もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

蛍の光

2023年12月17日 12時44分58秒 | タイ歌謡
 ほたーるの、ひーかぁーりぃ、まぁどぉのゆぅーきぃー。って訳で、蛍雪の功ってやつだね。蛍の光の明るさで本を読み、窓辺の雪の照り返しで勉強したって中国の故事なんだけど、(ウソつくんじゃねぇ)と思っていた。そんなので本が読めるわけねぇわ。
 でもね。ググってみたら蛍の明るさって、一匹(数詞がこれでいいのかもググってみたら、習慣的には「匹」で良く、学術的には「頭」なんだそうだ)あたり、およそ1/500カンデラ(0.002cd)っていうのね。昔のひとは蝋燭の明かりで本を読んでたっていうし、その蝋燭の明かりが、だいたい1カンデラというから、じゃあ蛍が500匹もいたら読めるのか。昔は時期によっては蛍だらけだったというから、無理じゃない数字かもしれない。でも窓辺の雪明かりでは勉強なんかできない。ていうか寒い。暖炉か囲炉裏で火を焚いてるから、そっちのほうが明るくないか。それとも昼間だったとか。雪明かり関係なくなっちゃうけど。

 北海道にも蛍は生息しているが、どこでも見られるというものでもなく、中途半端に人が住むおれの故郷では蛍など見たことがなかった。日本で初めて蛍をみたのは40歳を過ぎてからだ。本州の片田舎の蛍の名所で、ヨメに見せたかったので連れて行った。わぁー、と簡潔な感想を述べていた。タイのドラマか映画で見たというショボい特撮しか知らなかったから、実物の夥しい儚さの物量作戦に心を鷲掴みされていた。誰が見てもその場限りの美しさで、(へえ。日本の蛍って、いいな)と思った。

 じつはタイの自宅の裏手は果樹園で、3階のおれの部屋の窓を開けるとジャングルが目前に広がる。とてもバンコク市内とは思えない光景で、良いところだと思っている。
 それはいいんだが、ある夜に、そのジャングルに目をやると、二つの光が揺れていて(あれは何かの動物だな)と思われた。猫にしては光の間隔が広い。もっと大きないきものだろう。いや。市内に虎はいないよな。草叢の中にワニがいるとも思えない。象もいないだろうし、象にしては目の位置が低い。いったい何なんだ、と思っていると、すぅー、っと間隔が離れた。あ。これは動物の目じゃないぞ。……ひょっとして、蛍? 思い当たった。
 間違いない。蛍だ。へえ。バンコクにも蛍って、いるんだ。
 まったくの考えなしに、レーザーポインターの光を照射してみることにした。たまたま20バーツショップで衝動買いしたばかりだった。いいオトナが買うものでもないかもしれないが、うちの奥さんは、こういう買い物を微笑んで見守っていてくれるタイプだ。蛍にレーザー光を当てるってのも、いいオトナのすることではないような気もするが、他人の目があるわけでもなし、そりゃ照射しかない。光の共演。いい感じじゃないか。
 ひと筋のレーザー光線を当てると、蛍は動きが激しくなり、あっという間に光線の光源、つまりおれを目指して一直線に飛んで向かってきた。動きが速い。おれの知ってる儚い蛍の飛び方じゃない。ぐぅーん! と力強いのだ。それが、ぐいぐい向かってくる。
 え? え? え? と混乱しながら、とりあえず部屋の窓を閉めた。それでも寄ってきて、窓ガラスの近くをぶんぶんと飛んでいる。
 でけぇ! でけぇな! タイの蛍! なんか儚さなんて微塵もない。ガッシリしてて光も日本のに比べて強い。レーザー光線を仲間だと思ったのか、何かの攻撃だと思って反撃しに来たのか、迅速なアプローチの意味はわからないが、窓を開けて友好を深める気にはならなかった。だってこれが蛍かどうかもわからない。光る吸血虫だったら、どうする? 腕に止まった瞬間、バックリと身体の半分が大きく開いて鋭い顎の歯が肉を食いちぎったら、どうする? 毒でもあったら? た、たいへんだ! 急いで階下に駈け降り、美しいことで有名なヨメを呼んだ。あのね、あのね。光る虫が飛んできたんだ! 窓の外にいるんだよ。
 そういえばหิ่งห้อย(ヒンホイ – 蛍)というタイ語を、この時ど忘れして「光る虫」と言ってヨメを呼びに行ったのだった。頭の巡りが停滞していた。
 ヨメがおれの部屋に着いたときには、もう蛍はどこかへ飛び去ったあとだった。「なにもいませんね」
 うん。光る虫だった。あの虫って、人に噛みついたりする?
「蛍ね。そんなことはしないわよ」
 ただ光るだけ?
「そう。ただ光るだけ」
 でも、日本のに比べたら、すっごく大きいよね。
「あー。暑いからね」

 気候が大きさと関係するのかどうかはわからないが、とにかくタイの蛍は日本のと比べて身体が大きいだけじゃなくて、はるかに明るい。光が強い。
 これなら、数匹集めれば本くらいは読めるかもしれない。
 まして中国の故事だ。あの国は、たまに度外れて巨大な生物が生息することがあるから、一匹で本くらいなら楽勝で読める種類もいるかもしれない。まあ、ふつうに考えたら、そんなのいるわけないけど。でも中国だからな。わからんぞ。

「蛍の光」の原曲はスコットランド民謡で歌詞は、戦友と昔の戦闘を思い出して酒を酌み交わすという内容だったよな、と念のためにググると微妙に違った。たんに旧友との再会で酒を酌み交わす、というだけの年寄りの飲み会スケッチで、戦争ひとっつもカンケーなかった。
 スコットランドと言えば連合王国からの独立を果たしたいと望む国民と、それを望まない国民の率が拮抗して2014年の国民投票が話題になったが、今でもこの是非は拮抗しており、去年2022年の10月時点で独立賛成49%、反対51%と、相変わらずの割合だ。つまり賛成と反対が、どっこいどっこいということで、我々の業界ではこれを「スコットどっこい」と言う。あと、スコットランド出身の力士が国技館で人気を博したら「スコットどすこい」と呼ばれるに違いない。
↑スコットどすこい(イメージです)
 しっかしスコットランドが独立したとして、経済的に立ち行かなくなるのではないかと他人事ながら心配だ。あそこ石炭意外に何か産業あったっけ? 「蛍の光」の版権はどうか。日本一国だけからでも相当毟れるような気がする。卒業式シーズンだけでなく、店舗の営業終了時刻にも流されるからね。と、ここまで書いて、あの民謡は古いから版権切れなんじゃないかと気が付いた。基本70年間というのは日本の原則で、国際ルールは50年間じゃなかったっけ。これではいかん。どこか一カ所だけ目立たないように音符を改竄して「ニュー蛍の光」だと主張して新たに著作権を獲得するとか。非難されそうだな。ていうか課金されるんだったら歌わないし流さないってことになりそうだ。代わりはいくらでもあるもんね。スコットランドの独立への道程は遠いな。

 そういえば営業終了というか活動終了それも強制終了になるのが日大アメフト部で、まあ処分はしょうがない。でも、真面目な生活の部員もいたんでしょ、そういう子たちは可哀想じゃないですかぁ、という意見もあって、そりゃ災難だったね、と諦めてもらうしかないだろう。ビッグモーターなんかと同じで、(あ。先輩大麻やってんな。こんな部、やってられっかよ。辞めよう)と思わなかったボンクラだ。「気が付かなかったんですぅ」と言ってもダメ。気が付かないボンクラなんだもん。世の中そんなもんだぞ。どうしてもアメフトがしたいなら他の学校へ編入するか、同好の士を集めてその辺で走り回っていればよかろう。
 でもそれでも可哀想というなら、もうアメフト部はダメなんだから、「大麻・薬物部」を作って、その部活動の一環としてアメフトをしていればよろしい。家族的な部活です、って。部室が家だから「あ。先輩帰ってきた~」「たいまー」「コカインなさい」って言ってりゃいい。アメフトだけじゃなくて野球もやってもいい。「うちました!」「飛んだ飛んだ」「上がった。これは上がった。挙げられた!」だって。検挙、逮捕されるのが最終目標というね。林真理子理事長が顧問でどうか。「知らなかった」と擁護してくれそうだ。

 ところで話はコロッと変わるが、さいきん誰だったかのインタビューで「グローバルで世界を目指す」みたいなことを未だに言ってる記事があって、へえ、と思った。
 グローバリズムなんて新自由主義とセットみたいな言葉で、インチキとは言わないまでも、新自由主義で良かったことなど、あったか? と訊きたい。あー。良かったですよ、と答えるのはユダヤ金融関係とか、何かと評判の悪いおじさんたちしかいない。
 日本人にグローバリズムは根付かない、と言う主張を聞いたこともあるが、じつはそうでもない。かつて日本がいち番グローバルに世界に打って出たときがあって、その最大は第二次世界大戦だ。内地で陸軍240万、海軍130万、外地で陸軍300万、海軍40万というから、ざっと710万人のうち340万人の兵が海を越えた勘定だ。思ったよりも多いのは、第二次世界大戦には支那事変(日中戦争)も含むからか。そこで日本の評判を高めた人数なんて、限りなく少ないような気がする。基本、食料だけでなく活動に必要な物資の補給は(あ。これインチキだ。ニセ札じゃん)と、すぐにバレる軍票を脅して遣うか現地調達だったから、そりゃ略奪・強姦はあたりまえで、かつての匈奴の侵略を嗤えない。ていうかモンゴル帝国の蛮行は「中世ですし、まあ大目に見てあげて」と言い訳もできるが、第二次世界大戦なんて敗戦から100年も経ってない。
 それを「大東亜共栄圏の理念があったおかげで東南アジア諸国は独立を果たせた。日本は感謝されている」という記述を今でも読むことがあるが、そりゃインドの誰かなんかはリップサーブスだか皮肉なんだか、そんなことを言ったことがあったが、恨みこそすれ感謝なんてしてるわけがない。英・仏・蘭あたりからの占領から解放されて一時は喜んだものの、けっきょく日本に搾取されるだけでなく略奪・強姦までが付いてくるアンハッピーセットだったから、当時は恨み骨髄だったろう。それを思うとタイの対日感情が総じて悪くないのが不思議でしょうがないが、当時の日本を良く思うタイ人なんて、一部の既得権益者だけだろう。良くも悪くも根に持たない性格の人が多い国民なのが日本には幸いしたと思う。それでも無条件に日本が好きってわけじゃないのは当たり前で、好まれているのは日本の料理やアニメなどの文化だ。ニホンジンが好きって訳じゃない。日本の好感度は悪くないが、日本人の好感度ってことなら東アジアの日・中・韓は似たようなものだ。そんなに好かれてない。今でもユン(ยุ่น ー ポンニチとかジャップみたいな侮蔑語)と陰口叩かれてるし、日本からの観光客や駐在の人なんかから侮蔑的な視線を感じることはあるし、酔っ払うまで酒飲んで騒ぐし、怒鳴ったりするし、日本人ってタイ人に嫌われる行動が多い。少なくともグローバルなんてことを考えて行動する日本人なんて、いない。
 海外在住の日本人が現在130万人といい、中には駐在の妻子もいるだろうし留学組や沈没組もいるだろうから、グローバルな企業戦士なんてのは半分もいないだろう。それにしても第二次世界大戦時の従軍日本人が340万人てのは凄い数で、これに軍属の人数は含まれているんだろうか。軍部や綿花・ゴム・石油関係などの関連事業に従事した者や(ひと山当ててやっか)と無謀に海を越えた大陸浪人や、ひたすらに乱暴で馬賊に志願して「水平撃ち」なんてのをマスターしてた俄馬賊なんかも含まれていないだろうから、それも併せるとさらに増える勘定だろう。
 ちなみに「水平撃ち」ってのは「馬賊撃ち」とも言って、正しいとされるピストルの構え方だと、撃った瞬間の火薬の爆発の反動で銃口が上を向いて弾丸の狙いが外れやすいから、銃を横に構えると反動で弾が逸れても、地平線上に敵が横並びにいた場合、誰かに命中する確率が高くなるという初心者向けの生活の知恵で、昔の香港映画で見られる構えだ。周潤發(チョウ・ユンファ)の若い頃のホンコン・ノワール映画なんかがこれで、当時の香港アクション映画のお手本が戦後の日本のプログラムピクチャーで、日活のアクション映画では馬賊帰りの者がいて、「そうじゃねぇ。銃の構えは、こうだ」って実践的リアリズムから来てる。だから、プロの殺し屋が水平撃ちなんてのは考えにくいんだが、馬賊上がりで(それとも馬賊崩れと言うべきか?)実戦を積むならそれでいいのか。ちょっとわからない話だが、じっさいにそんなプロの殺し屋なんて存在自体が怪しい。焼け跡闇市ヒットマン。
 従軍で他国に長征したのは、第二次世界大戦以外では日清戦争が24万人あまり、日露戦争時の戦地勤務が49万人、秀吉の第一次朝鮮侵略(文禄の役)で16万人か。こないだの戦争が並外れてグローバルだったとわかるが、グローバリズムが良いことだって話はどこにもない。ここのところ立て続けに手入れを食らってる闇バイトの首謀者が東南アジアの都市部を目指していたのは「木を隠すなら森の中」の理通りなんだろう。見た目が近い「顔の大東亜共栄圏」だからね。顔に甘えようとするとアジアが手っ取り早い。ヨーロッパやアフリカ、アメリカ大陸北部では「こいつ東洋人じゃねぇか」って目立ってしょうがない。アジア以外では中南米あたりが「準・大東亜共栄圏」だな。インディオに隠れちゃうの。ずっと北を目指してイヌイットの群れに隠れるのもアリだけど、そんなところで闇バイトの指図したり詐欺電話の掛け子がぞろぞろいたら目立っちゃってしょうがないね。

 ついでに今思ったんだが、「闇~」って言葉はマイナスな印象しかない。闇バイトの他だと、闇市、闇米、闇タバコ。これ早口言葉になってるな。青闇市、赤闇米、黄闇タバコだと、もっと言うのが難しい。色をつけると意味不明になって良い感じだね。
 で、マイナスにマイナスをかけるとプラスになるのは世の常だからマイナスな感じの単語の頭に「闇」をつけたらポジティヴになるんじゃないかと思ったら、そうでもなかった。闇ギャング。ダメだ。普通のギャングより悪くなってる。てか普通のギャングって、何。闇殺し屋。あー、そうだね。としか思わない。闇密造酒。ただの同義語重複だ。
 かといってポジティヴな単語に「闇」を接頭しても訳がわからない。闇募金。闇献血。闇バースデーケーキ。闇結婚式。闇ノーベル賞。なんか全部ダメだ。闇幕僚長とか、ちょっとカッコいいけど、ダメだ。
สาธิดา พรหมพิริยะ l นิทานหิ่งห้อย l คุณพระช่วย
「นิทานหิ่งห้อย(蛍物語)」という曲で、古いルククルンかと思ったらそうじゃなかった。元歌はเป๊ก ผลิตโชค(ペック・パリチョーク)という男の曲で、この番組の収録された同年(2017年)にリリースされたタイポップだ。元歌は彼が歌ってるだけじゃなく、作詞作曲もしている。電子楽器の打ち込みもそうだと思われる。オリジナルはもう少しアップテンポで、正直言って元歌は歌として大したことない。アレンジも構成も甘い。これだけ聴くと、どうってことのなさに印象に残らないような曲だが、これを聞いて曲の良さを見抜いたのが、このMVの歌手สาธิดา พรหมพิริยะ(サティダー・プロンフィリヤ)だ。歌が巧いのに、あんまり有名じゃないな、と思ったら2005~2017年頃に活躍した歌手で、主な活動はタイのミュージカルの舞台女優として。いくつかの芸術賞を受賞している実力派で、洪水被害のチャリティーコンサートを王室に協力してもらい財団を設立したりしてて、こりゃとんでもない良家のお嬢様だな、と睨んだらまず間違いないようで、チュラロンコン大学の法学部を出たあと、歌が好きだからとロンドン音楽メディア大学LLCM歌唱試験(เพื่อการสอบร้องเพลงในระดับ LLCM จากสถาบัน London College of Music and Media)を受けて数ヶ月レッスンを積んだというのね。人気者になりたい馬鹿娘じゃなくて、歌が好きな本格派のお嬢様だった。さいきん芸能活動をしていなのは、気が済んだか、イヤなことでもあって興味をなくしたか、そんなところなのかと思ったら2年まえにもモン族の歌を嬉々として歌っていた。衣装も演出もけっこうカネかけてるのは、実力者の娘だからか。
เพลงเทพธิดาดอย l แนน สาธิดา l คุณพระช่วยสำแดงสดเพลงดังหนังละคร
 元歌は中国の「愿嫁汉家郎」という歌で、タイトルの通り中国人の家のお嫁さんになりたいな、という意味の歌だ。苗(ミャオ)族の娘が中国人の家に嫁ぎたがるかぁ? とは思うがタイ・ラオス・ヴェトナムなどを含む中国の雲南省を中心とする周辺エリアで広く歌われている。雲南省には西双版納タイ族自治州というのがあって、西双版納は中国語ではシーサンパンナーと読むが、これはタイ語のสิบสองปันนา(シップソンパンナー)の音訳で、12,000面の田圃という意味だ。なんでそんなにたくさんの田が? と思うかもしれないが棚田である。棚田は日本にもあるが、ここの棚田は世界最大級なのではないか。
 中国でありながらタイ語が通じる傣(タイ)族が固まって住んでいる。長江から川伝いに逃げ延びて、今のタイに渡るまえに雲南省にいた頃の名残だ。たしかまえに解説した曲なので、詳しい興味があれば探してちょうだい。
 歌詞はタイ歌謡の歌詞だな、と思わせる内容で

月のない暗い夜に 音もなく前進する その目を見た
蛍が見たのは 蜘蛛だった
若い女性は遠くへ彷徨い 男はとても不幸そうに見えて 同情を誘った
道案内を志願して手伝ってくれる 暗闇に光を与えて
乱流の光を使って見る 震える蜘蛛
私の代理として 全身全霊を捧げた あの蜘蛛
無事に帰宅した

それは走り 関係性の網を織る心 その愛がいつ生まれたのかは わからない
知らないのに でも それが幸せであることはわかる
光が道を導くとき すぐに私たちとは 違うことに気づいた
とても遠い生き方 でも心の声は 細い翼に命じる
飛びなさい 飛びなさい 光が消えても
糸が どこで切れるのか分からないけれど
わたしをどこかへ連れて行けるのね 蜘蛛だから
そしてその後 すべてがうまくいった
巣に降りるとき 薄い体と翼 絆に絡まって

蛍は蜘蛛を見る 
陽気で幸せ
それが不吉な予兆になるなんて 予想だにしない
最後の気持ちの前に 永久に消されるだろう
牙が食い込むまえに 愛が消えてしまうまえに
真実を学んだの 命なんて儚い存在
いつでも遠くまで行ける どこへでも 
走る心になって つながりの網を編む
その愛を知らない 
生年月日すら知らないのに でも わたしが幸せだってのは知っている
光が道を導くとき 私たちは違うことを知った
もうすぐ遠くに行く でも心の声は決して問わない
何のためだったの ついに光が消えた
突然光が消えた 蜘蛛の巣の明かりを消して
そして わたしたちは 違うことに気づいた
とても遠い でも心の声は決して問わない
捧げられた命 ついに光が消えた 突然光が消えた

 蜘蛛の巣の明かりを消して

 蛍が蜘蛛に捕らえられる理由を愛だと断じている。タイ人の思いつきそうなことで、これはテラワーダ仏教が関係しているのかどうか。死の垣根が低いことと、運命を簡単に受け入れる傾向も、この仏教の影響なのかどうかはわからないが、タイ人の諸行無常には愛と希望が添加されている。良いとか悪いではない。でも少し羨ましい料簡で、タイ人と一緒にいると何だかホッとするのは、そういうことなのかもしれない。わかんないけど。

 しかし、あれだけ暑かった夏が終わって12月も半ばを過ぎたというのに関東で夏日が続出して記録更新というニュースが少し羨ましい。北海道は雪だ。でも、この冬はまだ酷く寒い日がなく、氷河期はまだ遠そうだ。
 こないだの氷期(ヴュルム氷期 - 紀元前70000年頃~紀元前14000年頃)は寒かったよね。シャム湾(タイ湾というのが正しいが、台湾と間違えやすいのでそう呼んでいる)からボルネオのカリマンタン島辺りまで広く大陸棚があるんだが、その氷期のとき、海面が下がってタイの南部に「スンダランド」という沖積平野が出現した。アジアに生息していた人類は、ここに逃げ込んだ者が多かったというんだが、なるほど、タイ人はここから来たのかと思いたくなるが、まあそうだけど違う。氷期の終わりとともにスンダランドは海に沈んでいくのでタイ人の素になる民は中国南部に渡り、稲作文化を身につけ、やがて2000年ほどまえに漢人に押し出されて逃げて、長い長い道のりを歩いて今のタイに辿り着いた。
 それなのに、バンコクの民族博物館的な施設でスンダランドについて質問すると、学芸員は「すんだらんど?」とポカンとしているので、これはイカンかった。タイ語でซุนดาแลนด์(スンダレン)と言うのだったと言い直してもダメで、横にいたうちの奥さんが見かねて説明すると、学芸員は「そんな昔のこと、誰も知りませんよ」と捨て台詞を放ち、ぷい、と消えてしまった。たしかにスンダランドに関する展示も説明もなく、タイ語Wikipediaを当たっても地理的な説明と想像される気候の説明が少しあるだけで、氷期に出現したとか、アジア人の元になる人々がここに逃げ込んだというようなことは一切触れられていない。どういうことだ。
 考えてみたら今の土地に来てから、まだ数百年ってところだから土地に執着がないのはわかるとしても、なさ過ぎだろ。いっぱんのタイ人はタイ王室が出現する以前の歴史に興味がないのが普通で、「だってそれ、もう死んだ人でしょう」とか「もうそれを憶えている人もいないくらい昔なんでしょう」と言って興味をなくす。スンダランドの話を「ふんふん」と聞くのは、うちの奥さんくらいなんだが、じつは聞いてるフリだけだったりして。
 だからタイ人ってダメなんだよ、って話ではない。興味のありようが違うんだから、スンダランドも知らないのかよ、と詰ってはいけない。おれたちだってクリケットに熱い情熱を持つことはないし、海岸の砂浜を見たら穴を掘りたい強い欲求に突き動かされてスコップを持つドイツ人の気持ちもわからない。あれ、なんなんだろうね。「だって砂浜を掘ると、そこは温度が低くて気持ちいいだろ」と力説するんだが、掘ったあとでそこで涼んでる様子もないし、よくわからん。聞いた話では塹壕を掘らせたら世界でいち番上手いのはダントツでドイツ人だって言うんだけどね。砂浜じゃなくても空き地を見つけたら蛸壺みたいなのを掘って、その中でジャーマンポテトとザワークラウト食ってホッとしてるってのも聞いたことがあるが、本当かどうか知らない。そういうのって不思議だよね。
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