しゃかしゃか母、旅に出ました第二弾!

旅行に出掛けた記録(ほぼ韓国)です
2015年~駐名古屋大韓民国総領事館SNSサポーターズ1期メンバーとして活動中!

【Peach MM727便に搭乗】台中家族旅②2024/4/30

2024年05月23日 | 2024/5GW深夜便台湾5日
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今回、初の深夜便搭乗です!

セントレアを22時45分に出発して、目的地の台湾(桃園国際空港) に

到着するのは、日付が変わった00時55分の予定です。

予定時間通り、搭乗が始まりました。



LCCの飛行機は、乗り慣れていますが、

ピーチアビエーションは、これまた初めてです。

どんな感じかわくわくです。



この機体の色からして、一度見たら忘れられない色ですね。



今回の座席は、比較的前方の方だと思います。

非常口の横ということで、責任はありますが、

座席指定していないのに、とてもいい席がアサインされました。



こんなに遅い時間なのに、駐機している飛行機が多くて

びっくりです。



今回お世話になるのは、 「Peach MM727便」 です。



使用機材は、こちら…



それと共に、非常口に座るに当たっての注意書きを

しっかり読んでおくようにCAさんから言われました。

言語は、日本語が話せれば OK! とのことでした。

この座席、驚くほど前の座席とのスペースがあります。



分かりにくいので、お隣の方に写真を撮らせてもらいました。

圧迫感がまったくないので、快適そのものです!



飛行機の中でよく眠れるように睡眠時間を調節し、

しかも前日は、親戚のお祝い会に行っていた伊豆から

戻ってきたばかりという好条件が揃っていたので、

気を失うかのように、あっという間に眠りについていました。

飛行機に乗り込んだときに、

「みなさまのご協力があり、当機は予定時間より早く出発できます」

とアナウンスがありました。

この時間なので、余計なことをする人も

しようとする人もいないですよね~、出発が早いのは嬉しいです!

うん、なかなかいいぞ~深夜便!

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【歴史に翻弄された徳寿宮】韓国旅行⑤2014/7/16

2024年05月23日 | 2014/71号と行く韓国旅行3日
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こちらは、2014年7月15~17日まで

1号とふたりで韓国へ行ってきたときの記録になります。

職場に無理を言っての休暇なので、3日が精一杯でした。

記事自体が少し古いですが、何らかの参考になれば嬉しいです!

… … … … …

徳寿宮内をウォーキングツアー中です。

中和殿をぐるりと回って、「浚明堂」 の前に出てきました。

その右横につながっているのが 「即祚堂」

こちらは、李氏朝鮮26代王・高宗 (コジョン) が大臣と国政について論議したところです。

王のいる建物には必ず建物の名前に 「堂」 ではなく 「殿」 が付くそうですが、

王の即位式を行なったにもかかわらず、こちらには 「堂」 が付いています。

実は最初にこちらで即位式を行なった王は、権力を振りかざし強引に王位を継承しました。

その時の事情で正殿ではなくここ即祚堂で即席の即位式を行なったため 「殿」 が付いていないそうです。



「昔御堂」

ガイドさんは、とても丁寧に建物について説明をしてくださいます。

珍しい2階建ての建物です。

豊臣秀吉が主導した文禄の役当時、李氏朝鮮14代王・宣祖 (ソンジョ) が避難先から移り住み、

崩御するまでの16年間を暮らした場所だそうです。



ここだけ “丹青” が施されていない、とても質素な造りですね。

2階建ての建物は、韓国の寒さには必須の「オンドル」が設置できないのでかなり寒いとのことでした。



「咸寧殿」

日常生活をするための建物で、高宗の寝殿として使用されたところだったそうです。

中にはモダンなシャンデリアが天井から下がっていました。

高宗は、景福宮の乾清宮に住まわれていましたが、

明成皇后がそこで暗殺されたため、こちらに移られ、崩御されるまでこちらを住まいにされたとか。

そのため建物の中には小部屋が多く、高宗は用心のため部屋をよく変えて寝ていたそうです。

寝室を特定されて狙わねかねないですから。



「徳弘殿」

外観の写真がありませんが、こちらは王が政務を行った場所だそう。

こちらにもモダンなシャンデリアが天井から下がっていました。

しかし、これはレプリカで本物は博物館に保管してあるそうですよ。



「静観軒」

こちらは、王が休憩する場所でした。

西洋風の建物なのでこの場所に不釣り合いのようですが、

ロシアの建築家サバチンが韓式と洋式を折衷して設計したと聞けば納得します。

コーヒー好きだった高宗は、ここでコーヒーを飲みながら外交使節たちと宴会を楽しんだそうです。

とてもモダンな王様だったんですね。

このときは、ちゃんと側面に壁があったそうですよ。



「静観軒」 の裏に回って、韓国風の庭が広がる散歩道を歩いて

「石造殿」 の横に出てきました。

あんな散歩道が存在するとは、まったく知りませんでした。

ガイドさんが付いてくれたお陰です。



この 「石造殿」 は、ここ最近ずっと補修工事中で大きな囲いが設けられ

一度も建物全体を見られた試しがありませんでしたが、今回初めてその全貌が明らかになりました。

イギリス人が設計して、途中から日本の勢力に押されて日韓保護条約が締結され、

建設は日本の建築会社が請け負ったとのことです。



「石造殿・西館」

こちらは美術館として解放されているので、何度か建物内に入ったことがあります。

韓国は、博物館・美術館とも無料だったり破格値で鑑賞できたりするので私はよく利用しています。

こちらは展示内容によって無料だったり有料だったりしますよ。



その前にある噴水の公園ですが、

景色がいいのでこの辺りでウェディング撮影会が開かれていたりしますよ。

1938年に造成されたと言われていますが、韓国の儒教の考え方では

水は高いところから低いところに流れるのが自然の理にかなっているので、

このように上に向かって水が噴射する噴水が作られることは考えられなかったそうです。

ガイドさんが 「噴水と言わない」 とおっしゃっていたのが印象に残りました。

家の娘が “盤浦大橋・月光レインボー噴水” を見たときに 「これが噴水?」 と言いました。

噴水とは、水が上に向かって噴射されるものだと信じていたからだそうで、

いろんな定義や考え方があるものです。



全盛期の徳寿宮 (このときは慶運宮と呼ばれていました) は現在の広さの約3倍の広さがあったそうです。

しかし、高宗が皇帝から退き、慶運宮は先皇帝が住む宮として威厳を失うと同時に

名称も徳寿宮に変わり、1920年には日本植民地により一部が売却されたり、

公園として造成し直され、縮小されていったようです。

そんな歴史に翻弄された王宮…   歩きながら複雑な気持ちになりました。

でもこんな都会の中心に緑の多いオアシスがあるのは羨ましいです。

そして知識が増えて、同じものを見ても見え方が違ってくるウォーキングツアーは楽しいです。

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