神と信仰に殉じた男。
若く魅力的な女性に恋した男。
その二つの人格が同じ人物の中にあり、それが決して両立できないとしたら、いったいどちらを択んだら良いのでしょうか?
今日、十数年来の友人と久しぶりに会いました。
彼とはほぼ同時期に同じカトリック教会に通い始めた仲です。同じ神父から同じ時間で「キリスト教基礎講座」を受けました。
でも、その後の教会との関わりは対照的でした。
私はいい加減な気持ちでミサに与り、職場を辞めると決ると「居場所が欲しい!」と思って洗礼を受け、その後は聖書もろくに読まない「なんちゃってクリスチャン」として今に至っています。
対して彼は真面目に教義を勉強し、洗礼を授かった後は教会の中心で活動し、ついには公務員の地位を打ち捨てて、関西に本部にある修道会に入りました。
キリスト教に詳しくない方に蛇足を申し添えますと、カトリックでは聖職者(神父や修道士、修道女ですね)の婚姻を禁じています。
ほぼ二年ぶりにあった彼は、実に意外なことを打ち明けてくれました。
「実は、好きな女性がいるんです。彼女はまだ大学生ですが、いっしょにいると、とても心が落ち着きます。結婚…ということも話し合っています。でも、神父になることにも強い宿命を感じて、今、とても悩んでいるんです…」
最初にその話を聞いたときは、驚きとともにウラヤマシイ!と感じました。だって彼はアラフォーですよ。なのに大学生と恋に落ちるなんて、その上「結婚すべきか?」と悩むなんて、なんとゼイタクなんだ!と。
まあ、でも、当事者としては確かに悩むでしょう。
修道士の道は厳しく、入ってもあらかたは辞めてしまうのだそうです。辞める理由の筆頭はやはり「結婚・恋愛」だとか。自然の摂理ですね。
その厳しい修道士生活を八年以上続けている…ということは、彼にとって神に仕えることは天職なのでしょう。
でも、愛する女性とも添い遂げたい。
世界の主要な宗教で聖職者の結婚を全面的に禁じているのはカトリックだけ…と聞いたことがあります。その特異性が色んな問題をもたらしていると共に、独特の魅力も醸し出しているのでしょう。
私のような俗人からすると、
「神と結婚するか、生身の女性と結婚するか」
の二択問題だと思うのです。どちらも魅力もあれば、不自由もある。
彼は何人かの人に相談したそうです。「自分の心に相談して決めるしかない。ただ、後悔をしないように」という声が多かったようです。
「自分の気持ちに正直に」という点は私も同感ですが、「後悔しないように」という意見は違います。
どちらを択んだとしても、恐らく後悔すると思います。そもそも人生は後悔の連続だと思うのです。「後悔しない」ということはありえません。
「来年の春まで時間があるのだとしたら、自分なら、その時点でより曳かれるほうを択ぶな。先のことなんて分らないし、人はしょせんその瞬間を生きてるんだからさ」
私の言葉に彼は頷きました。というより、彼自身、そう考えているのです。私がこう言うことも、彼は判っていたと思います。
どちらを択ぼうと、それが彼の選択です。他人は四の五の言うでしょうが、言わせたままで自分の人生を引き受けるしかありません。
それにしても…と、私は秘かに無責任なことを思っていました。
「修道士の恋」って、絵になるなア。
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若く魅力的な女性に恋した男。
その二つの人格が同じ人物の中にあり、それが決して両立できないとしたら、いったいどちらを択んだら良いのでしょうか?
今日、十数年来の友人と久しぶりに会いました。
彼とはほぼ同時期に同じカトリック教会に通い始めた仲です。同じ神父から同じ時間で「キリスト教基礎講座」を受けました。
でも、その後の教会との関わりは対照的でした。
私はいい加減な気持ちでミサに与り、職場を辞めると決ると「居場所が欲しい!」と思って洗礼を受け、その後は聖書もろくに読まない「なんちゃってクリスチャン」として今に至っています。
対して彼は真面目に教義を勉強し、洗礼を授かった後は教会の中心で活動し、ついには公務員の地位を打ち捨てて、関西に本部にある修道会に入りました。
キリスト教に詳しくない方に蛇足を申し添えますと、カトリックでは聖職者(神父や修道士、修道女ですね)の婚姻を禁じています。
ほぼ二年ぶりにあった彼は、実に意外なことを打ち明けてくれました。
「実は、好きな女性がいるんです。彼女はまだ大学生ですが、いっしょにいると、とても心が落ち着きます。結婚…ということも話し合っています。でも、神父になることにも強い宿命を感じて、今、とても悩んでいるんです…」
最初にその話を聞いたときは、驚きとともにウラヤマシイ!と感じました。だって彼はアラフォーですよ。なのに大学生と恋に落ちるなんて、その上「結婚すべきか?」と悩むなんて、なんとゼイタクなんだ!と。
まあ、でも、当事者としては確かに悩むでしょう。
修道士の道は厳しく、入ってもあらかたは辞めてしまうのだそうです。辞める理由の筆頭はやはり「結婚・恋愛」だとか。自然の摂理ですね。
その厳しい修道士生活を八年以上続けている…ということは、彼にとって神に仕えることは天職なのでしょう。
でも、愛する女性とも添い遂げたい。
世界の主要な宗教で聖職者の結婚を全面的に禁じているのはカトリックだけ…と聞いたことがあります。その特異性が色んな問題をもたらしていると共に、独特の魅力も醸し出しているのでしょう。
私のような俗人からすると、
「神と結婚するか、生身の女性と結婚するか」
の二択問題だと思うのです。どちらも魅力もあれば、不自由もある。
彼は何人かの人に相談したそうです。「自分の心に相談して決めるしかない。ただ、後悔をしないように」という声が多かったようです。
「自分の気持ちに正直に」という点は私も同感ですが、「後悔しないように」という意見は違います。
どちらを択んだとしても、恐らく後悔すると思います。そもそも人生は後悔の連続だと思うのです。「後悔しない」ということはありえません。
「来年の春まで時間があるのだとしたら、自分なら、その時点でより曳かれるほうを択ぶな。先のことなんて分らないし、人はしょせんその瞬間を生きてるんだからさ」
私の言葉に彼は頷きました。というより、彼自身、そう考えているのです。私がこう言うことも、彼は判っていたと思います。
どちらを択ぼうと、それが彼の選択です。他人は四の五の言うでしょうが、言わせたままで自分の人生を引き受けるしかありません。
それにしても…と、私は秘かに無責任なことを思っていました。
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尿酸が気になるなら、ホッピで付き合いますよ
ではまた
あなたは、もしかすると、長身のあの方でしょうか?
お懐かしゅうございます!
小泉サンは、「親米・反革命型オダノブナガ」だと思います。あの目付き、完全に「いっちゃって」ますもんね。
私は尿酸値が常に高いので「とりあえずビール」とはいきませんが…。
これからもよろしく!おたすけ長屋の店子にぜひなって下さい!
小泉カイカクの制度を活用されて、只今ノ-ストレスな暮らしに入りました(笑)
ヒマしてますので、連絡下さいな
越
通勤時間に素敵な物語を読んだ気分にさせていただきました。ありがとうございます