おじんの独り言

写真付きで気まぐれに日記や趣味、感じたことなどを書いてみたい

紅葉 法華嶽薬師寺

2016-12-08 18:26:17 | 植物
今更紅葉でもないですが多忙で野外に出られず、ブログのネタ切れで没にしていた古い写真を取り出しています。
4年前友人の招待で宮崎県東諸県郡国富町にある日本三大薬師寺の一つ法華嶽薬師寺に行った時のものです。(11月30日)
丁度紅葉が綺麗な時でした。
ここは業病を患った和泉式部籠り癒されたという言い伝えがある比較的有名な場所だそうです。
山口保明さんの記した「宮崎の神話と伝承」の中にこんな一文がありました。以下引用

和泉式部の歌にこんな一首がある。
  黒髪の乱れも知らずうち臥せば
  まづかきやりし人ぞ恋しき(和泉式部集)
 式部は平安中期を代表する妖艶(ようえん)にして情熱の歌調で知られる。これまた有名な歌人小式部内侍を生んだが、人生の遍歴多く、晩年の行動は不明である。
ここに、諸国祈願の旅は派生するのであろう。
 業病(かさぶた)を患った式部は京都清水観音のお告げで、越後米山薬師、三河鳳来寺薬師に巡拝祈願したが、効を得ることはできなかった。
そこで最後の望みを託し、日向の法華嶽薬師にこもり、平癒祈願の行を積んだ。
 これが国富町深年の薬師寺であり、旧称を真金山法華岳寺と言った。古くから薬師信仰の本拠地として知られ、日本三大薬師と称されてきた。
式部はこもること3年、寺下の渓谷に下りて水行を重ね、睡眠時には背を柱に持たせるという厳しい苦行を続けたという。
「式部谷」の文字を岩壁に刻んだ谷つぼが名残をとどめ、「式部髪懸け柱」も伝承を物語る。
 それでも薬師の加護はなかった。応験を得ることもかなわず、式部は捨て身にあたって辞世の歌を詠む。
  南無薬師諸病悉除(しつじょ)の願立てて
  身より仏の名こそ惜しけれ
 合掌瞑目(めいもく)して投身に及ぶと、1人の異人が心眼に現れ、式部は一首の歌を聞いた。
  村雨は只ひと時のものぞかし
  己が蓑笠そこにぬぎおけ
 このとき、業病は治癒、式部は以前の美ぼうに戻ったという。異人とは薬師如来の化身で、式部の本願をかなえた効験の偉大であることを物語化している。ちなみに「身投げが嶽」もある。
 ところで、他の同類の利生譚(たん)が小野小町を主人公としているのに、式部としているのは法華嶽のみのようで、一層心に残る。西都市鹿野田にも式部の墓碑がある。
 有名なのは京都・新京極の誓願寺で、南接する華岳山誠心院は俗に和泉式部寺という。ここには正和2(1313)年の銘と発願10余人の尼僧の名を刻んだ式部塔がある。「醒睡笑」(元和9年)には、法華嶽の伝承と同類の歌を収め、これを著した安楽庵策傅こそ、実は誓願寺の住職である。式部の亡霊が時宗開祖の一遍上人を救った話も伝えられ、往時の人々は式部の歌を用いて布教に歩いた。

式部が身を清めたとされる渓谷の滝にも行ってみましたがここは何の変哲もない小さな滝でした。
谷川に下りていく誰も居ない寂しい場所でしたが、しかし女性の身で病が癒えることを心底願って一心に祈ったであろうことを考えると心に響くものがあります。

法華嶽薬師寺


周りで見られる紅葉








住職さん(女性)の歌碑もありました


スズメ

2016-12-05 20:46:06 | 
冬場になると小鳥たちも大群となって渡ってきますが、長距離を移動する場合は群れとなって行動する方が何かと都合が良いのでしょう。
普通は小さな群れで行動しているスズメたちも冬場になると何故か大群となって行動します。
渡りをするわけでもありませんが何かメリットがあるのでしょうか? 
冬になると草木も枯れ、木の葉も少なくなって目立ち、隠れる所も少なくなり天敵からの危険度が増すことはありますね、
群れになっていれば誰か彼かが見張っているので危険に早く気付くということは考えられますが。
田の中を何百羽という群れになって行動しています。どこからどうやって集まるのかは分かりません。





ハヤブサ

2016-12-04 17:48:56 | 
午前中は天候不良で骨休め。午後からは回復しましたので2時からやりかけの仕事に戻ります。
いささかうんざりですが12月はやむなしと諦めます。
これも4年前に写したハヤブサを引っ張り出しました。
電話の中継塔に止まっていました。 何故か眉根を寄せて悩みがありそうな表情でした。



オシドリ、ホシハジロ、キンクロハジロ

2016-12-01 09:20:39 | 
多忙のため野外に出られず、ブログも滞りますので数年前の写真を引っ張り出しています。

オシドリ、いつ見てもきれいですね。しかしながらなかなか近くで写せる機会がありません。
 オシドリというと「おしどり夫婦」と言われ仲の良い夫婦の代名詞みたいに語られますが調べていくと意外な面があるようです。
以下ある資料からの拝借
「オシドリのつがいの1羽を捕らえてしまうと、残った1羽はいなくなった相手を思い続け、挙句の果てに死んでしまうという言い伝えがありオシドリの夫婦仲の良さは昔から有名だったようです。
確かにオシドリの番を見てみると、いかにも仲むつまじく寄り添っているように見えますが実際には寄り添っているというよりはオスが一方的にメスのそばにくっついているのが現状のようです。
ラブラブなカップルがいる一方、メスに恵まれないはぐれオスもでてくるのでそんなオスたちから、自分の奥様を取られないよう、寄り添って見張っているのです。
また雄は天敵からメスを守るため命がけの擬傷行動も行いメスを守り抜くのだそうで、これはほんとにほめるべき行動ですね。
世の女性たちからすれば、ここまでしてくれる男性に恵まれるオシドリは、とても羨ましく思えることでしょう。しかし、現実はそう甘くはないようです。

 オスの懸命な保護ののち、やがてメスが卵を産むと、オスは抱卵や子育てを手伝うこともなくメスのもとから去っていってしまいます。産卵前はあれほど尽くしていたのにも関わらず・・・
実はオシドリに限らずカモの仲間の多くは、繁殖のたび、毎年のように恋のお相手を変えるため、一生同じ相手と暮らすわけではないようです。
しかもメスのもとを離れたオスは、また別のメスに出会うとその場で求愛の行動をとることもあるようです。
オスにしてみれば、自分の子孫をいかに多く残すか、これが一番大切なことなのです。
人間の世界で例えると「こんな男最低!」と思われる方もいるかもしれませんが、自然界ではいつ、自分の子孫が消えてしまうかわかりません。
これも生き抜いていくための手段の一つなのです。 こうしてみると、相思相愛というオシドリ夫婦のイメージが崩れてしまいますが、これも自然界のおきてなのでしょうか。

 オシドリのカップルがラブラブなことだけは確かでが、それも卵が産まれるまでの間だけのようで「オシドリ夫婦は一時的なもの」といった現実を知ると、ちょっぴり残念ですね。
ちなみに猛禽類やツルの仲間は生涯同じ相手とペアを組むものが多いので、オシドリよりは良い夫婦、といえるかもしれません。あくまで人間の目から見たら、の話ですが。」
と書かれていました。

オシドリ 2枚の写真は場所と日付が異なります。



ホシハジロとキンクロハジロ 近くの池に居た3年ほど前のもの