第902話.カジスピの勧め 基本3つ 1)我々の存在意義 2)本性と実力差 3)未来世の活躍を願う

2023-05-21 04:29:01 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

本来、このブログを始めた理由は、読者の皆様に霊的人生観を持つ事の大切さをこのブログを通して感じていただければ嬉しいなと思って始めたのが理由です。

元々、それが主目的だったのですが、霊的世界観から見て、現代の世界が、一部のエリートによるデジタル監視型の支配&管理下に置かれ、人類が奴隷化してしまう一歩手前まで来ているように見えたので、それだと本来の霊性を鍛える場としてのこの世の存在意義が益々忘れ去られてしまう事になりかねないと懸念をし、ワーニングとして陰謀論を多めに書いてはいます。
ただ、時々基本に立ち返って、本来の主目的である霊的人生観の重要性を訴える必要があるなと思いまして、ちょっとこの辺りで、基本的なものの考え方を三つの視点から整理をしてみたいと思いこの記事を書いている次第です。

1)我々の存在意義

古今東西の思想書や宗教書、哲学書を見る限り、
それら書物の最大公約数的な共通のエッセンスを抽出してみると、そこから見えてくるのは、我々一人一人が、実は神という巨大なる霊存在、神という巨木に付いている、数百億枚の葉の一つ一つであり、我々はその意味で、偉大なる神の子達であり、偉大なる神の一部でもある、そうした尊い霊存在が我々であると言う事が見えてまいります。

ただ、我々は神そのものではないので、この宇宙の始まりも、終わりも知らないし、宇宙や生命の創造もできはしない。ただ、神と同じDNAを内に宿している存在ではあるので、小さな創造なら各自の人生の中で実現できる存在でもあります。

神が仮に大きな巨人であれば、我々は、神という巨人の細胞の一つであり、ある人は右手の皮膚の細胞の一つで、ある人は左手の小指の爪の細胞の一つで、ある人は髪の毛の細胞の一つで、ある人は左足のふくらはぎの血管の壁の細胞の一部だったりするので、お互いの見た目も役割もそれぞれバラバラで、各人から見える景色も全く違うのですが、それでも全員が神の一部であり、その意味で、皆一つであり、兄弟のような存在でもあります。そして、何より、皆尊い存在なのが我々の真の姿なんだと思います。

そして各人それぞれが、転生輪廻の中、多くの経験と違った考え方との出会いにより、より視野を広げ、より強くなり、より優しく慈悲深くなり、より賢く、より神近い存在へと成長をすることが期待されている存在で、でも我々のホームともいえる霊界では、波長導通の法則故、自分と似通った人々にしか会えない為、あまり成長が見込めない世界でもあるので、より違った個性が集う、そして霊的には盲目になるこの世界に生まれては、互いに違った考え方や価値観に出会い、そうした自分とは異質なものと触れ合う中で、葛藤をする事で悩み、成長をし、器を広げる事が出来るようになります。そうした事が各自期待されている事なのではないか?と思います。

また、転生の過程で発生する全ての行為や思いは全てカルマとして記録され、その行為の善し悪しの反作用として報いを受けることになります。すぐに報いが出る場合もあれば、来世霊界にて地獄にて罰を受けることもあるし、天界で良き報いを受けることもあります。または来来世かそれ以降に、様々な出来事が起きる中で段々とカルマが解消されて行く事もあるかと思います。

簡単に言えば、良いことをすれば幸運としてリターンがあり、悪いことをすれば悪しき現象が現れて、報いを受け、反省を促される事になる、と言う事です。

なぜそうした事が起きるかと言えば、自分も相手も皆が神の子としてその内に神性、神の性質を宿している存在であるため、相手を傷つければ、それは相手の内なる神を傷つける事となり、相手の内なる神に対する冒涜行為をしている事と同じ事になるからでしょうし、またそうした悪を成すことは、神の子としてふさわしくない行為をしたことになり、自らの内なる神への冒涜行為にもあたるから、神の子として反省と改善が求められているのでしょう?

相手も神の一部なら、自分も神の一部、神の一部どうし、同じ神と言う巨木の枝どうし、実は一体であり、実は奥でつながっている、実は相手も自分も同じ神の一部、実は一体、みたいな話なのです。だからそれにふさわしい生き方が望まれるし、自分も相手も大切にしあい、尊敬し合わないといけないわけです。

神の子どうしだからね。

だから相手を簡単に傷つけてはいけない。言動には注意しよう、と言う訳です。で、誤って不注意に人を傷つけたなら、できればすぐに謝ることです。直接謝罪ができなければ、せめて心の中で詫びることです。それが負のカルマの解消として大事です。

でも我々は負のカルマの解消だけが目的で生きているわけではありませんね。

我々の存在の目的は、各自が経験を通して神近き存在になって行く事が期待されているようなのです。と同時に、各人が各人の周辺を天国的環境に変えて行く事、すなわち小さなユートピアを出現させる事が期待されているのです。
それら二つも我々に期待されている大きな目標であり課題なのです。

なので、我々が転生の中、何度も生まれ変わってくる理由は、
転生の中、

①神近き存在に成長すること、
②小さなユートピアを周辺に作る事、
③悪しきカルマの解消、良きカルマの創出、

など、これら三つが我々が何度も生まれ変わる理由であり、大きな目標なんだ、と言えるかと思います。

①の神近き存在になる事が、一体どういうことかと言えば、それは、
簡単に言えば、神の如きキリストや仏陀や孔子やソクラテスやモーセやリンカーンやアインシュタインやエジソンのような存在になれ、と言う事になるかと思います。

神近き存在になるとは、
彼らのように、まず神を強く信じている人たちになる事でしょうし、この世とあの世に関し知り尽くした智者になる事でしょうし、キリストや仏陀のように優しく、慈悲深い存在になる事でしょうし、人々を正しい方向へと導ける強いモーセやリンカーンのようなリーダーになる事でしょうし、この世の肉体的生命の保持より、真実や正義や、神や人類への愛に生きることを優先できるような、そして間違った方向に行っている人を正しく叱れるような、そうした霊的確信を持ったキリストやソクラテスのような強い存在になる事が期待されているのではないかと思います。

また、アインシュタインやエジソンのように、各自の専門分野で秀でた存在になる事も大事でしょう。どの分野で活躍するにせよ、自己管理能力が高い人間になる事が大事なのでしょうし、プライオリティが付けられる人間、何を捨てるべきか判断できる人になる事なのでしょうし、集中力が高く、多くのことを短時間で切り替えてこなせる人になる事なのでしょうし、勤勉な人なのでしょうし、正直で嘘がなく、裏表のない人で、信頼できる人で、強くて勇気があって、辛い時期も耐えられる我慢強い人で、そしてベースが優しい人間で且つユーモアのセンスもあり、人々に方向性を示し引っ張って行けるリーダーなのでしょう。結果、多くの人に慕われる人なのでしょう。

そういう人を目指したいですね。

②の小さなユートピアを周辺に作る事に関しては、
嘘のない神を信じる人たちが、他人に良かれと一生懸命働く明るい環境が出現すれば、きっとそこは天国的な場所なのでしょう。それを家庭でも職場でも実現したいですね。

③の悪しきカルマの解消、良きカルマの創出に関しては、
悪しきカルマの解消がどう実現するかは分かりようがないので、未来を見据えて極力良いカルマを作る事に一生懸命であるべきかと思います。他人を褒め、喜ばせ、やる気にさせ、他人を笑顔にポジティブにできれば、きっとそれは善因善我、良きカルマを沢山作り出し、来世でも、来来世でも素晴らしい未来を運んでくれることでしょう。それは間違いのない道かと思います。

と言う事で、何よりまず、強く神と一体であると信じることが大事で、次に、互いに神の子どうし、仲良く、尊敬し合って生きたいですね。

そして、相手を傷つけたらすぐに詫びることです。で、道を外した人を見かけたら勇気をもって叱れる人になりたいですね。

そして、個人としては、霊的なことを含め世界を社会をよく勉強する事が大事ですね。高い集中力で多くのことを切り替えながら沢山こなせる能力を身につけ、この人生で多くの事を成したいですね。自分の属する専門分野で高い位置を目指したいです。で明るく励まし合い小ユートピアを周辺に作りたいですね。それをできる範囲でやれれば大分OKなのではないかと思います。

2)本性と実力差、

上記の通り、人は例外なく全員神の子達で、神の一部なのです。だから、その人が何が出来るか、出来ないかにかかわらず、皆、尊い存在なのです。だから、その人が何が出来ようが出来まいが、始めから尊い存在なのです。そこは外せないベースの真理です。

一方仕事においては、仕事のスキルの高い低いによって、評価も、立場も給与も変わって当然です。草野球を楽しんでいる近所のおじさん達と、大谷君の評価が一緒で良い筈もありません。

なので、本質的には全員神の子達なので偉大なのだが、仕事のスキルには大きな差があり、評価が分かれて当然かと思います。その差は素直に受け入れるべきです。

でも仕事のスキルの善し悪しで、その人の人格まで否定されるべきではありません。そこは要注意なのです。

3)未来世の活躍を願う

大谷君を見ていると、今世だけでも相当な練習量をこなし、それだけでも常人との大きな差を生む要因になっているかと思いますが、想像では、前世、前々世など、それぞれの過去世の人生でも相当良質な努力を生涯を通して何度も積み重ねてきており、そうした良質な人生を何度何度も繰り返してきており、大谷君の数千年にわたる良質な努力時間の累計の大きさは、我々凡人には埋めようがない巨大なギャップを生み出しており、如何ともしがたい巨大なものになってしまっているように見えます。

ただ、裏を返せば、我々凡人だって、今世や来世でよい努力を重ねていけば、何転生後かの未来世においてスーパースターになっている可能性だってなくはないのです。だから仮に今、晩年を迎えていたとしても、来世や来来世での活躍を信じて、他界するその日まで日々鍛錬し努力し続けていくべき、と考えます。

と言う事で、久々のカジュアルスピリチャリズム(カジスピ)でした。

では。

湖畔人




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