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頑張りすぎる命

2010-04-07 | いのち
昨日、このブログでも触れた巨人軍の木村拓也コーチが、今朝亡くなりました。



このところプロ野球を見なくなった私は、木村拓也氏の現役時代をよく知りませんでした。

しかし、ドラフト外で日本ハムに入団してから19年間プロ野球で活躍し、1000本以上もヒットを打った…というのは素晴らしい実績です。



以前はよく球場に野球を観にいってましたが、間近で見るプロ野球選手の肉体と存在感は、大変なものでした。

そもそもプロ野球の世界に入るレベルの選手は、皆、「地元では天才」だった人ばかりですよネ。

2009年度で、高校の硬式野球部員は約17万人いたそうです。

これを単純化すれば、高校レベルで一学年当り、六万人近くの野球部員がいることになります。

プロ野球に入れるのは、毎年、80人程度でしょう。

高校に行くまでに野球を諦める人も多いでしょうから、プロに入れるのは、本当にほんのひとにぎりなのです。

その「天才」たちも、入ってみるとほとんどが数年で淘汰されていく。

その中で19年間活躍し、巨人のコーチまでなった木村拓也さんのスゴさが偲ばれます。



さて、ニュースの中に、こういう論調がありました。

「広島に自宅をもつ木村コーチは東京へ単身赴任をしていたうえ、コーチになったのは初めて。そのストレスが、悲劇の引きがねを引いたのでは…」と。

もちろん、軽がるしい憶測はするべきではありませんが、「日本ハムのドラフト外入団」から巨人一軍コーチにまでなった木村コーチは、頑張りすぎるほど頑張る人だったに違いありません。



レベルこそ違えど、今、とりあえず「勤め人」として食べていくためには、皆、その人なりに懸命に「頑張っている」と、思います。

そういう気持ちがあるからこそ、このニュースは単なる「プロ野球界の出来事」というワクを超えて、多くの人の関心と悲しみを引き起こしているような気がします。



もちろん、プロスポーツという特殊な競争社会に生きる人の悲劇から、たとえば、一般的な「過労死」問題を考えてしまうのは、ちょっと違っていると思います。



しかし、いつも張り詰めた気持ちで生きていただろう木村コーチの訃報を聞いたとき、真面目に生きている人が亡くなるのは、どのような場合でも悲しいものだ…と、改めて感じたことでした。





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