きりのみやこ

ソプラノ歌手「みやこ」の音楽する日々

心を揺さぶる音楽

2014年04月04日 | 音楽のこと
この世の音楽で一番好きな曲は?と聞かれたら、とても答えるすべがないほど、好きな曲は山ほどある。
それらはスタイルも時代もすべてばらばら。

音楽が常に生活の中心に位置してきた私の脳裏には、今まで触れてきた音楽の数々が、自分の記憶を持っている。
つまり、その曲に触れたときのそのときの自分が、曲とともに私の中に記憶されているのだ。
例えば初期のベートーヴェンのソナタを聴くと、小学校高学年、中学生のころの思い出が、かなり細かく自分の中で再生される。
正直、思い出したくない過去と重なって、いまだに恐ろしくて聴く気になれない曲もいくつかあるくらいだ。

そんな私だから、曲が流れると、すっかり忘れていた自分の記憶が呼び起こされる衝撃には割りと慣れている。

でも先日、ブラームスのピアノ協奏曲1番を聴いたときの自分の反応には少々驚かされた。
当然、その曲に触れていた時代がよみがえってくるだろうと思ったら全然違ったのだ。(細かくは書かないけどね。ははは。。。知ってる人が読みませんように。。)

聴き始めた途端に、幼いころから最近までの記憶が、一気に押し寄せたのだ。
それも、表面的な記憶ではない。
自分の多分、奥底に眠っていた、深い深い感情の記憶。
出来事ではなくて、その時代に感じていたあらゆる感情の波が、自分の心に音を立ててドバーッと流れ込んだような感触だった。
またそれが、運転中だったからたまらない。目にワイパーでもつけたくなるくらい、涙があふれ出た。

多分これは、ブラームスと私の心がシンクロした瞬間なのかもしれない、と、思うことにしている。
私の生まれてからこれまでの感情のすべてを使って、ブラームスのこの曲を書いたときの心を感じようとしたのだと。

音楽とはつまり、「記憶」のかたまりなのかもしれない。
作曲家が全身全霊を込めた作った、感情の「記憶」。
もっといえば、太古の昔から人が感じてきた「心」の「記憶」。
感じたものを「音」で表現し、その「音」でまた心が感じる。
それを幾多も幾多も繰り返してきた人々の「心」の歴史。すなわち「記憶」。

しかし、ブラームスの1番。ありきたりの表現になるが、何ていい曲だろう。
文字にしてしまったらやはりありきたりだけれど・・・
なんてロマンチックで、切なくて、でも奥底から湧き上がるエネルギーに満ち溢れていて。。
。。。やめよう。
せっかくの名曲が台無しだ。