goo blog サービス終了のお知らせ 

(新)漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

ボート礼讃

2018-03-30 20:57:56 | 日記
               春のうららの 隅田川 
               のぼりくだりの 船人が
               櫂のしずくも 花と散る
               ながめを何に たとうべき
 
1900(明治33)年、滝廉太郎は歌曲集の第1局「花」を作曲し、武島羽衣の歌詞をつけて世に出した。ウイキの説明によれば、<当時隅田川で盛んであった漕艇(ボートレース、レガッタ)の様子など、春の隅田川の情景が歌われた>とされる。この頃、帝都を湧かせた最大のスポーツは、ボートレースであったことは、間違いない。この頃のボート界の状況は、少し前の1887(明治20)年には『帝大が日本初の大学艇庫を向島に建設し、学内レガッタに一高、高商、高等師範を招待、「東商戦」の源流となる』(隅田川ボート記念碑建設の栞、平成28年発行より)と説明されるが、当時のボート漕ぐ学生で賑わう隅田川の情景が彷彿される。又、この頃の高等師範では校内レースが盛んで、1901(明治31)年には校友会にボート部が発足、翌1902(明治32)年には向島で校内大会を開いたと言う。更に、この年12月には利根川の銚子往復遠征を敢行している『筑波大学漕艇部130年史』、P11)。滝廉太郎が「花」を作曲した頃の向島近辺の情景は、高等師範や帝大・一高・高商のボート部の学生が漕ぐオールで賑わってたけで、滝や武島もそんたの情景を歌曲「花」として世に出したものだろう。
 3月29日に桐友会は漕艇実練を実施したが、コースコンデイション・天候もいよいよボートシーズン到来を感じさせるもので、文句なかった。何より、コース外の堤上の桜が早や満開で、かって廉太郎が「花」を作曲した頃の隅田川や向島はこんな情景ではなかったかと、我々の大先輩と往時を思い、冒頭の歌詞を自然に口ずさんだ。

 

 久しぶりの桐友会実練であったが、クルーはC松岡・S藤波・3小泉・2橋爪・B大木で、堤外コーチを富安が担当した。技術的側面は今回は省略するが、本格的な漕艇ボートシーズン到来を前に、手ならし・足ならし段階に終始したのが、今回実練であった。新鋭キャスター投入は既に記事にしたが、おかげで艇の出し入れがスムースで、クルー全員が大いに助かってる。

 

 恒例日高屋パーテイは、メニュー内容の質・価格・従業員サービスが桐友会にピッタリで、会場は日高屋に固定しつつある。画像をアップするが、満足そうな藤波君の様子を注視してほしい。画像では写ってないが、富安君の左は沢田君、渡辺さん(外語OB、ペンタ)が悠然と構えていた(撮影は大木)。

 
                


 
 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする