唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

生命の原理と人生:「何のために生きるのか」

2021-06-10 | 日記

生きようとする力

私たちには,自覚以前的に生きようとする力が働いています.すなわち,生命の原理の作用です.これはあまりに日常的で実感しにくいかも知れませんが,その力の減退時―たとえばうつ病のときなど―においては,深刻な症状として現われます.

私たちの自覚的な生きようとする意思は,私たちが生まれて以降,学習により身につけたものです.そしてそれも,生命の原理によって裏づけられています.

 

病と死

物質の原理(物理・化学の法則)は,時間的・空間的に常に有効です.他方,物質の原理を活用する機械には故障や寿命があります.故障や寿命の原因は,物質の原理によって説明できます.たとえば,部品の摩耗であるとか異物の混入です.ここで,故障や寿命は,機械(の作動原理)にとっては外的なものです.

同様にして,物質の原理を活用する生物には,病や死が訪れます.病や死は物質の原理から説明できます.たとえば,糖尿病(インスリンという物質の不足)であるとか脳梗塞(脳の血管の詰まり)です.病や死は,生命の原理にとっては,外的なものです.

特定の細胞が「自殺」するアポトーシスという機構の存在が知られています.この機構の役割のひとつは,ある時点に至って不要となった細胞を除去することによる全体の制御です.もうひとつの役割は,異常が生じた―たとえばガン化した―細胞の除去です.この細胞の「自殺」は,全体が生き残るための方策です.生命が死をめざしているわけではありません.

 

「何のために生きるのか」

私たちが生きようとするのは生命の原理の働きであり,根源的には私たちの意思ではありません.私たちは生かされているのです.私たちは人生において,生命の原理を具体的に展開します.各人における展開は,普遍的な生命の原理のひとつの表現です.そしてこの表現は,この宇宙において,空前絶後のものです.

アインシュタインは「私の世界観」の中で次のように述べています(初出1930)[1]

哲学的な意味における人間の自由ということを私は全く信じない.人はすべて外的強制の下においてのみならず,内的必然性に基づいて行動する.「人はその意欲するところのものをなすことはできるが,その意欲するところのものを意欲することはできぬ」というショーペンハウエルの言葉は青年時代以来私の心に深く刻まれており,それは私自身および他の人々の人生の辛苦の悩みに際して,常に一つの慰めでもあったし,また寛容への尽きない源でもあった.

「何のために生きるのか」という目的は先天的には与えられていません.それは,この世界に投げ出された私たちが,生命の原理による後押しのもとで,自分で見出しつくっていくべきものです.

生命の原理は後押ししかしません(「生命の原理」の記事における「生命の原理は後押ししかしない」の項).それは先立って生命を導くことはしません.特定の境遇の中で自己の人生を導いていくのは自分自身です.

人生の意義は,いかなる意味においても,客観的(objective)に―すなわち,対象(object)として―は見出すことができません.それは,本質的には,私たちの《内側》にしか存在しません.

むかし―夏目漱石の時代のことですが―「人生不可解なり」という遺書を残して日光の華厳の滝に飛び込んだ青年がいます.人生はつくっていくべきものです.与えられた対象として「可解」されるものではありません.

〔以上は,唐木田健一『生命論』の4の一部にもとづく〕


[1] 湯川秀樹監修/中村誠太郎・井上健訳編『アインシュタイン選集 3』共立出版(1972).


背景的意識と進化の歴史:生物の《意識》,フロイトの《無意識》

2021-06-09 | 日記

原初の生物とのつながり

ある個人には確実に両親が存在し,その両親のそれぞれには確実にそのまた両親が存在します.もちろんこれは生物学的両親のことであって,現に健在かどうかには関わりがありません.形式的に計算すると,一人の人物の5世代前の祖先は32人であり,10世代前は1024人であり,30世代前は約10億人となります.これは世代をnとして2nを算出しただけの数です.

他方,私たちの生命は,由来を追っていけば,確実に原初の生物に行き着きます.(マイケル・ポラニーの表現を借りると,)この系列で祖先をたどっていくと,ヒトを過ぎてさらに進化の系列をさかのぼることになります.そのうちに有性生殖を過ぎ,無性生殖の段階になると両親への枝分かれはなくなって一本の線上をたどり,ついには原初の生物にたどり着きます.

生命は生命からしか生まれない.この生命の連続性は十分に認識する必要があります.ダーウィンの偉大な業績の本質も,種の連続性の洞察に存在します.すべての生物は,遠い近いの違いはあるにせよ,互いに親戚同士なのです.

 

《無意識》

私たちは原初の生物から生命の原理を引き継いでいます.この間,生命の原理はさまざまな内的および外的な環境の変化に対応してきました.その意味で,私たちの背景的意識には,地球上での40億年の体験が反映しています.私たちは昆虫とも本能のいくばくかを共有しているのです.

人間の日常生活は主として自覚的意識によって支配されているように感じられます.しかし,自覚的意識には背景的意識が伴っており,それは個人の誕生からの体験のみならず生命の誕生以来の40億年の歴史を背負っていて,自覚的意識を条件づけ導いています.

背景的意識は非合理的なものではありません.背景的意識が十分探究されることなく自覚的意識にのみ着目するから行動が非合理に見え,それが背景的意識に転嫁されてしまうことがあるのです.

フロイトのいう「無意識」は,背景的意識として理解すべきものです.フロイトは一見非合理に見える人間の振る舞い―たとえば,ヒステリー―を,背景的意識にまでさかのぼって,合理的に把握しようとしたのです.画期的な試みです.

フロイトは「無意識」と呼びましたが,それは「意識」とは密接に関わっています.治療が進み,分析医が患者の抑圧の根源に迫ろうとすると,患者が激しい抵抗を示すのはその証拠です.すなわち患者は自己自身が自己に対しておこなった非自覚的な抑圧を《知っている》のです.

 

生物における《意識》

背景的意識の存在は,生命の原理の現われとして,すべての生物に共通するものと考えられます.

特定の対象に向けられるという意味での自覚的意識は,少なくとも動物において認めることができます.たとえば彼らは,耳をそばたて,獲物を追います.何が獲物であり,どうやって捕獲するのかは本能によって与えられるにしても,当の獲物は見つけ出さなくてはならず,見つけたら追いかけなければなりません.

自覚的意識といったとき,私たち人間は自分が考え込んだときのことを想定しがちです.私たちは内側にこもり,言語によって考えます.そこで,自覚的意識というのは,言語を有する人間に特有のように錯覚してしまいます.

しかし,私たちが真剣に生き生きと活動しているとき,意識はいわば《透明》になっています.すなわち,私のすべてが外部に向かい,内側にこもっているものがないということです.このことは,たとえば,強力なライバルを相手に運動競技をしているときや,大勢を前にプレゼンテーションをしているときのことを思い起こせば理解できるでしょう.意識が《透明》だといっても,そのとき私は何も考えていないわけではない―どころか私の背景的意識も自覚的意識もフルに活動しているのです.たとえば,獲物を追う動物の意識は,これに比すことのできるものではないかというのが私の推定です.

〔以上は,唐木田健一『生命論』の4の一部にもとづく〕


行動の「動機」「動因」さらに「本能」

2021-06-08 | 日記

動機と動因

ここでは私たちの行動の動機について考えてみます.サルトルの『存在と無』[1]によれば,動機は通常,行動の理由と解されるものです.そして,その理由は,行動の目的と一体です.他方,なぜそのような目的をめざしたのかということは《主観的》な事柄であり,動因と呼ばれます.

歴史家は通常,動機を探究します.動因をもち出すことがあるとすれば,どうにも動機だけでは問題の行動が説明できない場合です.一方,心理学者は,歴史家とは異なり,動因の探究を常とするようです.

溺れる子供を発見して川に飛び込もうとしている人がいるとしましょう.そのときのその人の動機は,子供を救うことです.そして,動因とは,その動機の「背景的意識」のことです.あとで振り返って,「そういえばあのとき自分の子供の顔が思い浮かんだ」とか,あるいは「子供の頃に自分も救われたことがあって,それをきっかけに泳ぎを覚えた」といったことが想起されるのです.動機は同じでも,動因は人さまざまということになります.

 

本能的行動

私たちの日常の動作・行動は,背景的意識によって導かれています.そして,その背景的意識は,過去の知識や体験に関わる膨大な記憶にもとづいたものです.この記憶は自覚的なものばかりとは限りません.それどころか,自覚的な部分はごくわずかでしょう.

私たちの行動は同時に「本能」によっても導かれています.本能的行動は通常,学習された知識や体験と融合して現われます.あるいは,私たちの原初的―すなわち生まれたばかりの頃の―行動はもっぱら本能によって導かれたものでしょうから,学習された知識や体験も本能によって導かれたということができるでしょう.そして,その本能を直接に導くのは,生命の原理です.

このように,生命の原理は,私たちが学習によって自己をつくり上げるに先立ち,私たちを条件づけ,その「生」を導きます.背景的意識は,生命の原理の作用であると同時にその作用の蓄積した結果です.それは生物としての人間のあらゆる水準―分子レベル,細胞レベル,組織レベル,器官レベル,個体レベル,さらには「社会」のレベル―に作用する「生きようとする力」とひとつのものです.

人間の行動に本能が反映していることは確かです.しかしながら,純粋な本能的行動を見定めることは大変困難です.上で述べましたが,本能的行動は通常,学習された知識や体験と融合して現われるからです.性的行動や食欲を簡単に「本能」など言ってしまうことがありますが,それらには大いに文化や学習が関わっています.新生児が乳を飲むことなどは,純粋な本能的行動と言うことができるのでしょう.

 

本能の合目的性(1):ファーブルの疑問

本能の的確さには驚くべきものがあります.本能は,物質の原理にも偶然にも帰すことのできない生命の原理の発現として銘記されなければなりません.純粋な本能的行動は,人間を対象としたものではありませんが,ファーブルの偉大な書に多数の記述が見られます[2]

1854年の冬,ファーブルは昆虫学の大家レオン・デュフールの昆虫学の冊子を読みました.ファーブルは当時31歳で,フランス・アヴィニョンの中学で理科の教師をしていました.デュフールの冊子には次のような趣旨の記述がありました:

ツチスガリというハチは,その幼虫に餌としてタマムシという甲虫を与える.獲物は,形も大きさも色も著しく異なった種に及ぶが,すべてタマムシ属である.ツチスガリは,このように外見の異なった種を,同じタマムシ属といかにして認識するのだろうか.さらに不思議なのは,タマムシは確かに死んでいるのだが,色彩はあざやかなままであるし,肢も触覚も完全にしなやかである.またそれらしい外傷もない.夏だと,死後数時間もすれば,内臓は乾燥するか腐るかして,形や構造を調べることができなくなる.ところが,ツチスガリが殺したタマムシの内臓は完全に保存されている.何か特別な事情によって,一週間ひょっとしたら二週間も,乾燥や腐敗を免れている.

この「腐らないタマムシの屍」という不思議を前に,デュフールは,狩蜂ツチスガリが甲虫タマムシに防腐剤を注射したものと考えました.

デュフールのツチスガリは,タマムシツチスガリでしたが,ファーブルが地元で見つけ出したのはそれと同属のひとつであるコブツチスガリ(=オオツチスガリ)でした.その獲物となる甲虫は(わずかな例外を除いて)ゾウムシ類のひとつであるハススジゾウムシモドキの一種だけでした.このゾウムシは,この地方で一番体が大きく,また最もたくさんいるものでした.

ファーブルは,彼の観察の結果,ゾウムシが死んでいて,それを防腐剤が守っているというデュフールの考えに疑問をもちました.ゾウムシの生命は確かに障害を受けて植物的となっているが,ともかくそれは密やかながらも生きているのではないか.その証拠に,ゾウムシは最初の週の間,排便します.これは腸に何もなくなったときに止みました.また,ゾウムシは,ベンジジンという薬品の刺激によって肢を動かします.さらに,ブンゼン電池を使って電流を流すと,体の部分に運動を引き起こしました.

 

本能の合目的性(2):ファーブルの観察

ファーブルは,ゾウムシは死んでいるのではなく,運動中枢を侵され麻痺しているのだと考えました.ゾウムシは生きたまま,新鮮な食糧として,ツチスガリの幼虫に与えられている.これは肉食の幼虫にとっては最大のごちそうです.

ゾウムシを麻痺させる武器は,ツチスガリの針でしょう.それでは,その針でゾウムシ(甲虫)のどこをどうやって刺すのか.ゾウムシは堅固な鎧を着込み,その継ぎ目と継ぎ目もきっちりと合わさっています.

ファーブルは忍耐と創意工夫で観察を続けました.そして,ツチスガリは,ゾウムシの第一対と第二対の肢の間の前胸の合わせ目に,すばやく二三度針を差し込むことを見出しました.それによりゾウムシは一瞬にして動かなくなってしまう.それでは,ゾウムシのこの胸の位置には,一体何があるのでしょう.

動物の運動能力を一瞬にして絶つには,その運動中枢を破壊すればよい.成虫の胸部神経節は三つあります.その場所が,第一対と第二対の肢の間,下面の正中線上です.とくにゾウムシの場合,運動中心は共通の塊になるほど接近しているので,ファーブルによれば,動物としての運動機能はより完全となるが,同時に攻撃を受けやすくなっています.

ファーブルは,次のように書いています:

ツチスガリの獲物選びは,一番博識な生理学と一番詳しい解剖学だけが教えるものと一致している.それを偶然の一致として片付けようとしても無理である.こんな調和は偶然などを持ち出しても,説明がつくものではない.(引用にあたって,昆虫名は傍点付きひらがなからカタカナに変更)

ここで,「博識な生理学」とは,運動能力を絶つには運動中枢を破壊すべきこと,また「詳しい解剖学」とはゾウムシの運動中枢の位置のことです.

先に書いたことを繰り返します.本能は,物質の原理にも偶然にも帰すことのできない生命の原理の発現なのです.

 

本能と物質的秩序

生物とは「生命の原理」が「物質の原理」を活用する有様のことです.したがって,本能的行動に関わる物質の原理が明らかにされることは,何ら不思議なことではありません.「性フェロモン」の発見はその一例です.すなわち,本能的行動に関わる物質の原理が明らかにされたとしても,それによって本能が物質の原理に還元されてしまったことを意味するわけではありません.

☆フェロモンは動物から分泌され,同じ種の他の個体の行動や生理に影響を与える物質の総称である.このうち,雌雄間に影響を及ぼすものが,性フェロモンである.

本能的振る舞いの的確さには驚くべきものがあります.しかし,これが驚くべきものであるのは,たとえば生体におけるカルビン回路の的確さが驚くべきものであるのと同じです.

〔以上は,唐木田健一『生命論』の4の一部にもとづく〕


[1] J. P. Sartre, L'être et Le Néant (1943)/松浪信三郎訳『存在と無』人文書院,第一分冊1956年,第二分冊1958年,第三分冊1960年.

[2] J. H. Fabre, Souvenirs Entomologiques (1879-1910)/山田吉彦・林達夫訳『ファーブル昆虫記(一)』(全十巻)岩波書店(1993).


「生命の原理」の発現としての背景的意識: サルトルの非定立的意識(あるいは非反省的意識)を《実感》する

2021-06-07 | 日記

背景的意識

生命の原理は生物(したがって私たち)における生きようとする力のことです.したがってそれは,私たちにとって,最も身近なものなのです.私たちにおけるその現われは,私が「背景的意識」と呼ぶものです.

「背景的意識」とは「自覚的意識」の対(つい)となるものです.私たちの「自覚的意識」は,その都度特定の対象に向けられています.たとえば,パソコンのディスプレイであり,本のページであり,ヘッドフォンからの音楽です.そのとき,私たちの「背景的意識」は,本人の意図とは独立に,環境全体に向けられています.

いまこのブログを読んで下さっている貴方! 貴方の足に感覚の注意を向けてみて下さい.貴方は,靴下を通しての履物の感覚,あるいは素足での敷物や床の感触を得ることでしょう.それらは,私からの注意喚起がある前は,とくには意識していなかったはずのものです.しかし,貴方はそれを感じていなかったわけではない.それは背景的に,漠然と意識されていたのです.私の注意喚起とともに,それは背景的意識から自覚的な意識の対象に移行したのです.

たとえば,電車の中で読書に夢中になり,アナウンスを聞き逃すということがあります.このとき,そのアナウンスは,間違いなく耳には届いていたのです.だから,駅を乗り過ごしたあとで,「そういえば何かアナウンスがあったなあ」と想起することができます.アナウンスがあったときの自覚的な意識の対象は本であったのであり,アナウンスは背景的に漠然と意識していたのです.

背景的意識は「無意識」と呼ばれることのあるものです.しかし,それは意識いのではありません.それは,漠然と,背景的に意識しているのです.

自分の自覚的意識は記憶の対象となります.あのとき,どんな本を読んだとか,何のCDを聴いたということはあとで思い出すことができます(ということは,忘れてしまうこともあります).これと同様に,私たちの自覚しない―背景的な漠然とした―意識も,私たちは非自覚的に記憶しています.

 

「背景的意識」は生命の基盤である

いま考察した「背景的意識」は,私たちの生命(=生活,life)の基盤となっているものです.それは,私たちにおける生命の原理の現われであり,漠然とではありますが,《実感》できるものです.

私たちは常には何ものかを自覚的意識の対象としています.背景的意識は自覚的意識の背景としてしか意識することができません.すなわち,背景的意識を直接に意識の対象とすることはできません.背景的意識は,「振り返る」という仕方―哲学的意味での「反省」―によって対象として把握できるように思われます.しかし,この場合は記憶が媒介になっており,直接的な把握ではありません.記憶が媒介になっているという意味は,「反省」は(直近とはいえ)過去に向かうものだからです.すなわち,反省の対象となった意識は,すでに背景的意識とは異なるものです.

ここで私が「背景的意識」と名づけたものは,かつてサルトルが「非定立的意識」あるいは「非反省的意識」と呼んだものに相当します.他方,対象に向けられた意識(「自覚的意識」)はサルトルにおける「定立的意識」です.したがって,「定立的」というのは,「特定の対象には向けられていない」ことを意味します[1].また「背景的意識」は反省によってはとらえることができないので,「非反省的意識」とも呼ばれます.

 

記憶

私たちの日常の動作・行動は,過去の知識や体験に関わる膨大な記憶にもとづいています.ただし私たちは,通常の場合,記憶を手繰りながら生きているのではありません.記憶は,背景的意識として,ほとんど自覚されることのないまま活用されているのです.

たとえば,《スマホ》を手にとったとき,人はその各部分の意味,その機能および使用法,あるいはその料金体系などのきわめて多くの知識を背景としています.《スマホ》の操作というのは,決して単純な作業ではありません.しかし人は日常,この作業をほとんど《無意識》におこなっています.すなわち,記憶を参照しながらの行為ではありません.ただ,《無意識》とはいえ,人は自分が何をしているのかはわかっているし,それは文字通りの機械的作業や《条件反射》とは異なるものです.

もちろん,《スマホ》の操作に関して記憶を手繰るということはあります.たとえば,ある設定を解除したい場合などです.そのとき,記憶した知識は,背景的意識から,自覚的意識の対象へと移行して,想起されるのです.

しかしながら,私たちは背景的意識におけるすべての記憶を自覚的意識の対象へと移行することができるわけではありません.それどころか,自覚的意識の対象へと移行できるものは,おそらく背景的意識のうちの微少部分です.

 

背景的意識の根源性

最近は《トラウマ》(心的外傷)などという概念が日常的に用いられるようになってしまいましたが,ある対象を見たとき《わけもなく》不安におそわれるということがあります.それは,その対象が過去の恐ろしい―心に傷を与えるような―出来事と結びついているときに起こります.

☆私は学生時代,ジープを見ると不安になることを自覚した.あるとき,実験装置の運搬で自分自身がジープに乗らなければならなくなって,急に子供の頃のある場面を思い出した.占領軍のジープが突然来て近くに停まったときの周囲の大人たちの緊張した姿である.また当時,私はジープに乗っている「アメリカ人たち」(としか考えなかった)を恐ろしい人たちと思っていた.

ただし注意して下さい.ここでは,その問題の対象が過去の出来事を想起させ,その結果として不安になるというのではありません.不安のほうが先なのです.そして,その不安をもとに自覚的に過去を振り返ったとき,ある出来事が想起されてくることがあるのです.あるいは,過去の出来事が想起されることもなく,《わけもない》「不安のまま終る」ということもめずらしくありません.

ここにおける不安とは,私にとってその対象の背景的意識をなすものです.「不安のほうが先」(あるいは「不安のまま終ることもある」)というのは,背景的意識―私における「生命の原理」の発現―の根源性を示すものです.すなわち,問題の対象を自覚的に(たとえば)危険なものととらえる以前に,《わけもない》不安という背景的意識によって,その対象の意味を私に対して暗示しているのです.

 

背景的意識の能動性

ある課題を解決しようとして徹底的に努力したがダメで,いったんあきらめ放置しておいたところ,あるとき突然解決した気がして確かめてみると,実際解けているということがあります.私の個人的体験では,たとえば次のようなものがあります.

小学生のとき,放課後の校庭で,初めて自転車に乗ることに挑戦しました.何時間も頑張りましたが,全くダメでした.翌日の授業中,教室からぼんやりと校庭を眺めていたら,突然「できる」という感じがしました.放課後実際にやってみたら,試行錯誤を全くすることなしに,すでに乗れるようになっていました.同様なことは,たとえばピアノの指使いの場合などにもあります.つまずいてしまいどうしてもうまくいかなかったものが,あるとき突然「できる」と感じ,そして実際に可能となっているのです.

理論的課題については,同様なことはしばしば経験することです.私がとくに上のような例に関心をもったのは,それが実技に関わることであったからです.ここには背景的意識の能動性が現われています.

〔以上は,唐木田健一『生命論』の4の一部にもとづく〕


[1] J. P. Sartre, L'être et Le Néant (1943)/松浪信三郎訳『存在と無』人文書院,第一分冊1956年,第二分冊1958年,第三分冊1960年.


平野啓一郎『日蝕』を巡って

2021-06-02 | 日記

ここに掲載するのは,「物理学者の社会的責任」サーキュラー『科学・社会・人間』19993号(通算69号)に発表されたものである.

唐木田健一

 

     *

 場所柄あまり相応しくないと思われるかも知れないが,最近ある文学賞を受けたことで話題となっている小説『日蝕』[1]を読者に御紹介したい.「場所柄」との関係も,多分少しあとで触れることができるであろう.

 

舞台

 舞台は中世のフランスを中心としたヨーロッパの地方である.主人公である学僧ニコラは巴黎(パリ)大学で神学を学んでいた.彼はマルシリオ・フィチーノ訳『ヘルメス選集』の写本の断片に関心をもち,学士号を得た機会にその完本を落掌しようと1482年の初夏,長い旅路を経て里昂(リヨン)に至る.しかし,そこで数日を過ごした後,彼は文献入手が予期以上に困難であることを悟る.

 彼は幸運にも里昂(リヨン)司教の知遇を得ることができた.そして,司教は彼に仏稜(フィレンツェ)に行くよう勧める.そして,そこに行く前に,当地から少し離れた維奄納(ヴィエンヌ)の司教管区内の村に住む錬金術師を訪ねるようにと云う.「勿論,慥〔たしか〕な信仰の持ち主です」(18頁).ニコラは司教に対する信頼とその錬金術師への若干(そこばく)の興味でそれに従うこととする.

 維奄納(ヴィエンヌ)に着いた彼は,自分と同じドミニコ会に所属する清貧の托鉢僧が説教する場面を目撃する.少しのちに分かることであるが,彼はジャックと云う名の異端審問官であった.村人たちはジャックに度を過ぎた尊敬を示しているようであった.ニコラには,それは信仰に似た何か別のものであるように思われた.

 ニコラが挨拶に訪問した村の教区司祭の部屋には葡萄酒の樽が置かれ,室内はその匂いで満たされていた.また,布に覆われた籠の隙間からは,豊かな食物が見えた.村では,昨年よりの冷害のため,日々の糧にさえ窮していたのに.さらに,教会には,「場違いな」三人の若い女が出入りしていた.

 

錬金術師

 里昂(リヨン)司教に訪ねるよう云われた錬金術師ピエェルは,司祭からは「魔法使いの爺(じじい)」と呼ばれ,ニコラの舎(やど)の主人には「偏屈男」と表現されていた.しかし,ニコラは,彼の容貌の高勁〔こうけい〕さ,自然学についての理解の精確さ,その作業の厳格さと敬虔さ,などにすっかり魅せられる.

 村の鍛冶屋ギョオムの話では,ピエェルの家に出入りできるのは自分唯一人であり,食事の購入や雑用は全て自分が請け負っていると云うことであった.その話し振りからは彼のピエェルに対する尊敬が推察された.しかし,ギョオムは渡される費用の一部を誤魔化しているようであった.ピエェルのほうもそれを不問にしているらしい.

 「ピエェルは,私〔ニコラ〕の訪問を厭わず,然りとて歓迎する風(ふう)でもなく,只書棚に並べられた許多(あまた)の書物を肆(ほしいまま)に閲するを許していた」(100頁).また,一度正餐にも招かれ,ギョオムに訝し気な思いをさせる.そのような前例はなかったのである.ニコラは錬金術師に受け入れられたようであった.

 錬金術師の生活は厳しく律せられていたが,その唯一の例外は誰そ彼(たそがれ)時に家の背後にある森に外出することであった.これだけは,殆ど情の赴く儘に不規則に行われていた.「第一質料」探求のためということであった.ある日ニコラは,森に向かう彼の跡を付けた.恥ずべきことであるとは十分解っていながら,ある濃密な予感に駆り立てられて・・・・・.

 ニコラが導かれたのは,無数の鍾乳石とそれに対応した石筍〔せきじゅん〕のある洞窟の奥であった.そこで彼が目撃したのは「両性具有者(アンドロギュノス)」であった.それは,巨大な石筍に附着しており,衣服は一切纏わず,唯その頭に茨と蛇とが複雑に絡み合った冠を戴いただけであった.その肉体は優美さと堅強さを備え,金色に輝いていた.それは,石から産まれ出ようとしているかのようであり,また石に吸収されるのを耐えているかのようでもあった.その石筍を支える台の表面は水の上にあり,付近はまさに開花しようとする薔薇によって覆い尽くされていた.錬金術師はアンドロギュノスの髪から始めてその全身に触れ撫で口唇を押し当てた.

 

出来事

 洞窟での目撃と相前後して,村では奇妙な間歇熱が流行を始め,瞬く間に幾多の肉体を蝕んでいった.人々は嘗ての黒死病(ペスト)の猖獗を想起し怯えた.説教を続ける異端審問官ジャックは,冷害も疫病の蔓延も魔女の妖術によるものだと云っているらしい.ニコラは錬金術師ピエェルのことを案じたが,ある日村に現れ捕らえられたのはあのアンドロギュノスであった.それはどうやって石の縛(いまし)めから逃れ出たのであろうか.

 維奄納(ヴィエンヌ)で審問を受けたアンドロギュノスは,異端審問官ジャックによれば終に自らの罪を告白し,捕縛から約1カ月ののち村の原野で焚刑に処せられることとなった.村人たちは挙って刑場へ向かった.その中にはピエェルも混じっていた.

 引き出されたアンドロギュノスには激しい拷問の跡があった.それは生ける屍体であった.人々は一斉に石を投げ付けた.罵声が飛び,怨言が飛んだ.この時,アンドロギュノスの醜怪な肉体から,聖女にのみ相応しいと思われる郁氛(いくふん〔よい香り〕)が立ち昇った.

 薪に火が放たれた.風はなく,蒼穹(そら)は澄んでいた.焔は勢い附き熱は周囲にも達(とど)いたが,アンドロギュノスは全く苦しまなかった.人々は動揺を始めた.「誰しもがこれが尋常ならざる生き物であると云うことを知っていた.知ってはいたが,敢えてそれを魔女だと断言してきた.・・・・・〔中略〕そして今,刑架上のそれを瞻(み)て,最早その思いを禁ずるを得なくなったのである」(163頁).

 蒼穹(そら)に異変が起きた.それまで赫(かがや)いていた太陽が黒い翳に侵され始めた.日蝕の開始であった.アンドロギュノスは身を大きく痙攣させた.地上では雷鳴の如き音と倶に焔が騰(あ)がった.アンドロギュノスは驟然と顎を突き出し,双眸を天に向けた.この時,人垣を分けて唖の少年が現れた.その口からは初めて哄笑が噴出した.唖の口が音を発した.

 太陽は終に月と結ばれた.その瞬間,勃然と起こったアンドロギュノスの陽物はスペルムを以てそれを射た.またスペルムは自己の陰門と出会いその内部に流れ込んだ.主人公はアンドロギュノスと一体になったのを感じた.彼は世界の渾(すべ)てを一つ所に眺め,それに触れた.世界は彼と親しかった.そして,彼は,遥か彼方より発して,尚至る所にその源を有する光に到(とど)かんとしていた.・・・・・

 気が附くと,刑架上のアンドロギュノスは消えていた.太陽もまた元の通り赫(かがや)いていた.村人は皆,茫然自失の態であった.ジャックは刑架の下に魔女の肉片を探させたが,そこには灰しかなかった.このとき,群衆の中から錬金術師ピエェルが現れ,灰を分けて不思議な光を放つ緋(あか)みを帯びた一個の金塊を探り当てた.ジャックはピエェルの逮捕を命じた.告発があったというのだ.ピエェルは抗わなかった.ジャックはピエェルの手から奇妙な物質を取り上げると,それを掌(たなそこ)のうちで握り潰した.指の隙から光の名残のような金粉が零れた.

 ニコラは翌日村を跡にし,仏稜(フィレンツェ)に向かった.

 

その後

 あの出来事から三十数年が経過した.ニコラは現在,或る地方の小教区で主任司祭の職にある.彼は過日,所用で羅馬(ロオマ)に赴く機会に,維奄納(ヴィエンヌ)を訪問した.当地での人々は,皆近年における異端審問の劣悪さを非難していた.そして,その審問官の中にあのジャックの名があった.

 ニコラはジャックを修道院に訪問した.その貌容は著しく変じていた.彼はニコラを認めなかった.また,村で処刑された魔女のことも,錬金術師ピエェルのことも,皆覚えのないことだと云った.明らかに嘘であった.

 同じ日,ニコラは村の鍛冶屋ギョオムに声をかけられた.ギョオムによれば,修道院に居るジャックは,やはりかつて村で説教をしていた人物であった.また,ピエェルの消息を問うと,彼は「あのいんちき錬金術師」は獄の中で死んだと云った.また,あれを魔女として告発したのは自分だと云った.

 ピエェルの死を知ったニコラは,かつてピエェルから得た書を紐解いて,錬金術の実験を始めた.彼は,薄暗い小さな部屋に籠もって作業を行っていると,その一刹那一刹那に,ある奇妙な確信を以て世界の渾(すべて)と直(じか)に接していると感ずることが出来た.これとほぼ同様の,そして,これより遥かに激しい感覚を人生で唯一体験したのが,あの日の魔女の焚刑であった.

 以上が,本作品のあらすじである.

 

異教哲学への関心

 主人公ニコラは異教哲学に関心をもっていた.彼の旅立ちのきっかけをつくった「ヘルメス文書」も,紀元前3世紀から紀元後3世紀頃にかけてエジプトで作成された異教の文書群であり,その内容は哲学・宗教・占星術・錬金術・魔術などから成っていた.これが,マルシリオ・フィチーノによって羅甸(ラテン)語に翻訳され,1471年に出版されたのである.ニコラの旅立ちの約10年前のことであった.

 彼は決して異端に憧れていたり異端的であったのではない.まるで逆であって,彼は異教徒達の思想によって信仰が危機に瀕するのを防ぐのが自分の使命であると信じていたのである.「そんならお前は異端審問官になるが好かろう.折角,ドミニコ会士となったからにはな」(9頁)と云う者もあった.しかし彼の願いは,異教哲学を排斥することではなく,それを神学のもとに吸収し従属せしめることにあった.

 異教哲学とはいえ,それは部分的には真実を含んでいる.それを単に放逐しても,それはその部分的真実の故に必ずや復活する.そして,そのとき,その誤った部分も正当なものとして蘇ってしまうであろう.従って彼は,排斥することで,それらが教義の外に放置されるのを許してはならないと考える.「云うなれば,毒を含んだ水さえをも,葡萄酒に変えてゆかねばならぬのである.―私はこれを可能と信じていた.何故ならば聖書の教えこそは,正にそれを可能ならしめる巨大さと深遠さとを備えているからである」(10頁).

 このような思想は何も新しいものではない.主人公ニコラは13世紀に聖トマス〔アクィナス〕が抱いていたであろう切迫した危機感を意識していた.聖トマスは,異教であるアリストテレスの哲学を,神学を以て克服したのであった.ニコラは,「齢に似合わぬ,時代遅れの珍奇なトマス主義者と目せられていた・・・・・」(12頁).しかし,彼はトマス主義者たることにも十分な満足を得てはいなかった.聖トマスの神学に畏敬の念を抱きつつも,「より進んだ世界の理解,つまりは神の理解を試みむが為には,やはりそれだに越えねばならぬものであろうとの考えを朧気に持していたのである」(13頁).

 

社会的状況

 主人公はこのように,神による秩序を全的に信頼し,それをさらに徹底したいと考えていた.この意味で彼は《保守派》であり,「時代遅れのトマス主義者」であった.しかしながら/あるいはそれ故にこそ,彼は自己の所属するドミニコ会を始めとする諸会派に対し厳しい批判を抱いていた.それは何も,「某村の某婦人から,ドミニコ会の説教坊主が適切ならざる施しを受けたと云う類(たぐい)の話」(29頁)の故だけではなかった.

 彼の異端審問への批判についてはすでに触れた.また,それには,教義との関わり以前の問題もあった.「事実,金銭目当(めあて)の魔女裁判は横行し,一部ではそれを俗権に委ねることさえ躊躇(ためら)われなかったのである」(9頁).

 主人公はまた,「清貧の理想」―たとえば,あの異端審問官ジャックは清貧の托鉢僧であった―を無邪気で貧しいと感じていた.「人々は,終に基督〔キリスト〕の意味を解さなかった」(33頁)と苛立っていた.彼は,奇妙な厭世的生活を営む人々を多く知っていた.「彼等の実践する清貧は,殆ど肉と世界とへの憎悪より成っていると云っても過言ではな」(36頁)かった.「しかし,それでも我々はこの死すべき肉と世界とを愛さねばならぬ,大いなる理由を慥〔たし〕かに有しているのである./即ち,世界は神よって創造せられ,加之(しかのみならず)神は受肉したのである」(34頁,「/」は原文における改行1字あけ).ここで,神の受肉とは,もちろんイエス・キリストの存在をさしている.ここでも主人公の教義への徹底振りが理解できるであろう.

 彼はまた,「里昂(リヨン)に居た間,同室の修道士が,村での托鉢は遣切れぬと切(しき)りに零していた」ことを思い起こす.昨年は酷い冷害で,村ではろくに食物もなかった.「村人達は,襤褸〔ぼろ〕を纏〔まと〕って托鉢をする我々の姿に,清貧ではなく怠惰を察(み)」たのだった.「こんな修道院生活を,聖ドミニクスが御望みになっていたのでしょうか?」(95頁)

 ここまで書けば,私がこの作品を紹介しようとする理由が説明できるであろう.すなわち,既存の秩序を足場としてその徹底をめざし,同時にその内部矛盾をしっかりと見据えているというのは,私が以前記述した[2]基本理論の創造者の姿勢(あるいはそのような創造者を理解するための構え)と完全に一致するのである.

 創造者は,既存の理論(秩序)の論理を徹底することによって,その内部矛盾を顕在化させる.そして,その矛盾をのりこえることによって新しい理論を導き出し,同時に古い理論を崩壊させる.この理論の崩壊は,それまで開いて活動していたものが限界づけられるという意味で,理論の完成とも呼ばれる事態である.ここにおいて,「矛盾の現れ」-「古い秩序の崩壊と完成」-「新しい秩序の生成」の図式を,しばらくの間だけ,御記憶いただきたい.

 

予兆

 主人公ニコラが初めて錬金術師ピエェルの家を訪れようとした時のことであった.彼はその家の背後に迫った鬱呼〔うっこ,草木の茂るさま〕たる森の威容に足を留めた.それは熾(さかん)な焔のように見えた.それは,その堕落の故に滅ぼされたソドムやゴモラ(旧約聖書に出てくる町の名)に天から下された硫黄の大火のようであった.彼はある思考に導かれた.

 悪が,単に善の欠如を意味するのなら,何故その永い運動の果てに得られるであろう,その本性の存在と完成とが待たれないのであろうか.何故その贖いの為に,このような瞬間的で無時間的な裁きが必要とされるのであろうか.この焔は,単に人の堕落のみでなく,善悪を遍く孕んだこの世界の根源的な秩序を呑み込もうとしているかのようであった.「そのうねりと目眩(めくるめ)く赫〔かがや〕きとの裡〔うち〕に,或る瞬間的な到達の暗示と再生の劇的な予感とを閃かせながら.―世界の全的到達再生」(60頁).

 ここでは,秩序の転換が,蓄積的(すなわち,「その本性の存在と完成が待たれる・・・・・」の)ではなく,飛躍(「瞬間的な到達」)として生ずるということが示唆されている.これは,上で言及した,基本理論の転換のプロセス―のりこえ―とそのまま対応する.古い秩序は全的な到達と同時に崩壊し,新しい基本理論が生成するのである.

 このことは,錬金術についてニコラがピエェルから学んだ内容とも対応するようにみえる.錬金術は「賢者の石」の創出をその最終目的とする.そのためには,まず,互いに相容れぬものとして対立する二つの原資を,それぞれ或る種の物質から抽出し,互いに結合させることによって石(レビス)というものを得る.これが賢者の石の直接材料である.そして,(ピエェルによれば,)「・・・・・石(レビス)を,一度(ひとたび)『殺生(さっしょう)』し,『腐敗』せしめた後に,『復活』せしめる時,石(レビス)は賢者の石の実体的形相を獲得する・・・・・」(90頁).すなわち,対立するもの同士の結合(矛盾),その「死」,そして「新生」である.(前に提示した「図式」を想い起こしていただきたい.) こうして得られた賢者の石を用いれば,「有(あ)らゆる金属は一時(いちどき)に黄金へと変性する」し,また人間においては,「眼廢(めしい)の者は,その晴(ひとみ)に光を灯し,聾者は音を聴分け,癩病(らいやみ)は癒される」(91頁).

 

「出来事」の意味

 本作品は,主人公ニコラの回想である.彼は,アンドロギュノス(とその処刑)について,終に「一貫した像を形造ることは出来なかった」(188頁)と記している.従って,私もまずは,あの「出来事」は不可解であると云っておく必要があるであろう.しかし,ニコラの記述には,若干の手掛かりがあるように思われる.

 ニコラは間違いなく,ゴルゴタにおけるキリストの処刑に匹敵する出来事に出会ったのである.彼も一時は,そうではないかと考えた.「あの両性具有者(アンドロギュノス)こそが再臨した基督〔キリスト〕ではなかったのかと疑われた・・・・・」.しかし,彼のその想いは,「怯懦の裡〔うち〕に打捨てられてしまった」(187頁).

 私には,《再臨した基督》は,アンドロギュノスではなく,錬金術師ピエェルであったように思われる.御丁寧に「ユダ」まで存在する.すなわち,鍛冶屋ギョオムのことである.彼は,ピエェルを尊敬する唯一の村人であったかのようであったが,ピエェルを魔女として訴えたのであった.

 従って,あの出来事は,ピエェルにとっては厄災であったのではなく,逆に彼によって《意図された》ものであったように思われる.アンドロギュノスは,対立する陰陽二つの性質を合わせもち,石筍から産まれてきた生き物であった.それは,賢者の石の直接材料となる「石(レビス)」なるものではなかったか.そのレビスが殺生(さっしょう)された後に,賢者の石がピエェルによって灰の中から取り出されたのであった.

 ニコラがピエェルから聞いたところによれば,ピエェルは錬金術の過程の中の所謂〔いわゆる〕白化(アルベド)の段階の作業にあった.白化は最初の過程である黒化(ニグレド)に続くもので,このあと更に赤化(ルベド)の過程に成功すれば,賢者の石が得られるということであった.アンドロギュノスの焚刑は,その赤化のプロセスであったのであろう.

 

錬金術師の姿

 《再臨した基督》ピエェルは,すでに紹介したように,ニコラにとって,その容貌,学識,振舞いの全てが魅力的であった.しかし,村人達にとって,ピエェルは「魔法使いの爺(じじい)」であり「偏屈男」,「いんちき錬金術師」であった.また,ニコラですら,「村に滞在した間,畢竟私は,ピエェルが術の異端であるか否かの結着を付けるを得なかった」(176頁)と記している.

 私は,歴史的意味での同時代人としてキリストを目撃した人々のことを,キルケゴールが考察していたことを思い起こす.彼らが出会ったのは,かりそめではない正真正銘の僕(しもべ)姿の人物であった.「まためぼしい観物(みもの)といっては,せいぜい一,二の不可思議な業(わざ)があるだけなのだ.そしてこの業ときたら,驚嘆すべきか,それとも憤慨すべきか,どちらとも判断に苦しむしろものだ.手品師なら,同じ手品を繰り返して見せて,観客に手の内を当てさせる余興を提供することもあるだろうが,(後略)・・・・・」[3](下線は原文における傍点).

 要するに,錬金術師ピエェルはうさん臭かったのである.そして,この世間的な観点でのうさん臭さは,私には,程度の差はあれ,探究者に共通するもののように思われる.

 ブルーム[4]は,ソクラテスと同時代人であった劇作家アリストパネスの喜劇『雲』の登場人物としてのソクラテスに注目する.これにより当時の人々がソクラテスをどう見ていたかが推測できる.『雲』におけるソクラテスは,生涯を費やして自然を探究し,ぶよや星のことで頭を悩ましている.ブルームは次のように書く.「アリストパネスは,一人前の男がぶよの肛門についての考えに時間を費やすことのばかばかしさをわれわれに思い出させてくれる.われわれはこれまで科学の有効性を確信するあまり,科学の見方が身分ある人士のそれといかに遠く隔たっているか,戦争と平和,正義,自由そして栄光に関心のある人間には科学者の関心がいかにお話しにならず,とるに足らないものに思えるかに気づかないできた」.とはいえ,断っておくが,ブルームは科学者が世間からはどう見えがちかを指摘しているのである.彼自身はソクラテスに強い共感を抱いているのだ.

 

現代の問題

 最近,藤永は,人類を終末に向かって押し流している悪しき力の根源として,人々の指が,はっきりと科学と科学者に向けられていることを指摘している[5].人々は,科学者について,自己の専門分野にしか興味を持たず,広い社会的視点で科学を考察しようとしない知的に偏った人間としての像を描いている.しかしながら,社会的な《悪》について云えば,科学者はせいぜい産婆役に過ぎない.藤永は,自己を含む科学者の有罪をはっきりと認めつつも,産婆を糾弾することのみで,肝心の悪の母体が免罪されてしまうことを案じているようにみえる.

 現在の社会において科学と科学者に関する一面的な像が広範に流布されていることについて,藤永はクーンの「パラダイム論」の影響をあげる.クーンは,科学も人間が構築した信条システムの一つに過ぎないと宣言したのであった.これを受け,科学は約束事に過ぎないとか,科学的真理は存在しないとか,科学は錯覚であるとか,といった乱暴でいかにも面白可笑しい主張がマスコミに登場するようになった.しかしながら,クーンの「パラダイム転換」に関する理論は,現実の科学史においては一般的には成立しない.

 藤永は,「トーマス・クーンの科学論の最大の弱点は,彼が科学の現場で十分の経験を積む前に科学哲学者になったことである」と指摘している[6].そう,私の見解によれば,クーン流の科学論や《科学哲学》を振り回す人々は,理論的にせよ実験的にせよ,自然を直接相手にし,それが人間の意のままにならぬということを痛感した経験に欠けているのである.才あって理論を理解することと,地道に探究することとは全然別の事柄である.科学者の振舞いや科学の帰結については誰もが,それぞれの立場で,語ることができるであろう.しかし,科学の本質が何であるかを語るには,上述の経験の欠如は,しばしば致命的な事態をもたらすようにみえる.

 『日蝕』の主人公ニコラは,「出来事」から三十数年ののち,初めて錬金術の実験を開始する.「ピエェルは嘗て,錬金術は畢竟作業が総てであり,仮に万巻の書を読み尽くしたとしても,実際に物質に向かうことをせぬのであれば仍〔なお〕得る所は無であろう,と繰返していた.これはピエェルの信条であり,又,私に対する忠告でもあった.この言の意味を私は漸く今頃になって理解するようになった」(185頁).

 

おわりに

 本作品については,さらに触れたい部分が多数あるが,ここでは議論は以上で止めることにしよう.最後にもう一か所のみ引用させてほしい.ニコラは1509年に西班牙(スペイン)の亜爾加羅(アルカラ)大学に赴任してそこで10年を過ごす.顧(かえりみ)て,彼は一つの失望を味わう.

失望とは即ち,抑(そもそも)時代に由来する不幸を,自らの置かれた環境に帰せしめ,これを以て何らの希望を見出さむとする態度の草迦らしさを悟ったことである(180頁).

告白すれば,これは,とりわけ現状の私にとっては,身に沁みる文章であった.

                                                                   (99.04.25)


[1] 平野啓一郎『日蝕』新潮社(1998).なお,ここでの私の小論中の漢字のあとの( )内は原文に基づく読みであり,〔 〕内は私による挿入である.引用文中の傍点は,ここでは下線で示した.

[2] 唐木田健一『理論の創造と創造の理論』朝倉書店(1995).

[3] S.キルケゴール/杉山好訳「哲学的断片」(1844),桝田啓三郎編『世界の名著40 キルケゴール』中央公論社(1966)所収.

[4] Allan Bloom, The Closing of the American Mind(1987)/菅野盾樹訳『アメリカン・マインドの終焉』みすず書房(1988).

[5] 藤永茂「科学技術の犯罪の主犯は科学者か?」『世界』1998年1月号,289-301頁.

[6] 藤永茂『科学』1998年4月号,372-373頁.