地震の起きた3月11日。
私は会社で仕事中だった。
揺れがだんだんと大きくなり、またいつまでも続くので段々怖くなり同僚の女の子と外へ避難。
駐車中の車があんなに揺れているのを見たのは初めてだった。
東北地方にメートル単位で津波警報が出ているとニュースを見て驚き
宮城に住む友達や会社の仙台営業所が心配になったがもちろん電話は通じない。
それから約1時間、余震もおさまらず上司に「もう帰った方が良いよ」と言われ保育園のお迎えに。
子供たちが防災頭巾を被って一か所に固まり座って待っていた。
そのまま、すぐ近くの実家へ行ってみると
近所の人たちがたくさん集まって「家の中にいるのが怖い」と皆外に・・
家の中に入ってみると、TVがTV台から落ちて下のガラスケースに当たりガラスが割れていた。
ツグトを実家に残し、家に帰ってみると(実家→うちに行くにつれて海に近くなる)
電柱が傾いていたり、
所々、水道管が破裂して水があふれたり、道路が激しく盛り上がったりしている所があった。
家の中に入ってみると
4Fなので実家よりもさらにいろいろな物が落ちまくっていた・・
(若ダンナ、今日は帰ってこれないだろうな)と思いながら、
ここで今日寝るのは嫌!なので、お泊りセットを持って実家へ戻った。
(こんな段差ができ、地震から3週間が過ぎましたが、管理会社からまだ何の連絡もなし・・)
余震が止まらない・・寒いけど、怖くて家の中にいたくない。
近所の人たちと外で話していると、小学校が避難所として使えるとアナウンスが始まった。
夕方、携帯より先に固定電話が少し回復してきた。
かかってくる電話は全て安否を気遣う電話。さらに近所の方への伝言類。
そして、海外に住むブライアンの妹からの電話。
「みんな無事??ブライアン、近くのT駅まで来てるからそこから歩いて帰るって」
・・なんと、モンゴル経由での伝言だった。
勤務先の学校から自宅まで約30キロ。
知り合いの車、バス、そして徒歩で・・若ダンナ約6時間かけて帰って来た。