春は名のみが続く中、数日暖かい日が続いたが、3月3日(日)に秩父路・宝登山麓の長瀞火祭りに参加しました。秩父鉄道長瀞駅に降りると、駅前広場で矢行地獅子舞団の演舞がありましたが、こうした昔ながらの伝統芸能を保存し引き継ぐのは稀少と思いました。言い方かえれば、開発から取り残され、発展が遅れてきたから保存継続とも言えそうですが、よし悪しは難しい。火祭り会場に向かって、参道登っていくと、左手に旧新井家住宅がある。新井家はこの地方の名主をつとめた名家で、家が造られたのは1745年前後らしいから280年ほど前の住宅である。この地方独特の典型的な養蚕農家であるり、40センチ角の欅の大黒柱が見事で、梁や桁の用材も太く見事でガッシリ家を支えてきたことがわかる。さらに参道登り急階段を上がると宝登山神社につく。明治10年代に造られた彫り物に周囲がビッシリ飾られており、見事な神社である。これらを寄進した、当時の秩父地方住民の財というか懐具合に思い及ぶが、明治10年代といえばここらへんでは大変な時代であったわけだ。養蚕景気というか、インフレに潤った時代で、前半は農民にとっては相当な時代であった。しかし長くは続かず、明治14年の松方デフレ政策で蚕価格も急落し、多くの秩父農民は零落した。明治政府に対する反発は農民の蜂起となり、いわゆる秩父困民党一揆となったが、現代我が国の政治状況も、国による税金の収奪は五公五民超えてるといわれ、他人事でない気がした。
更に急坂を上ると火祭り会場に着くが。 ”秩父路に春を呼ぶ” 火祭りと言われるだけあって、秩父住民にとっては寒く長い冬も、ここの火祭りでもって、ようやく春の実感となるそうだ。京都の総本山醍醐寺から派遣の練行(山伏)が取り仕切る火渡りは、一般参加者も全員が素足で渡れるが、 自律神経の働きを高める効用がありそうだ。
更に急坂を上ると火祭り会場に着くが。 ”秩父路に春を呼ぶ” 火祭りと言われるだけあって、秩父住民にとっては寒く長い冬も、ここの火祭りでもって、ようやく春の実感となるそうだ。京都の総本山醍醐寺から派遣の練行(山伏)が取り仕切る火渡りは、一般参加者も全員が素足で渡れるが、 自律神経の働きを高める効用がありそうだ。
