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灰の水曜日に

2010-02-17 | 信仰
今日は、『灰の水曜日』のミサに与りました。



なぜ今日を「灰の水曜日」というかというと、今日がキリストの受難から死、そして復活にいたるドラマの始まりの日だからです。


はるか昔、」初期キリスト教時代の信徒は、今日(灰の水曜日)から粗末な衣服を纏い、頭に灰を降りかけて、40日間の断食生活に入ったそうです。

なぜ40日間かというと、イエスが荒野で40日間の断食をしたことが由来だそうです。

もっとも主日(日曜日)は祝日なので、断食はしません。
40日に日曜を足すと通算46日間となり、毎年、水曜日が「断食の始まり」になります。そこで、今日の『灰の水曜日』というミサが、厳かなものとされるのです。

クリスチャンのくせに「…だそうです」の連続で面目ないですが、今、ネットで調べながら由来を書いているので、どうしてもこうなってしまうのです。


まア、私はこんなものですが…。




それにしても、『灰の水曜日』って、響きがカッコ良くないですか?

まるで、外国の小説か映画のタイトルみたい!
(まあ、実際に『灰の水曜日』という小説も映画もありますが、それは、この日を題材にしたものですから…)

そのほかにも、キリスト教の暦にはカッコ良い名前の祝日や記念日がたくさんあります。

『枝の主日』、『聖霊降臨(ペンテコステ)』、『聖母被昇天』、『王であるキリスト』…。

もちろん、『主の降誕(クリスマス)』と『復活の主日(イースター)』という、誰もが知っている二大祝日もあります。


子供の頃から外国の映画に親しみ、高校生くらいからは小説も読むようになった私にとっては、「まるで外国の映画か小説のタイトルみたい」なミサに与ることは、何だか外国人の友人がいるようでもあり、仄かにミーハー的優越心をくすぐってくれるのです。



いや、クリスチャンたるもの、そんなミーハー根性ばかりじゃ、いけない!

とにかく、今日は、クリスチャンなら断食して回心する日なのですからね。

私も、朝はバナナ二本、昼は野菜つけめん、夜はポテトサラダにオイナリさん二個…と、かなり断食をしました。

「かなり断食…なんてあるのか?」とお思いでしょうね。

でも、カトリック、ことに日本のカトリックはかなりマイルドで、年に数回しかない「断食日」でも、「ふだんの半分の食事量に抑えるように…」というのが指針だと聞いたことがあります。

そういう意味では、けっこう頑張ったかと思うのです。

チンタオビールを一本飲んでしまったのは、反省しておりますが…。



さて、私が今日改めて思ったのは、次々と辞め、倒れていく職場の同僚たち、ことにケアワーカー(介護スタッフ)たちと、今日のミサで私が頂いた「そこそこの安心感」を、少しは分かち合いたい…ということです。

平日の午後四時からのミサにも関わらず、恐らく二百人くらいの人が集まっていました。

辞めていく職員に共通しているのが、「孤立感」と「先行きの展望のなさ」です。

むろん私にもその二つはあるし、教会それらを癒す力をもっている…ということを言うだけの経験と実感をもっているわけではありません。

でも、いちおうは互助を建前とした集会に、毎週おおぜいの人が集まっているということだけでも、「チャンス」はあるのではないか?

なんのことはない、それはただ、私自身の期待と欲望かも知れないけれど…。




でも、きっと、チャンスはあるはず!!






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