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(新)漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

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学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

初釜

2018-01-08 18:52:31 | 日記

 春を待つ、桐友会活動も長い冬休みに入り再開が待ちどおしいが、この間を自主トレと充電の時期とし
たい。桐友会が動とすれば、茶は靜であり、両方でバランスとるのも有効活用の一つである。1月8日は我が家では初釜であったが、一服の濃い茶とはいえ実に心が閑かになる一時であり、この瞬間が好きだ。毎年庭の梅の老樹や椿の枝を活け楽しんでいるが、この時期の梅は好きなものの一つである。梅の枝が付けた蕾は未だ未だ小さいが、一朝暖かさが襲来すれば、一気に大きくなる構えを見せてくれる。こうした気概が好きだ。茶と禅は元来深く関連あるが、道元禅師も梅について少なからずものしてる。正法眼蔵59梅花では、師匠如浄禅師の梅に例えた説法を引用する形で、自らの梅への関心と趣向を表明してる。『この天童山において、陰暦の11月をまず第一に表わすものは、ごつごつと節くれ立った梅の古木である。<時節が来ると>急に咲き出し、一つ、二つ、三つ、四つ、五つというように無数の花開く。その清らかさは、敢て誇示する必要もない(淡々とした事実である)し、その香りのよさも、敢えて誇示するには当たらない。しかし・・・』(西嶋和夫”現代語訳正法眼蔵 59梅花”金沢文庫、1977、P196~197)。こんな具合に、梅を例えに、禅の真髄を開陳していく。たかが梅、されど梅つうところか。画像は、初釜風景である。衣装は桐友会スタイルだが、我が家の茶は、自由自在で全くの自己流で気にしてないが、桐友会々員に国分寺の呉服の老舗はたまんの社長内野氏(桐友会クルーのベテランコックス)がいるので、その気になれば、和装はいつでも用立可能だ。

 

 正月は陸上トレに明け暮れたが、その元旦早朝泉福寺往復10キロについては前回報告したが、その泉福寺鐘楼について、一言追加する。元旦早朝はここ毎年、泉福寺鐘楼に駆け上がり、大鐘を一発鳴らすことで、事実上の年初めとしている。泉福寺は8世紀初頭の創建で、大鐘も当然何百年の星霜経てた分けで、その鳴らす音も例えようもなく響いていた。しかし鐘に刻まれた銘文読むと、戦争のためスクラップとして供出され、戦後暫く音は絶えてたが、有志・篤志家の支援で再度鋳造され響かせるようになった、と読み取れる。銘文には”・・・しかるに昭和十八年一月大平洋戦争のため供出・・・”とある。毎年打ち鳴らすたんびに、戦争の愚劣さ・馬鹿馬鹿しさを想起させられるが、現代も似たようなことをやってないか。戦後の経済成長や経済立国で、随分富あるいは資産を稼いできた。その富の多くは、有形無形の形で国内に蓄積され、ストックとなり、社会資本やインフラ整備の形で国内に、各自治体に、各公共施設に、
各家庭に、各企業に、蓄積しあるいは沈殿してるだろうか。美術館とか、コミュニーテイー施設とか、博物館とか、結構出来てるが、まだまだ乏しいのでないだろうか。巨額なGDP等稼いできたのに、なぜか? 実は、稼いだ多くの富が、外国に行ってしまってることが最大の原因でないか。外債のドル投資など、世界で一位・二位争う巨額だが、こうした投資で絶対に返ってこない、無駄な投資なのである。外国へのバラマキもそうだ。いくら稼いでも、国内は貧困になる一方なのは、ここに原因がある。大鐘を金属スクラップとして戦争へ提供し鋳潰すのと、大して変わらない。これではダメでは。ドル外債やドル紙幣なんかも、結局は紙屑なんだ。稼いだら国内へ還元する、沈殿する、いい図書館を立てちゃう、いい寺院に建て替えちゃう、とにかく国内で遣っちゃう、言い換えれば国内で贅沢しちゃう、これが大切では。泉福寺は10数年前に、篤志家の支援で数十億かけて本体の社殿も再建・整備したが、これが正解であった。
国内へ富を沈殿させる、国内が豊かになる、これが正解だ。いままた、国のトップが外国に何兆とバラマいてるが、国内をもっと豊かにすべきだ。と、鐘を突くたんびで、こんな事を想起した元日であった。
画像は、鮮明でないが、鐘を打つ小生と、その鐘に刻まれた戦争供出の経過を記した銘文である。

 

 
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