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天に帰る

2010-02-20 | 信仰
昨日、ご入居者が逝去されました。



私が知る限り、私のホームでは唯一のクリスチャンの方でした。

明日が前夜式、あさってが葬儀の予定です。

とても庶民的な性格の女性で、格式高い印象のご入居者が多い中、少し異彩を放っておられました。

屈託のない笑顔を見ると、私だけでなく、スタッフは皆、和やかな気持ちになるのです。

小柄な体で器用に歩行器を押して廊下を歩く姿や、ご自分で創られたヌイグルミを抱いたときの、うれしそうな表情…。

ご逝去の報を聞いて、恐らく多くのスタッフがそういった場面を思い浮かべたはずです。



さて、キリスト教では、亡くなることを「帰天」とか「召天」と表現します。

これはもちろん、天にまします主の御許に召された…という意味です。



亡くなった方はどこにいくのでしょうか…?


私はカトリックの洗礼を受けて十年以上経ちますが、正直言って「天に召される」というイメージよりも、「土に還り、自然=全宇宙の一部となる」という感覚のほうが、強かったのです。

これを「仏教や神道やアニミズムが混交した一般日本人の感性」と言えるかどうか、私には分かりませんが、とにかく、比較的多くの日本人が抱くイメージを、私もずっと共有していました。

ところが、「昨日お亡くなりになったM様は、これからまさしく天に昇り、神の許に召されるのだ…」という確信を、今、抱いています。



そして、同じクリスチャンとして、私もまたいつか天に招かれるのかも知れない…という希望を、今、確かに感じているのです。

もちろん、天に召されるのも仏に成るのも全く等価であり、宗派、民族を問わず、人は究極、同じところに行くのではないか…と思っています。



明日、職員たちとM様の旅立ちを祝福してきます。






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