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(新)漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

疑似トライアスロン

2023-11-27 20:51:37 | 日記
 本日バイク20km、ボート漕ぎ200本でした。さすが今日はロードワーク無しです。3種目のうち、週に2回は2種目をこなしたいと念じてる。本日バイクは、恒例荒川自転車道から比企自転車道を往復でしたが、スタートが午後だったので、始めは晩秋の小春日和満喫でいけたが、落日は予想より早く焦り気味だった。それでも暮れ行く武蔵野っ原を、藤村 暮れ行けば浅間も見えず というか、秩父連山に落ち行く日を眺めながら、秋を満喫できた。空気の霞みがなければ赤城は見えるが、妙義からその背後の浅間は苦しいと思うが、雄大な大自然のエネルギーを取り込みながらのバイクは、爽快である。ローイングマシンでのボート漕ぎも、実際にオール握ってるつもりで、キャッチからフィニッシュまで手を動かすと、艇にのってるような感じになる。私はバウサイドなので、左手首の動きが頻繁となるが、桐友会ナックル艇で前に藤波君、後ろに橋爪君、沢田君達が乗ってるような気になるから不思議である。
 オリンピック正式種目のトライアスロンは、 スイム1.5km、バイク40km、ラン10kmの合計51.5kmの着順を競うスポーツである。小生が師匠としてる池水雄一氏(経済評論家、専門は貴金属)は、国内海外のトライアスロン大会に数カ月に1回は参加してるが、
種目内容は驚異的で、バイク80km・ラン20kmくらいで、スイムだけは規定の1.5kmくらいのレースが多いようだ。池水師匠は、ここ5年間くらい、毎日早朝に起きて20km以上を地元の杉並を起点に井之頭方面を走ってるとか。1日も欠かしてないのがミソで、国内海外出張の時も当然シューズ必携で、真似できない。早朝20km以上というのは、ハーフマラソンに近いわけで想像もできないが、多分ランナーズハイで、1日のうち走ってる時が最高の時間で、茶化す気はないが、依存症気味で止められないのかも、それにしても凄い人だ。
 これから寒さ本番で、サウナや岩盤浴で対応したいが、手軽に浴室をサウナ化できないか一応は考えてる。

 
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有朋自遠方来 不亦楽乎 (とも えんぽうよりきたるあり またたのしからずや)

2023-11-23 13:44:54 | 日記
 昨11月22日午後、都立王子工業高勤務時代の仲間が集まり、旧交を回顧する楽しい会がありました。場所は、東京池袋の東武デパート14階居酒屋御影蔵でしたが、2時間半の予定が余りの楽しさにたちまち時間オーバーして、ようやくおひらきでした。参加は7名で,4年前の前回に比し大分減ったが、コロナ終息すればまた増えそうです。当時は私も20代後半で、他も新卒で初勤務の者が多く、かつ皆独身で、学生時代の付き合いの延長のよな濃密な付き合いの時代でした。若い教員が、たいして年も変わらない生徒にどのように対応したか、教員間のチームワークや葛藤の問題など、教育論・教員間組織論など話題は止まることなかった。
 教育論で口火切ったのはM君でした。彼は、青雲の志抱いて長野の中学から都内高進学だったが、小中を過ごした長野時代の思い出を吐露した。とりわけ小学で4年間担任だった熱血かつ厳しい教師の思い出を、話した。一人の生徒が不始末すると、全員を前に立たせ往復ビンタ食らわせたが、校内外での温かい指導もあり、思い出深く影響も受けたと語った。これにイチャモン付けたのが、体育のS君だ。王子工高信任時代、生徒に舐めらえてはと同様の往復ビンタ食らわせたこともあったが、その後深く反省し、自分の行為を深く分析したと語った。ここから論議は教育問題で数十分にも及んだ。
 まあ、ビールや酒を飲みながらの話だから、硬い話ばかりでなく、話は多岐にわたった。次第に結婚問題などが身近かになると、当時に、如何に対応したかが話題にあがった。男子校で職員も生徒もほぼ男で、女性といえば事務室に高卒の若い女性が入ってくるくらいで、その中ででNさんやFさんが若い教員の憧れの的だった。今だから話せると、とっておきの話もでたが、実際にFさんと結婚にまで漕ぎつけたの体育のS君だけだった。又、当時は学生運動も華やかだったが、若者の間ではスキーブームだった。我らの若い教員も、毎週末はスキー板抱えて上越に、遠くは蔵王くんだりまで繰り込んだ。必ず蒸し返されのが、蔵王のユートピアゲレンデでのリフト端末での私のミスで、毎回赤面至りとなってる。リフト最終時間のミスから、体育S君、M君、英語のH君らとゲレンデを滑り降りることになり、忽ち夕暮れから夜となり、帰着j時間遅れで宿では救援隊出すかな騒ぎになった。酒の肴として必ずこの話が出るが、いい思い出だ。おひらきの時間も忘れ、延々と話しは続き、晩秋の小春日和の一宵を、すばらしく過ごせた。

 
 
 



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曇り後晴れ

2023-11-06 13:55:15 | 日記
 曇り後晴れ、森末さんの事もあり、今一つスッキリしないものを抱えながら、1987年工芸高校印刷科卒組のクラス会が、11月4日夕刻に上野駅前居酒屋“京の利休”で開かれました。森末さんを乗り越え、更に結束を固めていこうの趣旨もあったクラス会であった。参加は、男子8名、女子6名の計14名で、今回もなかなかの参加であった。話しを聞くと、経済不況やコロナ災禍など厳しい状況を乗り越え、皆懸命に生きてる様であった。会社経営してる者、雇われサラリーマンの者、家庭を切り盛りの者等々、その他それぞれが厳しい世情の中で、自分の持ち味を生かし生きてきたわけで、誰もが順風万歩でなかった。
 1987年卒業と記したが、丁度我が国も高度成長が終わり、好景気と好調経済も終わりの頃で、下る一方の経済苦境の30数年であった。K君なども、1日数万食の弁当製造会社勤務だが、コロナ禍の直撃受け、会社の形態や雇用状況なども直撃だったが、乗り越えてきたという。会社経営のS君も、コロナ直撃されたが、会社を大幅に整理して、絵本製造印刷会社として進んでるという。その他、皆それぞれが、厳しい時代を生きてる状況が表明された。最後に私の方から、下記の臨時のクラス通信を配布した。“らいらっく”通信とする名のクラス通信は、入学式日から卒業まで、基本は日刊体制で配布したが、卒業近い1987年2月19日の第305号で終っていた。今回、36年ぶりに306号を出した。

           
らいらっく    №306
2023.11.3
工芸高印刷科クラス通信

                 追悼 森末千晶君

  森末君は、工芸高で全力で学業に取り組み、部活に取り組み、社会人としても成功を収め、良き家庭に恵まれ、良きパートナーにも恵まれ、子供を愛し、地域を愛し、思い残すことない人生だったと思う。打ち込むことがある、愛すべき対象がある、人生の幸せはそこにあるだろう。数年前のクラス会で会い、話を交わし、握手して別れたのが最後であったが、最後の笑顔が焼き付いてる。森末君は、周囲の人々を愛し、また愛され、おおらかな人柄は周囲を和ませ、 森末君の居るところはいつも温かい春風が吹くようだったと思う。1984年入学工芸高印刷科では担任の私がクラス通信を発行したが、これとは別に生徒が週に一回自主的にクラス通信を発行た。
“Friday らいらっく”と名付けていたが、1984年11月30日号を、今回紹介する。森末君の人柄が分る。
 
 
当日のクラス会のスナップ2葉載せる。一枚目は、左から常本さん、岡野さん、藤波君。二枚目は、左から福島君、私、渡辺さん、宮沢さん(旧姓麻岡)である。




  

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