つかこうへいが亡くなった。
死因は肺がんだと言う。
つかこうへいの名を初めて知ったのは、もう三十六、七年前のことだ。
その頃私は中学生で、ひとりで映画館に行くようになっていた。
名画座の上映予定を知るために、いつも『ぴあ』を持ち歩いていた。
その頃はまだ隔月刊だったのではなかろうか。広告を除くと50ページくらいしかなかった。
『ぴあ』の一番の売り物は映画情報だったが、演劇の情報も良く載っていた。
そこに「つかこうへい」という名前がしばしばあった。
私は芝居を見に行くことはなかったが、この「平仮名六文字」の若い劇作家に関しては、何とも知れぬイキオイが感じられるのだった。
高校三年のときに、初めて彼の戯曲集を読んだ。
単に面白いだけでなく、屈折したユーモアの中に「こんなことを書いていいのか?」と思うほどの爆発的なパワーがあり、その「暴く力」に、ほとんど性的に昂奮したものである。
その後、つかこうへいは小説も書くようになり、数年で直木賞もとった。
確かに散文でも独特の魅力はあったが、やはり本領は舞台に発揮されたと思う。
つかこうへいの舞台をナマで見たのは一度きりだ。
池袋パルコでやった『熱海殺人事件』の何回目かのニューバージョンである。
まだ俳優業に進出して間もない頃の阿部寛が出ていたが、活舌が悪く、膨大なセリフの半分くらいが聞き取れなかった。
俳優はムリだな…と感じ、今のような良い役者になるとは夢にも思わなかった。
井上ひさしとの対談本を面白く読んだことも思い出す。
その井上ひさしと同じ年に、同じ病気でつかこうへいが亡くなるとは…。
昭和がまたひとつ遠ざかったような…。
つかこうへいのように、二十代前半から「世代の代弁者」として、他の世代も夢中にさせて活躍する人物は、今後はしばらく現れないだろう。
今は、そういうパワーを発揮させる前に芽を摘み取られてしまうし、そもそも世代間の「興味」や「関心」の隔絶が、微妙に広がっている気がするのだ。
つかこうへいさん、肺がんで死去…享年62(読売新聞) - goo ニュース
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死因は肺がんだと言う。
つかこうへいの名を初めて知ったのは、もう三十六、七年前のことだ。
その頃私は中学生で、ひとりで映画館に行くようになっていた。
名画座の上映予定を知るために、いつも『ぴあ』を持ち歩いていた。
その頃はまだ隔月刊だったのではなかろうか。広告を除くと50ページくらいしかなかった。
『ぴあ』の一番の売り物は映画情報だったが、演劇の情報も良く載っていた。
そこに「つかこうへい」という名前がしばしばあった。
私は芝居を見に行くことはなかったが、この「平仮名六文字」の若い劇作家に関しては、何とも知れぬイキオイが感じられるのだった。
高校三年のときに、初めて彼の戯曲集を読んだ。
単に面白いだけでなく、屈折したユーモアの中に「こんなことを書いていいのか?」と思うほどの爆発的なパワーがあり、その「暴く力」に、ほとんど性的に昂奮したものである。
その後、つかこうへいは小説も書くようになり、数年で直木賞もとった。
確かに散文でも独特の魅力はあったが、やはり本領は舞台に発揮されたと思う。
つかこうへいの舞台をナマで見たのは一度きりだ。
池袋パルコでやった『熱海殺人事件』の何回目かのニューバージョンである。
まだ俳優業に進出して間もない頃の阿部寛が出ていたが、活舌が悪く、膨大なセリフの半分くらいが聞き取れなかった。
俳優はムリだな…と感じ、今のような良い役者になるとは夢にも思わなかった。
井上ひさしとの対談本を面白く読んだことも思い出す。
その井上ひさしと同じ年に、同じ病気でつかこうへいが亡くなるとは…。
昭和がまたひとつ遠ざかったような…。
つかこうへいのように、二十代前半から「世代の代弁者」として、他の世代も夢中にさせて活躍する人物は、今後はしばらく現れないだろう。
今は、そういうパワーを発揮させる前に芽を摘み取られてしまうし、そもそも世代間の「興味」や「関心」の隔絶が、微妙に広がっている気がするのだ。
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