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第994話.お薦めの思考法① 神と、期待される生き方と、あの世の存在の確率は50%=あると考えよ

2024-04-21 15:12:48 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

今日は哲学と言うか、生き方やこの世の見方について少し。

神がいるかいないか、その確率は半分、50%ですね。確率として半分、なのです。

神がいる場合、神が人間に期待される生き方があるのが普通だし、また、神がいる場合、霊的な世界、あの世が同時に存在する、と考えるのが普通であり、また、あの世がある場合、あの世の行先は、生前の生き方の評価として天国や地獄に行く事になる、と言う意見が多いのも事実です。

では、神やあるべき生き方や死後世界がない場合はどうなるか?
ない場合は、どうせ死ねば何もなくなり、考える事すら出来ないので、その場合の死後の心配は不要ですね。

では、神やあるべき生き方や死後世界がある場合はどうなるか?
ある場合は、貴殿が生きたその生きた行動や思考の歴史が神の評価基準に沿って評価され、多くの方にその恥ずかしい生き様や思考の歴史を映画館の様に観られ、振り返られる事になるようです。そして、”こんな生き方や考え方じゃ、もう、ここに行くしかないよね?”と言う事で恥ずかしい思いをしながら、その生き様に沿った場所に帰る事になるようです。

天国的な立派な生き方をされた方々は、あまり心配はいりませんね。

問題なのは、恥ずかしい思考や行動で多くの方々に迷惑を掛け、地獄に行きそうな生き方をしてしまった場合です。

現代社会では多くの方が地獄に行く事になるようですね。でも、地獄とは言っても、あくまで、反省や問題点の修正の場なのであって、キリスト教世界で言われるような永遠の行先では、どうもなさそうです。なので、反省さえすれば、良いのであって、もし仮にそうした地獄的な場所に行くことになったとしても、これは自身の問題点の修正や自分が危害を加えた方への詫びの為の場や期間なのであって、迷惑をかけた相手には心から詫び許されれば、どうも元居た天国に行く事になりそうです。なので、永遠に出れない場所として考え悲観する必要はありません。

自分も煩悩の塊のような生活が長かったので、ちょっと下に行くかもしれませんが、少なくとも、自身が死後置かれる状況は自業自得の結果であり、問題があるからそうした暗い世界に行くのであって、問題点は何だったかしっかり考え、迷惑を掛けた相手にはしっかり心から詫び、わだかまりを取る事が大事であると言う自覚はあり、もし下に行った際には、しっかりと反省をしたいと思っています。

今回はここまで。

次号では、神の期待されるあるべき生き方とは何か?そもそもこの世に生まれてくる理由とは何か?次の号で考えてみたいと思います。

では。

湖畔人

第982話.近況報告 2024年2月4日 25年? 32年?

2024-02-04 12:02:16 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

さて、超忙しい激動の数週間のど真ん中、ブログを書いている暇が無い本日ですが、週一更新、頑張ります。今回は超短縮。

今日は予言について。

25年の夏に大きなダメージが地球、特に日本や東南アジアにあると色んな人が言っていますね。漫画家で3.11当てた人とか、奇跡のリンゴのお父さんとかね。彗星の接近とか、色々言われています。

また、その奇跡のリンゴのお父さんは、無農薬でリンゴの栽培に成功した稀有なる人ですが、彼は、学生時代、龍を目撃したり、宇宙人にアブダクションされ、同じ宇宙船にアブダクトされていた白人の女性と後日互いの存在を確認しあえた、という人物です。彼は、神の如きソクラテス的風貌の方から地球に残された時間を告げられたようです。

それがどうも32年らしい。後10年もありません。

多分、人間が霊的存在で、人類が皆、神の枝分かれ、神性を宿した神の子で,
この世界も神の一部、ゆえに、人も自然も大切にしないといけないという思想が広まらないと、ちょっと厳しいのかもしれません。

その意味でSDGsは別に全否定するものではないのです。環境も人も大切にするのは結構。

ただ、温暖化の理由をCO2に求める嘘も、
与えられたものを否定するLGBTQも、
5月のパンデミック条約で、ワクチン強要や、ワクチンパスポート所持の強要や、ワクチンパスポートによるデジタルな人類管理を目指す、国連やその手下のWHOが目指す、人の神性の発現を妨げる共産主義的思想の拡大は、NGなのです。

ウクライナやイスラエルや今後多分極東で武器を売って儲ける事ばかり考える偽善の英米バックにいる金融資本家達に踊らされる今のG7もNGなのです。

神を信じ、人を信じ、神も人も地球も大切にするのです。
それが唯一の救いへの道ではないでしょうか?

では。

湖畔人



第902話.カジスピの勧め 基本3つ 1)我々の存在意義 2)本性と実力差 3)未来世の活躍を願う

2023-05-21 04:29:01 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

本来、このブログを始めた理由は、読者の皆様に霊的人生観を持つ事の大切さをこのブログを通して感じていただければ嬉しいなと思って始めたのが理由です。

元々、それが主目的だったのですが、霊的世界観から見て、現代の世界が、一部のエリートによるデジタル監視型の支配&管理下に置かれ、人類が奴隷化してしまう一歩手前まで来ているように見えたので、それだと本来の霊性を鍛える場としてのこの世の存在意義が益々忘れ去られてしまう事になりかねないと懸念をし、ワーニングとして陰謀論を多めに書いてはいます。
ただ、時々基本に立ち返って、本来の主目的である霊的人生観の重要性を訴える必要があるなと思いまして、ちょっとこの辺りで、基本的なものの考え方を三つの視点から整理をしてみたいと思いこの記事を書いている次第です。

1)我々の存在意義

古今東西の思想書や宗教書、哲学書を見る限り、
それら書物の最大公約数的な共通のエッセンスを抽出してみると、そこから見えてくるのは、我々一人一人が、実は神という巨大なる霊存在、神という巨木に付いている、数百億枚の葉の一つ一つであり、我々はその意味で、偉大なる神の子達であり、偉大なる神の一部でもある、そうした尊い霊存在が我々であると言う事が見えてまいります。

ただ、我々は神そのものではないので、この宇宙の始まりも、終わりも知らないし、宇宙や生命の創造もできはしない。ただ、神と同じDNAを内に宿している存在ではあるので、小さな創造なら各自の人生の中で実現できる存在でもあります。

神が仮に大きな巨人であれば、我々は、神という巨人の細胞の一つであり、ある人は右手の皮膚の細胞の一つで、ある人は左手の小指の爪の細胞の一つで、ある人は髪の毛の細胞の一つで、ある人は左足のふくらはぎの血管の壁の細胞の一部だったりするので、お互いの見た目も役割もそれぞれバラバラで、各人から見える景色も全く違うのですが、それでも全員が神の一部であり、その意味で、皆一つであり、兄弟のような存在でもあります。そして、何より、皆尊い存在なのが我々の真の姿なんだと思います。

そして各人それぞれが、転生輪廻の中、多くの経験と違った考え方との出会いにより、より視野を広げ、より強くなり、より優しく慈悲深くなり、より賢く、より神近い存在へと成長をすることが期待されている存在で、でも我々のホームともいえる霊界では、波長導通の法則故、自分と似通った人々にしか会えない為、あまり成長が見込めない世界でもあるので、より違った個性が集う、そして霊的には盲目になるこの世界に生まれては、互いに違った考え方や価値観に出会い、そうした自分とは異質なものと触れ合う中で、葛藤をする事で悩み、成長をし、器を広げる事が出来るようになります。そうした事が各自期待されている事なのではないか?と思います。

また、転生の過程で発生する全ての行為や思いは全てカルマとして記録され、その行為の善し悪しの反作用として報いを受けることになります。すぐに報いが出る場合もあれば、来世霊界にて地獄にて罰を受けることもあるし、天界で良き報いを受けることもあります。または来来世かそれ以降に、様々な出来事が起きる中で段々とカルマが解消されて行く事もあるかと思います。

簡単に言えば、良いことをすれば幸運としてリターンがあり、悪いことをすれば悪しき現象が現れて、報いを受け、反省を促される事になる、と言う事です。

なぜそうした事が起きるかと言えば、自分も相手も皆が神の子としてその内に神性、神の性質を宿している存在であるため、相手を傷つければ、それは相手の内なる神を傷つける事となり、相手の内なる神に対する冒涜行為をしている事と同じ事になるからでしょうし、またそうした悪を成すことは、神の子としてふさわしくない行為をしたことになり、自らの内なる神への冒涜行為にもあたるから、神の子として反省と改善が求められているのでしょう?

相手も神の一部なら、自分も神の一部、神の一部どうし、同じ神と言う巨木の枝どうし、実は一体であり、実は奥でつながっている、実は相手も自分も同じ神の一部、実は一体、みたいな話なのです。だからそれにふさわしい生き方が望まれるし、自分も相手も大切にしあい、尊敬し合わないといけないわけです。

神の子どうしだからね。

だから相手を簡単に傷つけてはいけない。言動には注意しよう、と言う訳です。で、誤って不注意に人を傷つけたなら、できればすぐに謝ることです。直接謝罪ができなければ、せめて心の中で詫びることです。それが負のカルマの解消として大事です。

でも我々は負のカルマの解消だけが目的で生きているわけではありませんね。

我々の存在の目的は、各自が経験を通して神近き存在になって行く事が期待されているようなのです。と同時に、各人が各人の周辺を天国的環境に変えて行く事、すなわち小さなユートピアを出現させる事が期待されているのです。
それら二つも我々に期待されている大きな目標であり課題なのです。

なので、我々が転生の中、何度も生まれ変わってくる理由は、
転生の中、

①神近き存在に成長すること、
②小さなユートピアを周辺に作る事、
③悪しきカルマの解消、良きカルマの創出、

など、これら三つが我々が何度も生まれ変わる理由であり、大きな目標なんだ、と言えるかと思います。

①の神近き存在になる事が、一体どういうことかと言えば、それは、
簡単に言えば、神の如きキリストや仏陀や孔子やソクラテスやモーセやリンカーンやアインシュタインやエジソンのような存在になれ、と言う事になるかと思います。

神近き存在になるとは、
彼らのように、まず神を強く信じている人たちになる事でしょうし、この世とあの世に関し知り尽くした智者になる事でしょうし、キリストや仏陀のように優しく、慈悲深い存在になる事でしょうし、人々を正しい方向へと導ける強いモーセやリンカーンのようなリーダーになる事でしょうし、この世の肉体的生命の保持より、真実や正義や、神や人類への愛に生きることを優先できるような、そして間違った方向に行っている人を正しく叱れるような、そうした霊的確信を持ったキリストやソクラテスのような強い存在になる事が期待されているのではないかと思います。

また、アインシュタインやエジソンのように、各自の専門分野で秀でた存在になる事も大事でしょう。どの分野で活躍するにせよ、自己管理能力が高い人間になる事が大事なのでしょうし、プライオリティが付けられる人間、何を捨てるべきか判断できる人になる事なのでしょうし、集中力が高く、多くのことを短時間で切り替えてこなせる人になる事なのでしょうし、勤勉な人なのでしょうし、正直で嘘がなく、裏表のない人で、信頼できる人で、強くて勇気があって、辛い時期も耐えられる我慢強い人で、そしてベースが優しい人間で且つユーモアのセンスもあり、人々に方向性を示し引っ張って行けるリーダーなのでしょう。結果、多くの人に慕われる人なのでしょう。

そういう人を目指したいですね。

②の小さなユートピアを周辺に作る事に関しては、
嘘のない神を信じる人たちが、他人に良かれと一生懸命働く明るい環境が出現すれば、きっとそこは天国的な場所なのでしょう。それを家庭でも職場でも実現したいですね。

③の悪しきカルマの解消、良きカルマの創出に関しては、
悪しきカルマの解消がどう実現するかは分かりようがないので、未来を見据えて極力良いカルマを作る事に一生懸命であるべきかと思います。他人を褒め、喜ばせ、やる気にさせ、他人を笑顔にポジティブにできれば、きっとそれは善因善我、良きカルマを沢山作り出し、来世でも、来来世でも素晴らしい未来を運んでくれることでしょう。それは間違いのない道かと思います。

と言う事で、何よりまず、強く神と一体であると信じることが大事で、次に、互いに神の子どうし、仲良く、尊敬し合って生きたいですね。

そして、相手を傷つけたらすぐに詫びることです。で、道を外した人を見かけたら勇気をもって叱れる人になりたいですね。

そして、個人としては、霊的なことを含め世界を社会をよく勉強する事が大事ですね。高い集中力で多くのことを切り替えながら沢山こなせる能力を身につけ、この人生で多くの事を成したいですね。自分の属する専門分野で高い位置を目指したいです。で明るく励まし合い小ユートピアを周辺に作りたいですね。それをできる範囲でやれれば大分OKなのではないかと思います。

2)本性と実力差、

上記の通り、人は例外なく全員神の子達で、神の一部なのです。だから、その人が何が出来るか、出来ないかにかかわらず、皆、尊い存在なのです。だから、その人が何が出来ようが出来まいが、始めから尊い存在なのです。そこは外せないベースの真理です。

一方仕事においては、仕事のスキルの高い低いによって、評価も、立場も給与も変わって当然です。草野球を楽しんでいる近所のおじさん達と、大谷君の評価が一緒で良い筈もありません。

なので、本質的には全員神の子達なので偉大なのだが、仕事のスキルには大きな差があり、評価が分かれて当然かと思います。その差は素直に受け入れるべきです。

でも仕事のスキルの善し悪しで、その人の人格まで否定されるべきではありません。そこは要注意なのです。

3)未来世の活躍を願う

大谷君を見ていると、今世だけでも相当な練習量をこなし、それだけでも常人との大きな差を生む要因になっているかと思いますが、想像では、前世、前々世など、それぞれの過去世の人生でも相当良質な努力を生涯を通して何度も積み重ねてきており、そうした良質な人生を何度何度も繰り返してきており、大谷君の数千年にわたる良質な努力時間の累計の大きさは、我々凡人には埋めようがない巨大なギャップを生み出しており、如何ともしがたい巨大なものになってしまっているように見えます。

ただ、裏を返せば、我々凡人だって、今世や来世でよい努力を重ねていけば、何転生後かの未来世においてスーパースターになっている可能性だってなくはないのです。だから仮に今、晩年を迎えていたとしても、来世や来来世での活躍を信じて、他界するその日まで日々鍛錬し努力し続けていくべき、と考えます。

と言う事で、久々のカジュアルスピリチャリズム(カジスピ)でした。

では。

湖畔人




第868話.日本の未来は明るい?ジーン・ディクソンの占う未来の日本

2023-01-15 02:24:03 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

今週も、よもやまも音楽も陰謀論も休み。

仕事が忙しいのと、シオン長老の議定書は調査、勉強中だけど、まだまだ時間が掛かりますね。週末にチェックするのが基本なので、ちょっと進みが遅いです。

よもやまは、バイデンの機密書類持参の件とか、ツイッターファイルとか、無くはないし、西側のウクライナへの武器支援が露骨すぎて大丈夫か?って言うレベルの話もあり、指摘する点は無くもないけど、まぁ見守るしかありませんね。G7の首脳はイタリア以外は皆XXですね。バイデンと岸田氏はお似合いですね。腐敗臭がするとってもお似合いのイイコンビです。

ホントは、彼らG7の首脳共に、プーチンさんにキツーーーイお仕置きをして欲しい所ですが、悪者にされないようにうまくやらないとね。中々イイ手が無いですね…。

さて、今日は、陰謀じゃなくて、ちょっとした予言と言うか、そう言う類の話。しかもイイ話です。

まぁ、余り良い話、無いじゃないですか?昨日も一日中、救急車が会社の前を通っていました。毎30分ピーポー聴いていたイメージです。多分、ワクチンによる血栓で急死される方が多いのでは?皆、老衰で片づけてるけど、ここ1~2年の超過死亡の多さ、異常ですよね。どう考えても、ワクチン接種の進み具合と比例しているでしょ?
と、暗い話ばかりじゃあれなので、ちょっとイイ話を少し。

先週、ハウルの話で、先の大戦時も各主要国には、それぞれおかかえのサイキック達や占い師達がいたって話をしました。
その中で、USはジーン・ディクソンさんがそれだったって話をしました。
彼女は、FDRの死期を当て、米露冷戦の発生を予言し、ケネディの出現とその死を予言し、中共の怪物化を予言した超凄腕の予言者でした。

その彼女の予言によると、

”今後、反キリストの偽救世主が世に現れ、人類を破滅に導かんとするだろう。その者は、1962年生まれの男で、ウェーブがかかった黒髪が特徴の男だ。その男は、人類滅亡の危機が起きるその瞬間まで、陰に潜んで隠れている事だろう。

しかし、日本から本物の救世主が現れて、人類は滅亡の危機を脱する事になる。その日本から出た本物の救世主により、東洋の神秘的思想が説かれ、
まず日本に大きな変化が起きて、それが世界へと波及をし、キリスト教世界にも、大きな変化を与える事になるだろう。それにより、世界は日本を畏怖するようになる。そうして、人類は、2037年から、愛と平和の千年王国を迎える事になる。"

と言う趣旨の事を言われていたようです。凄いですね。捨てたもんじゃないです。ジャポン。

ジーン・ディクソンさん、お綺麗で、草笛光子さんの様です。ホントそっくり。草笛さんも、今年で90歳です。それであの美貌、凄いですね。妖精の類です。多分。

で、ボチボチ、シオンの議定書をやるかもしれませんが、文にあまりまとまりが良いもの(訳)が少ないのと、24項目あると言うのですが、内容の被る繰り返しが多々あるので、なんかちょっと微妙なのです。

それより、これらのシオンの議定書を実践した事で超大国アメリカを支配する事が出来たと鼻息が荒かった70代後半のユダヤ人政治家秘書の告白、"ローゼンタール文書"の方がシオンの議定書の実践編として面白いかな、と思えて来ました。

ちょっと考えます。

では。

湖畔人


第859話. 唯物論か 唯心論(唯神論)か、考えを定めて生きる=カジュアルスピリチュアリズムの勧め

2023-01-01 22:20:18 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

新しい方のブログ(ameblo https://ameblo.jp/kohanbito-2016/entry-12782124771.html) の方の為に書いた記事がまずまずの出来だったので、此方にも転載します。唯物論か 唯心論(唯神論)か、考えを定めて生きた方が良いよ、と言う記事です。以前も似たようなタイトルで記事を書いたことがありますが、まぁ時間も経ってるし、イイかな?と言う感じです。下記がそれです。では、どうぞ。

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一年の始まりですので、大事な話をしてみたいと思います。ここのブログのコンセプトである、霊的な人生観を持つ事の重要性について、ここでちょっとお浚いをしてみたいと思います。

(1)この世限りかあの世もあるか?

今回は、まずは、生き方を考えるにあたり、まず最初に、この世の意味、人間の定義に関する究極の問いから始めたいと思うのです。

それは、
我々人間は、死んだら終わりで、死後の世界は存在せず、この世限りの物質的存在、唯物論的存在なのか?

はたまた、 

人間は霊的な存在で、死後の世界は存在し、神様もいて、人間には期待された生き方があり、この世での生き方に応じて天国や地獄など行き先が変わるのか?

そうした究極の二択がまずあるかと思いますが、その選択次第で、我々の生き方と言うのは大分変って来るかと思うのです。

(2)あの世があるのであれば

もし、人間が霊的な存在で、死後の世界も、神様もいるのであれば、この世において、人間が期待される生き方、というものがあるはずなのです。そして、その期待にどの位応えられたかで、死後の行き先が変わるはずですね。

と言う事は、その期待された生き方を知って、それに沿うような生き方をする必要がありますね。こちらが真実であるとすれば、期待される生き方を知らず、勝手気ままに生きて来たとすれば、死後の行き先が不安ですね。

知らずに好き放題生きて、地獄行きでは困りますね。死後になって初めて地獄の世界を知って、人間に期待された生き方があった事実を知ったとしても手遅れだし、聞いてないよー、って困りますよね?

(3)あの世のある確率は50%

あの世のある確率は、あるかないか、その二択ですので50%です。半分の確率です。なので、どっちに転んでも同率ですね。

4)50%なら、ではどう選択する?

あの世のある確率も、無い確率も、両方50%なのであれば、仮に、死後何もなかったら、その場合、考える事すらできないはずなので、そうした想定は必要は無いですね。むしろ困るのは、あの世が無いと思ったら、本当はあって、人間に期待された生き方があったと後で知った場合ですね。そんな事死後に知っても困りますね。

だから、生きてる内から、
人間は霊的な存在であって、死後の世界も存在し、神様もいて、人間には期待された生き方があると思って生きた方が良い、と言う事になりますね。

(5)唯物論の根拠、進化論って当てになるの?

唯物論の根拠の一つに進化論があるけど、進化論って言っても、環境に合わせて爪が伸びたり、毛が伸びたり、部位が変化したり、そうした小さな進化はあるでしょうけど、でも、ダーウインの進化論は、"種"を超える進化が前提になってて、突然変異が何度も起きて、アメーバから種の壁を何度も超えて、爬虫類から、哺乳類になり、猿から人間になった事になってるけど、言っとくけど、種の壁を超えるって簡単じゃないよ?それって大変な事なんだよ。羊が人間になる、犬が人間になる、って、そんなん出来ないでしょう?種の変化の瞬間を見たことある人いるの?え?人類の歴史において、それがどんな動物であれ、種の壁を超えた進化の瞬間を目撃した人類はいるのか?って言う話です。結論としては、たったの一人もいませんね。ただの一人もね。

そう、進化論も、実は単なる仮設、そうかもねーと言うレベルの話に過ぎないのです。妄想の類です。

確かに、人間が胎内で大きくなる過程が、種の変化の過程を辿っているように見えなくもないけど、

一般的に科学的真理って言うと、実験室で何度も再現できる事実のみが科学的真理、と言われる事が多いかと思うけど、であれば、その進化の過程をラボで再現しなさい、出来たら信じてやろう、って話なのです。

ラボにおいて、
高熱でたんぱく質が存在しない原始地球と同じ環境を再現し、そこで、無機から有機物を出現させてみなさい、せめて、単純なミジンコの類で良いから、無から自力で動く有機物、生命を生み出して見なさい。出来たら、信じてやってもいい。

そして、遺伝子操作抜きで、気温や、雷による放電や、磁場の変化などでもって、種の変化を起こして見なさい。どうせできないから、やってみなさい。それが出来ずして、進化論を科学的真理として扱うべきではないよね?

この地球に多種の種が存在するのは、遺伝子工学による種の創造が嘗てあったから、と考える方が自然では?

それが神による霊力によるワンショットな創造か、
神による単調な生物に複数回の遺伝子操作を重ねた結果か?、
それとも、嘗て地球に存在した、高度に進化した科学文明を持った先祖達による遺伝子工学の成果か?
はたまた、より進化した他の惑星の人類型生物による遺伝子工学の結果か?

そうした遺伝子工学的理由で説明をされた方が、まだ、よぽど納得がいくのです。

それを偶然と自然環境で種の壁を超える?突然変異で?って冗談だろ?って思うのは自分だけでしょうか?

突然変異が一匹生まれても、新しい種は出来ないよね。同じように突然変異をした奇形生物が複数同時多発で発生し、彼らの間で子孫を残さないと、新しい種にはならないのよ。でもそんな事起きないでしょう?見たことある人いるの?いないよね?じゃあ、何を根拠にこの進化論を科学的真理として受け入れているんだ?騙されているだけじゃないか?X鹿か?って話なのです。なので、進化論は論拠として弱いのです。当てにならない。と言う事です。

進化論より遺伝子操作による種の創造の方がよっぽど納得がいきます。

(6)唯物論と唯心論(唯神論)、どちらが流行った方が世の中が良くなるか?

これは、前話でもシミュレーションしたけど、
極端な話をすると、
唯物論だと、特に唯物論を国是とする共産主義国では、国単位で見た時に、人間が単なる国を構成する部品となり、国家に逆らうと簡単に殺されるようになるよね。要は粛清です。共産主義国における粛清の犠牲者は1.5億を超えるといわれています。中国みたいに、国のメンツの為に、人々の自由や人権が制限され、人命が軽視される世界は、やはり大問題だよね。

個人においても、
あの世を意識せず、神仏や故人の霊たちに、心根まで見られていると言う認識が無いと、心で何を思おうが、それは他人に知られる事もないと思うので、人を貶める事も、悪意を持って生きる事も、嘘を付く事も、盗みや他人を傷つける事も、全く気にも留めなくなり、人としての良心が枯れていく事になるでしょう。何を思おうが、何をしようが、他人にそれがバレて、法に触れて刑務所に入るような面倒な事になりさえしなければ、何をしても良い、この世が全て、生きているうちに出来るだけ楽しみ、バレさえしなければ、詐欺も、浮気も、窃盗も、イジメも、麻薬も何でもあれ、自分の欲の追及だけを最優先するようになるでしょう。

そうした人達で街が溢れかえれば、街は治安が悪化し、学校はイジメと破壊で荒廃し、犯罪率も高くなり、窃盗や、ゴミのポイ捨て、詐欺や殺人や麻薬や売春が溢れるこの世の地獄が出現する事になるだろうと思われるのです。

それは、まるで、バイデン政権下で悪化したペンシルバニアのフィラデルフィアに溢れかえる麻薬中毒者の群れのようなものだろうし、
ロスに溢れかえるホームレスの群れのようなものであり、そうした生き地獄がいたるところに出現する事になるでしょう。
人、一人一人の思想の持ち方で、世界はどこまでも荒んでしまうです。

一方、神を信じ、神や故人が我々の心根まで見ており、恥ずかしくない生き方をすべきと考える人々が多い世界では、自分も他人も神の子として見、互いに尊敬しあい、この世を修行の場と捉えるので、仕事や学業を通じ、各個人のベストを捧げ合い差し出し合う、理想的な世界であり、イジメもなく、そこにあるのは、尊重、尊敬、信頼、相互補助の精神、となり、まるで天国の様な世界が出現するはずです。

なので、唯物論を信じる人達が多い世界より、唯心論(唯神論)を信じる人達が多い世界の方が、より安心だし、安全だし、子供達を預けられる世界だよね。(もちろん、狂信的な、一部の人達だけに都合の良いような偏った思想はNGだけどね。あくまで普遍的な思想、誰にでもフェアな思想を前提にしています)

なので、神を信じ、あの世を信じる人達が多い方が良い、と言うのが私の結論です。

(7)唯心論が良いとして、より具体的にどう言った思想を持つべきなの?

私には尊敬する宗教家もいれば、かくあるべしと言う理想の宗教的世界観がありますが、ただ、ここでそれを押し付ける事を目的とはしていません。

あくまで、神を信じ、死後の世界もあり、神の子として期待された生き方もあり、そうした世界観を意識しながら生きた方が良いよね、と言う思考の整理のお手伝いのつもりで、ここでやっています。

ただ、やはり普遍性は追求したいのです。誰にでも当てはまる真理、どの時代にも、男女や国に拘わらず、全員に対しフェアであるべき、と思っているからです。

何故なら、私の信ずる究極の神は、人類を一人残さず愛している存在で、失敗も転生の中の償いを通して許す存在で、全員が互いに影響し合いながら成長していく事を望んでおり、人類全体の成長が、神としての進化にもなると思われている存在、と信じているからです。

なので、外せないポイントとしては、

外せないポイント① すべての人間が神の子達であると言う視点です。

全ての人々が神と繋がっており、神と言う名の巨木の葉の一枚一枚が我々人間である、と言う見方です。神の子であり、神の一部でもある、と言う見方ですね。

別の言い方をすれば、神と言う名の巨大な人間の、その巨体を構成する細胞の一つ一つが我々であり、ある人は神の右手の掌の甲の皮膚の一細胞であり、ある人は、神の背中の皮膚の細胞の一つであり、ある人は背骨の細胞の一つである。それぞれ役割も姿も目的も違えど、皆、神の一部であり、神と同じDNAをその内に宿している。でも、各自小さな存在なので、神の全貌がどうなっているか理解できる立場になく、神が一体いつ生まれて、一体どこから現れ、一体どこに向かっているか、それすら知らないのが我々です。我々は神そのものではありません。神ではないのです。だって宇宙の始まりも知らなければ、生命の創造もできないでしょう?そう、神ではないのです。でも、間違いなく、皆、神のほんの僅かな一部であり、神の子達であるのです。そして、我々全員が、皆、神の一部として兄弟なのです。故に、全人類はその目的や姿形は違えど、互いに尊重すべき仲間である、と考えるべきなのです。

なので、自信を無くしそうな時には、自分が神の子の一人でもあり、全能の神と繋がっているのですから、その事実を思い出し、自信を取り戻すべきだ、と考えるべきですね。我々は最強の神の一部であり、既に全てを持ち合わせた完璧な存在の一部でもあるはずで、目の前の現象に捕われすぎて、自信を失うべきではない。時々、神と繋がっていると言う、その本質論を思い出して、自信を取り戻すべきだ、と言う事です。

外せないポイント② 修行の為に、この世に何度も生まれ変る、カルマの解消とユートピア建設

神の子である我々ですが、その得手不得手もバラバラだし、各人の成長過程はまちまちで、人の数だけ個性も存在するし、転生の中で獲得した実力差もとっても大きくて、転生で作るカルマ(いい事も悪い事も過去世で成した全ての行為に伴う責任と反作用)の解消のテーマも各人バラバラなのです。

でも、各人が、各人の人生のおいて各人の課題に向き合い、その課題を克服すべく、皆チャレンジをして人生を過ごしている訳です。各人が克服すべきテーマはまちまちだし、そこに良し悪しはありません。各自、それぞれの課題に真剣に向き合い、克服する事が期待されているのです。

ある時は、日本人として、ある時は男子として、ある時は中国人として、ある時はフランス人として、ある時は女性として、別の時は、今の妻の母親として、ある時は彼女の息子として、と、近しい人間関係の中で、様々な役割を演じ、群として生まれてきているようです。

各人の課題、弱点を修正しつつ、魂の凸凹を磨き、玉の如き丸みを得、同時に強みを伸ばし、魂自体をより大きく、よりバランスの良いものにし、その強みを仕事や教育を通して各自、自らのベストを提供して、この世をユートピア化していく事が期待されている訳です。

キリスト教においては肯定されていない転生の思想ですが、553年にコンスタンチノープルで開催された第二回宗教会議において否定されるまでは、キリスト教の教義にも輪廻の思想はあったようです。人生が一度きりで、その成功、失敗で、死後、"永遠"の地獄の業火に焼かれる、なんて言う考え方は余りに不公平で、狭い考えに見えますね。なので、輪廻の思想は外せませんね。

転生の中、あの世では天国的な場所もあれば、地獄的な場所もあるようですが、その地獄と言う世界も、他を害する人達が波長導通で集まっているだけなので、似た者同士が集まり、互いに足を引っ張り合う世界なので、ある意味、自分自身の鏡のような世界であり、こんな性格の悪い人達とは一緒にいたくない!、もっと他人を信じたいし、愛したいし、寛容でありたい、これらの人達はまるで自分自身の様で、なんかとても恥ずかしいし、一緒にされたくない、と思えば、段々と波長導通をしなくなって、その世界を卒業できる訳です。それが地獄を出る瞬間です。天国も地獄も自分の心の傾向次第、と言う事で、地獄はリハビリ施設、魂の矯正施設みたいなもんで、永遠にとどまる場所ではないので、その点は知っておいた方がイイですね。

と言う事で、人類皆神の子、という思想と、輪廻の思想、その二点は絶対抑えておきたいですね。

(8) 具体的にどうするか?

では、日々の生活で、具体的にどうするか?ですが、何となく生きていては段々と忘れて行くので、最低一日一回は究極の神に祈る場を設けたら良い思います。自分が繋がっている究極神に、今日も神の子として、他の神の子達と仲良くし、自分の精一杯を仕事を通して発揮して、この世に生きる使命を果たさせてください、と祈り、日々しっかり働けるといいですね。

で、出来れば、一日の終わりに、それらがチャントできたかどうか、振り返りが出来るといいですね。段々精度が上がれば、神の子に相応しい素晴らしい現実が周りに出現してくるはずなのでね。段々と、神の子に相応しい現実が現れて来るのです。

現代日本には、相当高次な宗教的真理を説けるご存在がおられるので、できれば、そうした偉大な方の著作に目を通して、霊的世界の世界観を学ぶ機会を得る事をお勧めします。毎年ベストセラーを出されているので簡単に見つけられる筈です。お薦めします。

(9) 結論

と言う事で、結論としては、
あの世がある確率は50%なんだから、あると思って生きるべきだし、あるのであれば、神の子としての自覚、霊的人生観を持って、生きるべきで、毎日、神に祈り、神の子として仕事や学業を頑張り、一日が終われば振り返りをして、その出来具合を点検する、できれば、本屋で、偉大な宗教家の教えも時々学んでみる、そんな感じでしょうか?

と言う事で、これが一番言いたい事です。

で、世界には、こうした霊的な真相を人類から隠し、人々を唯物論と恐怖の中に拘束させ、隷属させんとする悪しき陰謀者達がいるので、陰謀論でもって、そうした悪しき輩に気を付けるよう、警告を発して行きたいと思います。

では。今年も一年、宜しくお願い致します。

湖畔人