、1980年代前半に小学生時代を過ごした「同志」として、今回オレは山野さんと一緒に出ることにしたということです。それ以上も以下もありません。で、オレ自身、ネトウヨの「あまりに韓国のことばかり考えている」点は「アホ、うんこ食ってろ」と言いたいところですが、互いにガンダムの話をしたりしたら案外気が合うのかな、とも思っております。


 それでは28日、阿佐ヶ谷ロフトでお会いしましょう。

おい、1971年~74年生まれイベントをやるぞ オレら、「昭和の風景」とか知らんよな。もっと仲良くしようぜ

2013-11-23 16:25:10 | Weblog
 11月28日の阿佐ヶ谷Loft-A「1971年~1974年生まれのプチ老害世代が若い頃を懐かしむ夕べ」が壊滅的に予約数が少なく、運営側から「土下座でもしてお客さん集めろ、オラ」と尻を叩かれたので、オレも緊急でツイッターを自分で更新することにするのに加え、ここで1971年生まれ~1974年生まれの「プチ老害」イベントを開催する意義を説明したいと思う。

 今回登場するのは『マンガ嫌韓流』作者の山野車輪(1971年生まれ)、『ビジネス書を読んでもできる人になれない』著者の漆原直行(1972年生まれ)、オレ(1973年生まれ)、宮脇ゆうび(1974年生まれ)である。ここでは、ファミコンや「ひょうきん族」「なめ猫」「超合金」など、かつてオレ達が熱狂したものを「あったあった!」と振り返り、客席と檀上とで盛り上がりつつ、しみじみとするつもりである。

 オレ達は現在39歳から42歳の世代である。恐らくオレ達がガキだった頃、39歳から42歳は随分大人に見えたのではないだろうか。もしかしたら、今の子供達もオレらのことを大人に見えているかもしれないが、正直オレは自分達がガキに見えて仕方がない。

 オレ達が小学生だった頃、電車に乗って『パズドラ』に熱中するオッサンはいなかったし、オレのように『3DS三国志』で日本一位を目指すべく、電車の中とクソをする時に必ずニンテンドー3DSを手に取るようなオッサンはいなかった。つーか、昔のオッサンは多分今のオレら「プチ老害世代」よりも多分大人だったのである。何をもってして「大人」と表現するかはさておき、かつては「大人になって漫画を読んで…」「大人なのにゲームなんかして…」なんてことを言われ、「大人になったらそれ相応の振る舞いをしなくてはいけない」というプレッシャーを恐らく今の60代・70代は叩きこまれていた。

 だが、オレらは「自由に生きろ」「やりたいことをやろう」といった刷り込みをされているが故に、あまり「大人」といったところに向き合ってきたことがない。せいぜい『サザエさん』のカツオの年齢を越えた時、高校野球に出る選手の年齢を越えた時に「あれ、オレらって大人?」と思った程度だろう。だが、日露戦争の司令官は30代もいたわけで、「大人」の権限と責任は現代を経るにつれ低下しているともいえる。

 前置きが長くなったが、今回オレがこのイベントに参加する理由は3つ。

【1】「大人」と呼ぶには中途半端な意識しかない我々が、同世代の人間(お客さん・出演者両方)の「いま」を見て、「決して自分はダメなヤツじゃない」と皆で意識を共有したいから。確かにオレらはガキかもしれないが、でも、なんとか生きているし、社会に貢献したいと思っているしさぁ……、なんて思うのだ。それを確認しようぜ。

【2】団塊ジュニア世代であるだけに、この世代はとんでもない人数がいた。受験・就職の時、バブルは終わっていた。この人数に対し、希望の学校に進むのも簡単ではなかったし、おいしい仕事はあまりなかった。不本意な進路を歩んだ者も多いだろう。少し上のバブル世代を憎む者もいるだろう。だが、いいじゃないか。今、2013年、オレ達は幸せに生きてるだろ? なっ? もし、生きてないんだったら、阿佐ヶ谷でお前の辛かった体験を語っても構わない。今回は、お客さんに檀上でスピーチをしていただき、思いのたけを語ってもらっても構わない。だから、クサい言い方ではあるが、「やたらと人数が多かった世代の戦友」として、今はお互い「仲間」として今のお前の思いを語ってほしいのである。

【3】以前、1973年生まれで、オレの同級生・城繁幸さんが言っていた(間違ってたらゴメン、城さん。恵比寿の飲み屋で津田大介さん(1973年生まれ)と常見陽平さん(1974年生まれ)と飲んだ時にそう言っていたと思う)が、オレ達は最後の「マスメディア世代」なのだという。つまり、「誰もが知っているトピックスを皆が共有していた」ということだ。それは、こうした「あるあるネタ」を共有し、あの時の「将来オレは頑張るぞ!」という気持ちを再び取り戻すためである。

 で、よくメディアでは東京風のラーメンとか古い定食屋を指して「昭和の風景」と言われるが、正直、オレらが過ごした昭和はその後である。昭和を過ごしたものの、画一的な「古いラーメン屋」「古い喫茶店」「古いロゴのボウリング場」をもってして「昭和の風景」「懐かしの昭和」とは言われたくない。「三丁目の夕陽」を昭和の代表にしてほしくない。そんな風景知らんわ、喝! オレらはもっと「みんなで色々なことを共通で知ってたよな」という昭和の世代である。

 それは、「なに? サスケ?」やチェッカーズ、1985年阪神優勝、500mlの瓶入りコカコーラを店に返したら10円もらえた、20円で駄菓子屋前でゲームができた、バケツに入ったスライム、スーパーカー消しゴム、ガンダム、ドラゴンクエスト、ルービックキューブとかそういったものだ。そして平成に入り、20世紀後半にglobeやTRF、テレクラ、たまごっちなどを経たものであり、「懐かしの昭和」とは全然違う。

 メディアに蔓延する「懐かしの昭和像」はうんこ食ってろ! というアツき思いも持ち、オレは今回のイベントに臨むので、「オレ達にとっての本当の昭和」「80年代・90年代」について回顧したい皆様は是非お越しください。当日、オレは阪神優勝時の「アサヒグラフ」を1名様にプレゼントします。


中川淳一郎

 

 

くそ、常見陽平についてちゃんとここで書いておくわ。このアホ、うんこ食ってろ、ボケが

2013-11-12 18:53:37 | Weblog
 なんか、また、ブログを書かないとgooの運営からブログのデザインを変えられるので仕方なくブログを書くわ。くそ。面倒くせぇ。

 で、今日書くのはここ18年の付き合いである常見陽平氏についてである。昨今オレと彼はBLっぽいとか言われているかもしれないが、学生時代の男同士の友人というものは、そうやって卒業後約20年で言われてナンボである。

 オレがヤツのことを知ったのは1994年の秋だった。「プロ研スポーツ」という一橋世界プロレスリング同盟(HWWA)の会報誌をいきなり1限の講義の際に各机に置くのが常見だった。要は、HWWAに部員がまったく入らないが故に、彼は告知活動をしていたのである。

 これが何ヶ月にも及んで続き、その間常見はひたすら「HWWA、ムツゴロウのクマ牧場との交渉決裂!」「今年のプロ研文学賞は大江健三郎に決定!」といったインチキな記事を書き続けていた。この姿勢は完全に一橋大学の中では異端で、精神異常扱いされていたのである。

 まさに部員を増やすためには何でもやるバカ、といった感じだった常見に対し、オレは本当に共感した。それまで、一橋大学の人間は銀行・商社・官僚・会計士・弁護士になることしか興味を持たぬクソッタレだらけだと思い、「オレはなんでこんなくそつまらん大学に入ったんだ!」と思っていた中、突如として登場したのが常見だったのである。

 そこからオレはプロ研の門戸を叩き、常見と共にそれから2年間、ダサダサな一橋大学でテロのような活動を続けたわけだ。正直なことを言うと、オレ自身、今は「なんだかヘンテコで面白い人」といった評価は受けていると思う。だが、あの時常見と会わなければこういった人生は送っていないのは間違いない。だからこそあのバカには感謝しているし、彼にもガンガン社会を相手にプロレスを仕掛けて頂きたいと思う。

 で、もっともっと言いたいことはあるが、もうキーボード打ちたくないんで。今宵はこのへんで。