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24歳、入社2年目の時、「社会性の有無と周囲に合わせること」について書いた青臭い文章

2015-09-27 12:02:41 | Weblog
 が昔のフォルダを漁っていたら出てきたので貼り付けておきます。

 1998年8月17日とあるので、24歳の時ですね。入社2年目、「このまま会社にいてもいいのだろうか!」「この世で生きるには、自分を押し殺さなくちゃいけないの!?」なーんて今から考えると青臭すぎることを書いていたのですが、昨今の若者の悩みとも共通しているのかな、と思いここに貼っときますね。

 いやぁ、その頃書いた文章がドバドバと登場してきたのですが、いやはや、恥ずかしいものばかり……。2万字にわたってひたすら女体への幻想を書いたものなども出てきては、もうひっちゃかめっちゃかでございます。それでは以下、恥ずかしいですが、24歳の時のバカ文章でございます。伏字にしているところは、実際には具体名が書いてありました。


【社会性の問題】

おれは社会性がないと思うし、人にも言われる。会社で色んな人と喋ったり、いつも同じ人と行動するのは正直言って辛い。クライアントや協力会社の人との付き合いも実はおれには辛い話だ。おれには苦手なことが本当に多い。たとえば誰かと一緒にエレベータに乗り、目的の階に着いて、誰が先に降りるかで譲り合うこと。こんなのはっきりいって意味がないと思う。イベント現場で立っているのも意味がないと思う。でも、そうやることがこの場の常識であり、社会性を持っていることになるのだ。

おれは新入社員に対するプレゼンテーションで「大学時代、社会から隔離されていた『中川世界』がじわじわと『社会世界』に接近している」と言った上で「もっと接近しなくてはならない。そうしないとおれはこれから通用しない」と結論づけた。しかしこれは博報堂という会社にいることが前提となるのだ。そして博報堂CC局CC3部におけるごくローカルな常識なのである。モノ売り狂いの△△社。ケチの○○社。えげつない◆◆社。果たしてこいつらが社会性あるやつなのだろうか。こういうやつらのために粉骨砕身するおれたちに果たして社会性があると言えるのだろうか。

背広を着なかったり、だじゃれに笑わなかったりしないからおれは社会性がないと思っていた。「常識」をきちんと守るのが社会人の最低のルールだと思っていた。でも昨日■■さんに言われてはっとした。「そんなに狂ったように働く場所ってのが常識であり、社会性のある場所と言えるのか」これですべてが解決した。おれは「中川世界」に戻る。暑くてたまらぬ背広を脱いでTシャツ短パンで過ごし、色付きのメガネをかけ、一つものを忘れても「誰も死なないさ」と気軽に考えられるあの世界に戻るつもりだ。「社会性」や「常識」は個々人が持っているもので、普遍的なものではない。なんとなく「常識なのではないか」と多くの人が思っているであろうことを侵すべからず回訓と考え、そのとおりに振る舞わないやつが「お前なあ…」と非難される。

切れの悪い小便を三日間にわたって何度もパンツに付着させ、黄ばんだパンツを裏返しにはき、10時より前に家へ帰る時は「すいません帰ります」と言うこの状態が「常識的」な場と言えるだろうか。現在のおれはこんな状態でも構わないと思っている。だから不満はない。しかも今は勉強の時だ。今はこの状態に甘んじよう。

5年経っても10年経っても会社組織にいると勉強の連続。むしろおれの得意分野でおれの行動が絶対である世界でもう「勉強」をしないでいい場所に行っても構わないだろう。