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第1052話.個人近況報告 4月14日 鳥が知らせる何か?

2025-04-14 01:13:34 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

月曜ですが、週末更新です。
今日は珍しく個人の霊的な事柄について少し。

霊感も鈍く、霊能力とか無縁な人間なのですが、でも皆無かと言うとそんな事も無くて、長い人生の中では幾つか不思議な出来事も、あるにはありました。

最近は、来たるべき変容の時代に向けて良きアンテナになるべく、バイノラルビートを聴きながら良い姿勢を保ちながら深い呼吸をして、根源なる神との繋がりをイメージする事など、色々やっており、段々とそれもライフワークになりつつあります。

それらをやっているせいなのか、星の導きか、プレアデスの古の設定が動き出したためか、正直わかりませんが、色々と不思議な事が起き始めているのも事実です。

●深くゆったりした呼吸

まず、呼吸が深くなり姿勢が良くなりました。お陰で代謝が上がったのか少し瘦せました。

元々喘息持ちで、深い呼吸をすると咳き込む感じだったのですが、不思議と深く呼吸しても平気になりました。これはアンテナ化を目指す身としてはとても嬉しい改善です。

呼吸をする際には主に腰の裏を動かして、背骨を意識しながら深く息を吸ったり吐いたりしています。背骨を上から数えたり、下から数えたり、息がお腹の底まで届くイメージをしつつ、深い呼吸が出来るように心掛けています。

背骨は、まず尾骨があり、次に仙骨があって、そこからお腹の骨、腰の骨、腰椎が5個あって、次に胸の骨、胸椎が12個あります。自分は胸椎の下の6個が段々後ろに膨らみ、上の6個が手前に段々戻り、首の付け根までくるイメージを持っています。

次に首の頸椎が7個あって頭に繋がっていくイメージです。

よって首の骨が7個、胸の背骨が12個、お腹の背骨が7個、と数えながら息を上げ下げするのです。このやり方はだいぶ慣れてきました。

深い呼吸は丹田にある光の泉を経由して根源なる神と繋がっているイメージを与えてくれるので、なんかとてもイイのです。

根源なる神とは、頭の上、外部からも、お腹の中、内部からも繋がれると勝手に思っています。

●気づきと明確な夢

ここの所、ずっと探していた物や人に突然出くわす現象が立て続けに起きています。別の目的で探し物をしていても、結果的に前からずっと探し続けていた物が突然眼前に現われたり、会いたかった人物と偶然出会ったり色々するのです。それが何度か続くので不思議な感じを受けています。

後、夢が超明確で、且つ懐かしい感じがするのです。夢自体は良かったり悪かったり色々なのですが、状況がどうであれ、自分の意志で状況を改善、コントロールできるのが特徴で、場を支配してんなーと実感できるのが特徴なのです。

●動かない鳥

それと、湖畔を散策していると道端で動かない鳥に時々出くわします。
普段見ない真っ白なハトが道端でうずくまっていて、普通、車が通ると飛び立つものなのですが、何故かジッとしているのです。この間はその同じ場所で、珍しい模様をしたカモメに遭遇しました。なんかその辺りはパワースポットなのか、なんなのか分かりませんが、その辺りの鳥は動かないのが特徴なのです。何かメッセージ性を感じています。

先日あったのは、通勤路に道祖神?の祠があるのですが、そこにカラスが降りて来て、祠を覗いては動かないのです。普通、車が近づくと飛び立つものなのですが、全く動かず祠をじっと見つめているのです。”お祈りしてるんだから邪魔するな!”と言わんばかりの態度ですが、なんか変な状況なのです。

鳥は、現実でも夢でも色々メッセージを運んでくる存在なようです。

以前はしょんぼりしているとキジバトがあの寂しげな鳴き声でよく癒してくれましたが、最近はイソヒヨドリが体調を悪くしていると近くに姿を現してくれて、あの美しい鳴き声で癒してくれています。あと、ホオジロもね。

嘗て、まだ海の近くに住んでいた中学生の頃は、夢の中に、極彩色のカワセミの様な青ベースの首回りがカラフルな、でもカワセミよりもっと丸くて、まるで10円玉の様に横から見ると真ん丸なのに、前から見ると線みたいに細くて、小さな羽根が付いた変な形の鳥が現れて、その鳥が空中をぴょんぴょんと跳はねるように近づいて来たのですが、家の垣根に頭からつっこむと言う不器用さ具合で、なんかとっても間抜けで変な鳥なのですが、その鳥は口を開くと、小さな歯がいっぱい付いていて、その口から人間の言葉を話すのだからもっと驚きなのです。その鳥は、口を開くと、こう言いました。"オイXX、まだ間に合うから心配すんな!元気を出せ!な!"的な事を言っては慰めてくれました。
どうも自分は昔から鳥に救われる人生のようです。

後、最近は目の前にまるで生き物の様に枯葉が現れて何か主張をして来るのです。枯葉に訴えをされるって、もう、死ぬのだろうか?

あ、後、自分もここで不幸の予言について度々書いてますし、悪い陰謀を持つ方々の動きを注視するのは大事だとは思うけど、でもどうも、霊的にレベルアップする方向性は、恐怖からの脱却にあるようなので、予言もあまり恐怖ベースで気にするのはそろそろ止めないと行けなさそうです。動機が恐怖ってのは動物的なのです。レベルが低いと言う事です。備えは大事だけど、神と繋がる事と、神の一部としての自分、であろうとする事の方にもっと集中する事の方がずっと大事なようなのです。その点、今後は気を付けて生きたいと思います。

では。

湖畔人


第1051話.自分のGooブログ"湖畔人の呟き"の振り返り 第3話.一度きりの人生を大切に生きる為に 目標 モットーを決める

2025-04-06 21:38:13 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

さて、第1047話でもやりましたが、過去記事の振り返りをまたやろうと思いますが、当初、これをやろうと思い立った時には実は10話分ぐらいまとめてレビューできないかな?と思っていたのですが、ブログ始めた当初は気合が入っていたのか、大作が多く、中々簡単にはまとめられそうにもないのと、そこそこ完成度の高い、いい事言ってるので、そのまま下記に再アップしようと思います。

2016年の記事なのでほぼ10年近く前、厳密には9年前の記事ですが、当時の自分は大分良い事言ってましたね。当時から実はあまり成長していないのかもしれません。

ただ、下記に付け加えるとすれば、過去にも書いたことがありますが、

来世を見据えて、来世いいスタートが切れるように、地力を上げる努力、苦手を克服する努力をしておけば、来世でつまらない所で躓く必要もなくなるので、来世を見据えた準備をする、って考えもあるかと思うのです。

自分は鉄棒とか器械体操が苦手なので、引退したらこっそり鉄棒のトレーニングをするつもりでいます。

では過去記事再度アップします。

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第3話. 一度きりの人生を大切に生きる為に【1】 目標、モットーを決める
2016-07-24 14:44:41 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観

湖畔人です。

今回は、人生をよりよく過ごすために、人生の目標設定、モットーの設定をすると良いですよ、目標設定、モットーの設定をする事で、自分の残りの人生で成す事を明確に出来、責任感、納得感が増してとても良いですよ、お勧めですよ、というお話をさせて頂きたいと思います。

(1) 一度きりの人生

私は転生輪廻を信じる者の一人ですので、人は何度でも生まれ変わると思っています。

でも、そうであったとしても、この時代に、この名前で、この家族構成や知人構成、この社会環境で、そして、それらのコンビネーションの中で生きる人生は、たったの一度きりだと思います。よって、替えのない、たった一度の、オンリーワンの人生という事になります。ですから、今の人生は、とっても、とっても、尊く、大切な人生なのだと改めて思う訳です。であれば、何となく漫然と人生を過ごすのではなく、是非しっかりと、納得をしながら、後で後悔しないような、ベストを尽くしたなーと後で思えるような、そんな生き方をしてみたいと思うのです。

(2) 何を成したいか自分に問う

後悔のない人生を送る為には、まず、自分自身に問い掛けをし、自分はこの人生で、残りの人生で何を成したいのか、一体何をしないと後悔してしまいそうなのか、それらについて、自分なりの回答を得て置く必要があると思うのです。

それは、誰に相談するでもなく、自分が自分自身に対し問うべき事だと思います。静かな環境に身を置いて、自分で自分に問い掛けをし、考えをまとめて置く必要があると思います。後悔のない人生を送る為には、自分の人生の方針決定は、自分自身ですべきで、他人に聞いて決めては駄目だと思います。

親でもなく、子でもなく、友人でもなく、何より自分自身が、自分自身に対して、問い掛けをする。自分が死を目前にした瞬間を想像しながら、一体どう生き、一体何を成したら、自分自身に対し、『よくやった、生き切った、後悔のない人生だった』 と、言えそうのなのか、自分を納得させられそうなのか、
逆に、何を成さなかったら、自分は自分の人生に対し後悔をしてしまいそうなのか、それらの問いに対し、自分なりの回答を得ておく必要があると思うのです。

でないと、弱い我々は、自分の人生に起きた様々な出来事を、周りのせいにして責任転換をしてしまいがちだからです。周りが悪い、社会が悪い、家族が悪い、同僚が悪いと、自分の境遇を周りのせいにしてしまいがちです。

でも、皆さんご存知の通り、自分の周りで起きている事柄に対し、自分がどう感じるかは、自分の感じ方次第なのです。鳥の囀りですら、人によっては騒音にも聞こえるし、人によっては癒しと捉える人もいます。自分に起きた出来事への自分自身の評価は、実は絶対的なものではなく、自分自身の感じ方次第なのです。自分の人生の幸、不幸は、自分の感じ方次第なのですから、結局、自分の人生の幸、不幸は、自分が決めている、という事になるのです。自分が決めているのであり、自分の責任範疇なのです。

その点をハッキリさせるためにも、自分自身が自分の人生に対ししっかり折り合いを付ける為にも、自分で自分に向き合い、何をしたら自分の人生に満足するか、何をしなかったら自分の人生に後悔しそうなのか、と問い掛け、納得を得るために必要な、達成目標なり、人生のモットーなりを、自分なりに整理し言葉にしておく必要があると思うのです。

この作業は、大変孤独な作業なのではございますが、人は元来、孤独な存在ですし、生まれた時も一人、死ぬ時も一人で死んで行く孤独な存在なのですから、一人死を迎える時を想像しつつ、自分にとっての納得のいく人生について、一度しっかり思いを巡らせておくべきです。ある意味、終活のようなものです。そして、一人静かに自分に向き合い、自分で自分の人生をどうしたいか決めておく必要があると思います。そして、そこで決めた目標やモットーに向けて全力で生きるべき、なのだと思うのです。

(3) 幾つになってからでも、何度でも

この作業は、できれば人生の前半に、出来るだけ若いうちにやる方が望ましいのは当然の事です。それだけ、早いうちから人生に真剣に向き合う訳ですから、若いうちにやるのが望ましいのですが、一方、別に年を取ってから始めたって全く何の問題がないとも思うのです。
何故かと言いますと、実際、この自分の目標やモットーを見出す作業を繰り返して行くと、始めは高く設定した大きかった目標も、時の中で、段々と自分の実力を知るにしたがって、次第に、目的が縮小、変形せざるを得なくなるのが普通だと思うからです。若い頃に設定した目標の大きさと、年を重ねてから縮小した目標を比較すると、その違いに驚きますし、如何に若い頃の自分が己を知らず、分不相応な大きな夢を抱いていたかと驚くものです。大きな夢を抱くことは若者の特権ですから、それはそれで良いと思いますが、大きな夢を描いた分、挫折や落胆が大きいのも事実です。だから、私は、自分が思う自分の実力から少し背伸びしないと届かないくらいの目標設定が調度良いと正直思っています。そして、もしその背伸びした目標を達成する事ができたなら、その時は、また目標の上方修正してやって行けばよいと思っています。大事な事は、自分で自分の人生に対し納得をする事だと思うので、それ位が宜しいかと思っています。

一方、年をある程度取られた方は、自分の実力、限界、得意な事、不得意な事、体力と財力の限界等、若者に比べればずっと現実的な目標設定が出来ると思いますし、特に人生の後半、終盤を迎えんとするならば、終活の一環として、残りの人生を自分の納得を伴ったものにする為にも、自分に向き合い残りの人生で成したい目標やモットーを決め、それに向けて全力で生きるべきだし、後悔のない人生を送ってほしい、と、そう思うのです。

ですので、この目標設定の作業は、幾つになってから始めたって全く問題なしです。年を取ってからでも、兎に角、思い立ったらその日の内に、自分への問い掛けを始めるべきと思います。自分に問い、『この人生でこれを実施しないと死んでも死にきれん』、と思える事柄をリストアップしてゆくのです。

それがもし大きな目標であるならば、実現可能なサイズに目標を小分けにして、少しずつ達成できるようにした方が望ましいと思います。きっと、その方が、目標達成の喜びを味わいつつ人生を過ごしてゆく事ができるからです。大切な事は、自分で決めて、自分で自分の人生に納得をする事なのですから喜びを伴った方が良いのです。ですので、この自分への問い、目標設定の見直しは、頻度良くやって頂きたいと思うのです。

(4) 第一のポイント:身の丈にあった目標

先に申し上げました通り、目標も時の中でどんどん小さく変形して行くのが常ですので、目標設定の見直しは、最低年に1度、できれば毎月1回、可能であれば、毎週1回位のペースで行っていただきたいものです。そして、その目標の中身を、自分の実力、身の丈に合ったものに整えて行って頂きたいと思います。目標をあまり高くしすぎますと、人によっては現実と理想のギャップに苦しみ、ストレスを抱え、体調や心理状態に支障をきたし、次第にあいつが悪い、社会が悪いと、周りを否定し始め、否定的な思考に支配されがちになるからです。でも、大切な事は自分で自分の人生に納得をする事なのですから、それではいけません。

自分の分を知り、実力を知って、身の丈にあった目標やモットーに変えて行くべきだと思います。これが、目標設定の注意点の一点目です。

(5) 第二のポイント:自分にとっても社会にとっても良い事

別にその目標が大それたものである必要はないと思います。明るく元気に生きるとか、明るく健康に生きるとか、人に親切にする、とか、そうしたシンプルな目標、モットーでも全く問題ないと思います。それが、周りに迷惑をかけず、ポジティブな物であれば、全く問題ないと思います。大切な事は、自分の人生の目標やモットーを自分で決め、自分の人生に納得をする事なのですから。

ただ、目標を達成する事が、自分にとってはいいが、周りにとっては迷惑、社会的にとっては悪、そういう目標設定は避ける必要があります。これが目標設定の注意点の二点目です。

やはり、自分がなさんとする事が、社会にとっても、周りにとっても良い事である、という風にしたいものです。目標を達成する事で、環境を汚し、人に迷惑をかけ、仮にそれで財を成したとしても、周りで苦しむ人達が多く、そこに不平不満が生まれ、恨みが残れば、自分だけでなく、最悪、家族や子孫にまで災いが及ぶようになり、不幸が拡大してゆきます。自分だけでなく、末代にまで禍根を残す事になるのです。

ですから、その目標の中身を確認し、その目標を成す事で、自分にとっても周りや社会にとっても良きものにする必要があるのです。目標を達成する事で自分も満足し、周りや社会にも有意義で、周辺に笑みや幸福が広がり、更に財も残し、評判も残し、その姿勢そのものが人々の励みとなる。そしてその評判と尊敬と財は、子孫に受け継がれて行くとするならば、それは、幸福の輪が二重、三重と広かって行く事となりますし、それは素晴らしい目標の達成、自己実現の姿、と言う事ができるかと思います。

出来うるならば、そうした自他にとっても未来にも幸福感を残す良き目標設定とその達成を目指したいものです。

是非そうした社会正義に見合った目標設定ができるよう、頻度良く目標の内容やモットーの中身の見直しをして行きたいものです。

因みに、自分の話をしますと、自分の目標、モットーは、本当にスケールが小さすぎて、大変恐縮なのですが、匿名をいい事に告白しますと、

私の人生目標とモットーは下記7条となります。

第一条: 自分が正しいと思う精神態度を常に保持せんとし、日々それを意識しながら生きる事。これが一番目です。

第二条: 次に、社会の一員として、町の行事等には出来るだけ参加し、特に、町を綺麗にするイベントには参加するようにして、自分の家とその周辺を常に綺麗に保たんとし、街の雰囲気向上に努める事、これが二つ目。

第三条:会社の一員として、会社と社会の利益が一致する方向になるよう、常に意識を払いながら、誰よりも仕事における知識を蓄積し、最適な判断を下せる存在にならんと日々精進する事。これが三つ目。

第四条:子供たちが一人前に自立できるまで、しっかりと養育する事。(親としては普通ですが)

第五条:ローンを払い、家を無借金状態にして家族、子らに手渡す事。(これも大分先の話になりそうですが、何とか実現したいです)

第六条:ブログを開始し、ブログを通して、自分の正直ベースの考えを世に問い、共感できる方々と意見を交換し、シェアし、共感し、励まし合い、影響し合う事。(今ちょうどやらんとしている所です)

第七条:そしてそれら全てがうまくいくよう日々神仏に祈り、助力を得ながら神仏と共に人生を歩んで行く事。

それら七条が、私が私自身に課した、人生の目標というかモットーです。

改めてこうして見てみると、本当にスケールが小さく、何とも恥ずかしくなってくるのですが、でもまあ、本当の事ですから、致し方ありません。これが等身大の自分自身の姿、自分の人生の目標、モットーなのです。

ですから、こうしてブログを通して、自分の考えを世に公表するという行為自体が、実は、自分にとっては、大きな自分の人生の目標の一つを達成している最中、と言う事となり、正直言うと、とっても嬉しいし、とっても幸せです。でも、ブログをやる事自体は、別に誰にでも、直ぐにでも出来る事ですし、私としては、身の丈にあった目標設定になっていると自負しておりますし、気に入っております。

こうして、実現可能な目標設定を持つ事は、人生の充実に大きく役立つと思います。

一つ申し上げると、これら7つの中で最も重要と思える項目は、一つ目の”自分が正しいと思う精神態度を常に保持せんとし、日々それを意識しながら生きる事”だと思っています。

何故そう思うか、それはまた別の機会に説明させていただきます。

ご参考になれば幸いです。

湖畔人

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と、これが過去記事でした。

子供たちは一応独り立ちしたので、第四条はもう卒業ですが他は変わりません。

では。

湖畔人


第1036話.2025年のマニフェスト 改訂①

2025-01-01 10:32:50 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

さて、色々起こると噂される2025年ですが、どうぞ皆さま健康に気を付けて、元気で良い一年をお過ごしいただければと思います。

私ですが、今年も自分に正直にタブーを恐れず真実(真理)の探究をし続けて行きたいと思っています。

昨年の最終話では、人は神の一部、神の細胞の一個に過ぎず、それは、手の甲の細胞一個みたいなもんで、それ自体では大したことはできない云々、と言いましたが、実際そうで、ある人は髪の毛の細胞の一つ、ある人は骨の細胞の一つ、ある人は手の甲のの細胞の一つ、みたいな感じで、役割も見た目も皆バラバラですが、でもそれぞれが神の一部なのです。そして、各自が属する部位から神の顔を見ようとした時の神の見え方もみな違ってくるはずなのです。

ある人にとっては神の顔の位置は右上に見え、ある人にとっては神の顔の位置は真上に見え、いや真下に見えと、どの部位に属しているかで神の見え方が変わって来るはずです。

そういった状況が真実で、皆神の子、神の一部どうしなのに、"君の言う神は僕のとは違う、おかしい"、とか言っていがみ合っていますが、それは立ち位置がそれぞれ違うだけの話なのです。本来同じ神と言う一つの大きな体の一部どうしなのに、何故かいがみ合って殺し合いまでしているのが愚かな我々です。自分のある細胞が他の自分の細胞を攻撃する様は、まさに癌細胞そのものです。そういった愚行は止めなければいけませんね。

そうした愚かしい行為や批判は止めて、各自が各自の役割に徹するべきなのです。そうすれば本来の神の一部としての姿に戻る事が出来ます。

その上で、各自の違いを認め合い、皆同じ神の一部どうし、皆仲良く、と、願い自制すべきなのです。

国同士も同様です。世界政府の元人類が皆画一で、国も皆画一で、なんて姿を目指すべきではなくて、各国それぞれ違った歴史と文化をもってますので、その個性を大切にしつつ自主独立し、主権国家となるべきなのです。その為には、各国それぞれの国々が経済的にも軍事的にも自主独立し、そうした独立した違う個性を持った国家どうしが、それぞれの違いを尊重し合いながら共存を目指すべきなのです。それはトランプさんやプーチンさんの考え方そのものかと思われます。

画一化を求める共産主義のまずさは本当は各自や各国が違った役割を持っているのに、それを強制的に画一化しようとするのが、理に反している、あるべき姿からズレている、あるいは、神の願いに反している、だからマズイのです。本当は、各自役割がバラバラで、ある人(国)は髪、ある人(国)は骨、ある人(国)は内臓、とか各自それぞれ違った役割を持っているのに、それを無理やり中央政府の命令で"皆皮膚細胞になりなさい"と役割を画一化しようと強制するからマズイのです。それでは全体としての神と言う体が機能しなくなるので本質的にマズイのです。だから共産主義はダメだと言うのです。

各自が各自の役割に徹するには、各自が自分に正直になり、好きに徹するべきなのです。それが神の一部として本来の姿に戻る、と言う事であろうかと思います。勿論それが他人に迷惑を掛けない事が大前提ですが…。自分の好きに徹する事が誰かを不快にさせたり傷つけるとしたらそれは本来の神の一部なったとは言えませんね。本来、それぞれが、それぞれの役割に徹すれば、神として体調も良くなるはずで、他の部位に負担がかかるようなら何かが間違っている、と言う事です。成長過程で、何か歪んだものが形成されてしまっており、それは修正が要ります。

マツコ・デラックスさんの『マツコの知らない世界』って番組がありますね。あれ、自分が一番好きな番組の一つなのですが、あの番組に出て来る自分の好きに徹している人達は、各自が自分自身に正直で、各自が自分の役割に徹している姿とも言え、ある意味、それは神の一部に近い方々、とも言えるのかもしれません。

勿論、人類の殆どは普通の人達で、あんな極端にはならず、色んなことを表面的にちょっとずつ中途半端に楽しむのが普通の姿であって、ああは行きませんね。でもそれは神の体の表面の大部分を占める皮膚細胞みたいなもんで、ある意味それが主流であって、それがその人の正直な姿、その方の個性であって、それはそれで良いのです。肯定すべき正直な姿なのです。

兎に角自分に正直になる事が大事です。

私も、"霊性の開発こそが生まれて来る意味"と、このブログでずっと訴えてきましたが、でも一方で、霊感はからっきしなく、そうした霊的世界には関わって来ませんでしたが、今後はその辺りも食わず嫌いをせず、しっかり向き合ってみようかと思っています。意外と霊能者になっちゃたりして。なんてな。

では。本年も宜しくお願い致します。

湖畔人

2025年1月1日改訂


第1025話. イエスとエッセネ派に関する小話⑥ スディー的視点からみる(1)死海(2)ピラミッド

2024-10-27 23:47:02 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

毎回同じことを書きますが、昼はますます急ぎ足で短くなって、4時から大分夕暮れ感が出て、4時半には薄暗くなり、5時にはかなり視界が悪くなるほど暗くなります。まだ暖かいけど、日の短さだけは11月風です。

10月と言えば一部で大地震が噂されていましたが、まだ来ない感じですね。
11月の10日辺りまで警戒しておこうと思います。

世間では大谷君がワールドシリーズで活躍もケガをしたみたいですね。脱臼みたいですが、早く良くなって欲しい所です。紳士なフリーマンが重要な活躍が出来たのは何よりです。

日本の選挙はあまりあれですが、USではトランプさんが大分勢いがある、地滑り的勝利確実、なんて言われていますね。前回みたいに不正が無ければ勝ちは確実でしょう。でも何でもやるからね。民主党。彼らほぼ犯罪集団だよね。ホント。

さて、と言う事で世事もあまり書くことが無いのでエッセネやります。

今週はスディー(退行睡眠の対象者の過去世でイエスに律法を教えたクムランの先生)の解釈する死海とピラミッドについて。

(1)死海

死海が死海と言われる所以に関し、インタビュアーが、"それは塩分が多すぎて植物も育たないからでしょ?"と言うと、スディーはそれを否定し、"そうではない、死海があった場所には嘗てソドムとゴモラと呼ばれた土地があり、退廃した街だったので、ヤハウェの怒りを買い滅ぼされ、滅亡し、埋没し、死海となったのだ、だから何も育たないのだ。”と言います。

且つ、滅んだ要因は"放射能だ"と言うのです。当時の人がそうした放射能と言う見えない存在を認識していたのには驚きですが、そもそも当時は核分裂なんて起こせないだろうし、今一つ分からない説明でした。

ただ、当時その土地には松脂や樹脂などが溜まるくぼみがあり、そこが熱を発したところに雷が落ち大爆発が起きた、と言うような説明もしており、爆発があったのは間違いなさそうです。

その爆発と放射能がどう関係するのかは不明ですが、現代の地質学者達は、
その地にはアスファルトの溜まりやウラン、天然ガス等があった、と言うので、インタビュアーのドロレスは、きっと天然ガスに稲妻が引火して大爆発を起こしたのでは?と彼女なりの見解を示しています。きっとそうなのかもしれません。

いずれにせよ、死海があった場所にあの悪名高いソドムとゴモラがあったとは知りませんでした。

(2)ピラミッド

今から二千年前のスディーの時代でもピラミッドは神秘的な謎多き歴史的建造物として見られていたようです。

彼らの認識する建造法は二つの説があって、一つは型を用意して、泥を流し固める方式、もう一つは音を使って重い石を浮かしたと言う説です。

この音を使ったと言う説は日本の秦氏の末裔の陰陽師の皆さんもそう伝え聞いているようです。

物質は原子、素粒子レベルまで行くと振動した光にまで分解されるので音は実は意外と色々できるのです。

天皇がB29を消した時、歴代の天皇霊と一体化し奇跡を成す際、六角堂で成したことは、数多くある鈴を鳴らし和音を作り、その音で変性意識を作り、異界(歴代天皇霊)とコンタクトをし、奇跡を成した、と言われておりますね。そもそも六角堂での音を使った異界とのコンタクトの儀式は聖徳太子の発案と設計のようですが、いずれにせよ音は色々と出来る事があるのです。

聖徳太子の六角堂の設計図は、日本の独立と引き換えにGHQの手に渡った、と言われていますが、ヘミシンクはその成果なのでは?と個人的には疑っています。

秦氏は、元々縄文中期に日本を出て、中東に行き、主にエジプトで占星術や錬金術、所謂、陰陽道を身に付け、中国経由で日本に戻った一団のようですね。

今はそうした歴代の秘密が続々とカミングアウトされる稀有なる時代に入って来ているようです。

では。

湖畔人

第1024話. イエスとエッセネ派に関する小話⑤ スディー的視点からみる(1)神の名?多神?12戒?(2)モーセ他

2024-10-20 23:37:25 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

昼はますます短くなって5時で真っ暗だけど、気温は30度になったり、今日は冷たい風が吹いたりと、夏と秋の最期のせめぎ合いって感じで、不安定な天気ですが、ここから本格的な秋が来て、そしてアッと言う間に冬になるのかも知れません。

世間では、カマラがFOXでもやらかして自爆ともいえるインタビューを受けてトランプさんには有利な展開があったり、大谷君はリーグチャンピオンまだ未決着ですが、さあ、今後どうなりますかね。

さて、今回は、再びエッセネ派をやります。

大事なイエスにまつわる話はもうしたので、これからは、枝葉的な、小話を幾つか。

●スディー的視点からみる(1) 神の名?多神?12戒?

スディーによると、彼らの神の呼び方『ヤーウェ』とは、『名無し』と言う意味なのだそう。また、時には『エロヒム』『エロリ』『アバ(天なる父』と呼ぶこともあるようです。基本的に同じ意味だそうで、全て”神”を指すようです。が、厳密には、神が宇宙を創造したとき天空にいた神々の総称が『エロヒム』または『エロリ』であり、彼らユダヤの民を護る神の名が『ヤーウェ』と言う一人の神なのだそうです。よって、神々は多数いる事は知っているし認めるが、彼らユダヤの民にとっては『ヤーウェ』こそが唯一の神で全て、となるようです。スディー曰く、神々は時に助け合い、それぞれに役割があるだけで本当は全体で一つの存在なのだ、と言います。そしてそれら神々の関心範囲は銀河全体に広がる、との事。正しい見方かと思いますね。我々の持つ一神教の狭い排他的な感じとは全然違いますね。ただ、彼らユダヤの民(エッセネ派の方々)は、あえて神を選択し、浮気をしない、と言う事のようです。だって、彼らの大預言者、モーセの10戒でも最初に”わたしの他に神があってはならない”とありますしね。

そう言えば、10戒は、12戒だった時代もあったようです。
少なくともスディーがクムランで学生時代に習った戒律は12だったようです。

①他の神をあがめるな、
②神の名を気安く唱えるな、
③日曜は、神を思え、
④父母を敬え、
⑤殺すな、
⑥姦淫するな、
⑦盗むな、
⑧嘘を付くな、
⑨浮気するな、
⑩他人の財を欲しがるな、

これ以外に、"邪神バールを崇拝するな"、とか、"自分にしてほしくない事は他人に対してもするな"、と言う2戒律があったようです。 “自分にしてほしくない事は他人に対してもするな”は所謂、黄金律で超普遍的な教えですね。

●スディー的視点からみる(2)モーセ他

次に、スディーの解釈するモーセ論ですが、聖書の記述とは大分違う点が多く驚きです。

・まず、葦の舟に乗って川に流されて来た赤子のモーセを王女が拾って育てた事になっているが、本当は、父親がヘブライ人、ヨハネの子孫で、母親がファラオの娘、王女で、彼女の名誉を守るため、そう言う作り話を作って広めたのだ、との事。

・また聖書と違うのは、癇癪をおこしたモーセが人殺しをしたので王宮を出たことになっているが、実際には父親が奴隷のヘブライ人と知ったので、王宮を出て、ヘブライ人と暮らすことを決めたのが主要因、との事。

・荒野に追放された理由は、ラムセスが好きだったネフェルタリとモーセが相思相愛だったので、モーセが憎くてラムセスは荒野に追放した、との事。

・燃える柴から神の声が聞こえたと言う話に対し、スディは疑いを持っており、単に心の中で神と会話をしただけだろう、との事。

・紅海を二つに割った話も、あれは、別に湖が割れて湖底が出たのではなくて、当時の人々は、水に思念のパワーを投入して、水の表面を固め、水面を歩く事ができたから、ただそれだけの事。単に自然と調和しただけ。これは訓練で出来る類の話。ただ、ファラオにはその力が無かったから水に沈んだのだ、との事。驚きですが、水が人の思いを受けて変質したり、記憶媒体にもなれる、と言う話を多方面から聞いた事があるので、ある意味、無くはない話です。

・モーセが荒野で人々を率いる際、彼の杖についた水晶から出る光を頼りに行先を決めていたようです。ただ、いつの間にか、水晶の光と心の声に従うより、人々の声に従い、惑わされ、翻弄されるようになり、段々迷子になり、多くの民が亡くなった時期があったようなのですが、以後反省して、神に祈り、神の導きに従う事で状況は改善したようです。この水晶は元々ヤハウェの持ち物で、アブラハムに与えられ、以降、子孫に代々受け継がれて来た物のようです。

・またエジプトへの呪いの数々もスディーは疑っており、ヤーウェはそうした復讐の神ではない、と言います。川が赤くなったのも、火山の爆発があったので、それを見たモーセが、硫黄を含んだ赤い土砂がこの後流れて来るだろう、と予見しただけだし、カエルの死骸の大量発生も硫黄の川によるものだし、アブの大量発生もカエルの死骸によるものだし、子供が亡くなったのも当時ネズミを介した伝染病が流行っていただけで、別に呪いではない、ヘブライ人は奴隷だったので住んでる場所がエジプト人達の街と離れていたので感染を免れただけだ、と言います。冷静な見方です。

・またモーセが十戒を授かった後、民衆がバール信仰をしていたので愕然とし怒り心頭で石板を割り数千名の同胞の殺害を命じた、とありますが、スディー曰く、石板を割ったのは事実だが、同胞は殺してはいない、との事。そこまで強権を持つ存在ではなかったようで、石板を再度刻んだ後には、同胞もモーセに従い、カナンを目指したようです。ただ、モーセはカナンにたどり着く前に亡くなっていますが、その要因は、彼が自分自身を信じ切れなかった為、とスディーは解釈しています。

以上、スディーのモーセ観でした。

湖畔人