明日から十月。今年もあと三ヶ月か。早いなア…。
私のホームでは明日から介護職と看護職のユニフォームがいっせいに変る。
職場の雰囲気もずいぶん変るだろうなあ。
さて、今日は『あの子を探して』という映画を観ました。
1999年の中国映画で、ベネチア映画祭の金獅子賞を受賞しています。
これが良かったんですよ!今日の私の気分にはとても痛快でした。
舞台は現代中国の山間部、ド僻地の小学校です。
全生徒28人のこの学校には、先生は中年の男性教師、カオ先生が一人だけ。もちろん全生徒を雨漏りのするひとつだけの教室で教えているのです。
そのカオ先生の母親が病気で危篤だというので、先生は一ヶ月の休暇をとることになります。
その間の代用教員としてつれてこられたのが、まだ13歳の少女、ウェイ・ミンジ。
これってかなり大胆な設定ですね。いくら中国の僻地だからって、13歳の少女にたった一人で小学生28人を任せるだろうか…。
でも、そんなコトは全然気にならず、私はどんどん映画に引き込まれていったのでした。
何より、僻地のオンボロ小学校のファーストシーンからして、とても撮影がキレイで「深い」上、何とも「懐かしい」感じを受け、それだけで「これはイケル!」という気になりました。
それは、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』を二十ン年前に初めて観たときに近いものがありました。
でも、出てくる子供たちの質感は全然違います。よく言えば素朴だけど、率直に言って粗野。カネにがめついし、そもそも躾けがなってない、親は何してるんだ!という感じ。
子供だけじゃない。村長もエゴ丸出しの「着服オヤジ」で、学校でいちばん足の速い女の子を都会から来た学校の陸上コーチに簡単に「売って」しまう。
もちろん、「この村長にしてこの子たちあり」なのですが…。
ミンジからして、代用教員を引き受けたのは五十元がもらえるから。カオ先生から、
「この学校にお金なんてないよ」と言われると、
「五十元は?お金!お金!お金!」と村長にも確認を迫ります。
やがて、いちばんの腕白坊主、ホエクーが姿を消します。
理由は、親の借金を返済するため。まだ十歳なのに街に出稼ぎに行ったのです。
ミンジは、ホエクーを探しに、街まで歩いて行きます(バスのタダ乗りがばれて叩き出され、歩くハメになったのですが)。
でもそれも「自分の生徒だから」というより、どちらかと言うとカオ先生に、
「この学校は生徒が減る一方だ。私がもどってきたときに生徒が全員いたら、私から十元あげるよ」
と言われたためなのです。
…と、ここから『あの子を探して』のタイトルにつながる展開となります。
こう書いてくると登場人物が即物的過ぎて、殺伐とした作品のように思えますが、実際はとてもユーモラスなシーンに溢れているのです。
監督のチャン・イーモウは、今や中国を代表する巨匠ですが、私は彼の作品を初めて観ました。
この映画は、主演の子供たちを初めとして配役のほとんどに素人を起用し、あまり脚本も読ませずに自然な演技を引き出したそうです。こういう手法はよほど力のある演出家でないと「ドッチラケ」になるものですが、見事に「どうしようもなく粗野で、でもやっぱり可愛い子供たち」の存在を私たちに教えてくれました。
今の日本では見かけない子供の顔がいっぱいでてきます。
ホエクーなんて、目がギョロッとしてて口がでかくておでこが出ていてエラが張ってて、ある種のオサカナみたいな顔をしている。
その「顔力」だけでも面白いし、そういえばずっと昔にはこんな子いたなア…という気にさせてくれます。
もしかしてこれからこの作品を見る人のためにこれ以上は控えますが、なんか多くの人に観てもらいたいなあ…と思った一本でした。
ところで、このブログを始めて今日で三ヶ月。
「おたすけ長屋」を作りたい…と思っても、仕事に追われ酒に逃げ、結局何も変らなかったなア…と、ちょっとムナシイ気分に取り付かれかけていたのです。
でも、いつものように洗濯し、歯医者に行き、買い物をしたあとで前から気になっていた『あの子を探して』を観たら、少し幸せな気分になれました。
こんな感じでシコシコと「小さな幸せ」を探して生きるよりナイカ…と、今はやや気を取り直した文七でございます。
どうも、ご退屈さまでした。
にほんブログ村
私のホームでは明日から介護職と看護職のユニフォームがいっせいに変る。
職場の雰囲気もずいぶん変るだろうなあ。
さて、今日は『あの子を探して』という映画を観ました。
1999年の中国映画で、ベネチア映画祭の金獅子賞を受賞しています。
これが良かったんですよ!今日の私の気分にはとても痛快でした。
舞台は現代中国の山間部、ド僻地の小学校です。
全生徒28人のこの学校には、先生は中年の男性教師、カオ先生が一人だけ。もちろん全生徒を雨漏りのするひとつだけの教室で教えているのです。
そのカオ先生の母親が病気で危篤だというので、先生は一ヶ月の休暇をとることになります。
その間の代用教員としてつれてこられたのが、まだ13歳の少女、ウェイ・ミンジ。
これってかなり大胆な設定ですね。いくら中国の僻地だからって、13歳の少女にたった一人で小学生28人を任せるだろうか…。
でも、そんなコトは全然気にならず、私はどんどん映画に引き込まれていったのでした。
何より、僻地のオンボロ小学校のファーストシーンからして、とても撮影がキレイで「深い」上、何とも「懐かしい」感じを受け、それだけで「これはイケル!」という気になりました。
それは、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』を二十ン年前に初めて観たときに近いものがありました。
でも、出てくる子供たちの質感は全然違います。よく言えば素朴だけど、率直に言って粗野。カネにがめついし、そもそも躾けがなってない、親は何してるんだ!という感じ。
子供だけじゃない。村長もエゴ丸出しの「着服オヤジ」で、学校でいちばん足の速い女の子を都会から来た学校の陸上コーチに簡単に「売って」しまう。
もちろん、「この村長にしてこの子たちあり」なのですが…。
ミンジからして、代用教員を引き受けたのは五十元がもらえるから。カオ先生から、
「この学校にお金なんてないよ」と言われると、
「五十元は?お金!お金!お金!」と村長にも確認を迫ります。
やがて、いちばんの腕白坊主、ホエクーが姿を消します。
理由は、親の借金を返済するため。まだ十歳なのに街に出稼ぎに行ったのです。
ミンジは、ホエクーを探しに、街まで歩いて行きます(バスのタダ乗りがばれて叩き出され、歩くハメになったのですが)。
でもそれも「自分の生徒だから」というより、どちらかと言うとカオ先生に、
「この学校は生徒が減る一方だ。私がもどってきたときに生徒が全員いたら、私から十元あげるよ」
と言われたためなのです。
…と、ここから『あの子を探して』のタイトルにつながる展開となります。
こう書いてくると登場人物が即物的過ぎて、殺伐とした作品のように思えますが、実際はとてもユーモラスなシーンに溢れているのです。
監督のチャン・イーモウは、今や中国を代表する巨匠ですが、私は彼の作品を初めて観ました。
この映画は、主演の子供たちを初めとして配役のほとんどに素人を起用し、あまり脚本も読ませずに自然な演技を引き出したそうです。こういう手法はよほど力のある演出家でないと「ドッチラケ」になるものですが、見事に「どうしようもなく粗野で、でもやっぱり可愛い子供たち」の存在を私たちに教えてくれました。
今の日本では見かけない子供の顔がいっぱいでてきます。
ホエクーなんて、目がギョロッとしてて口がでかくておでこが出ていてエラが張ってて、ある種のオサカナみたいな顔をしている。
その「顔力」だけでも面白いし、そういえばずっと昔にはこんな子いたなア…という気にさせてくれます。
もしかしてこれからこの作品を見る人のためにこれ以上は控えますが、なんか多くの人に観てもらいたいなあ…と思った一本でした。
ところで、このブログを始めて今日で三ヶ月。
「おたすけ長屋」を作りたい…と思っても、仕事に追われ酒に逃げ、結局何も変らなかったなア…と、ちょっとムナシイ気分に取り付かれかけていたのです。
でも、いつものように洗濯し、歯医者に行き、買い物をしたあとで前から気になっていた『あの子を探して』を観たら、少し幸せな気分になれました。
こんな感じでシコシコと「小さな幸せ」を探して生きるよりナイカ…と、今はやや気を取り直した文七でございます。
どうも、ご退屈さまでした。
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「おたすけ長屋」には、精神的な助け合いはもとより、文字通りの「共同体」というイメージもありました。
色んな人が色んな形で「互助」を求めていると思いますが、実際となると色んな違いが見えてきます。
とりあえず、ブログはもうしばらく続けたいです。