つれづれなるままに

今、もっとも関心のある出来事を備忘録としてつづります。2005年から。

南信の会より

2010-11-21 | 教育

本県の数学(算数)には,1時間の展開に一定のパターンが存在します。
それ以外のパターンは,一切紹介されていません。
(「手引き書」,という新教育課程が発行されると,指導主事が主体になって作る本があります。そこからの引用です)
もちろん,普段の授業でこのパターンが必ず行われることはない。
(これは,私の印象です)
つまり,このパターンは,公開授業のためのパターンといってよいと思われます。
あえて,このパターンを崩すような公開授業を企画すると,
企画している間に様々な障害が待ち受けております。
さらに実行し公開すれば参観した教師から攻撃が待ち受けております。

4年ほど前に,前任校の数学科が,これにチャレンジしました。
3地区の算数数学の教師に公開授業をする当番となり
その頃には私の授業を見て実戦を始めていた数学科が,
何が何でもやりたいというので,公開しました。
指導主事の指導はなかったので,ある程度よかったのですが,
並み居る元指導主事のメンバーや地域の数学のリーダーから,総攻撃を受けました。

しかし,我が校の数学科はひるまずに立ち向かいました。

結果は子供のすばらしい発想によって,課題を全員で達成し
思考する楽しさを十分に発揮した子供の姿が現れました。
と,思っていたのは本校の職員と参観したわずかな人のようで,
授業後の検討会では,「やはりの状況」が生まれました。

さて,時がたち,先日臨床授業研究会(南信の会)を行いました。

そこへ数学の公開授業をDVDで見せてくれた先生がいます。
この先生は,本校の授業公開を見て感銘を受けた少ない先生の一人です。
この先生の授業も大きな会での授業でした。
指導主事が事前に指導を行う授業です。
指導主事は全面からの否定でした。
参観者も否定でした。
実のところ,事前に指導案を見ていた私は,
授業展開が従来型となっていたことから,
私も中途半端な感じがして,ちょっと否定的でした

しかし,1時間を通し映像からは,子供の姿を見ると立派な交流がなされ,
真理への追究があり,
非常に難しい問題を理解した子供は,理解を確かめるために,例題を作り出し合うやりとりがありました。
この例題は簡単な数字を当てはめればできるという問題ではなく,
とても特別な例でしかできない問題なのです。
それをいとも簡単に見抜いて,例題を作り,出し合っているのです。
もちろんこんな子ですから,最後の評価問題では,全員(38名)が解いてしまったのです。

この事実が示されているので,授業後の検討会で賞賛の嵐となっていいですよね。
でも,ならなかったそうです。

個人の追求時間がとられていな。
全体での押さえが甘い・・・などなど

数学の展開パターンとなっていない部分を指摘するその根拠は何なのでしょう。
現実に,子供が課題を全員達成し,評価問題すら全員解いてしまったのに。
最後のゴールに到達するときに数学のパターンが無意味であるということを示していたのに。
ビデオを見ると,一人で黙々と解いている子もおりましたし,
すぐに数人が固まり,理解を高めようとしている子どももおりました。
そこかしこで,その子にあった方法によって教え合い,学び合い,認め合っていたのに。

この子ども同士における学びを見とることができないのですな。


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2 コメント

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Unknown (iku-naka)
2010-11-24 00:33:59
先日の南信の会に行けず、ちょっとがっかりしていましたが、そんなすごいDVDが見られたのですね!。残念…。
私も2年前の研究授業のことを思い出しました。孤立無援の中、半ばヤケクソで指導案を作り、授業をしたことを。従来の考え方を変えない限り、現状は変わらない…何で分からないのでしょうか…?。すごく不思議です。
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Unknown (kiri)
2010-11-24 08:15:55
iku-nakaさん,こめんとありがとう。
いらっしゃらないので,どうしたの?と思っておりましたが,元気そうでなにより。さて,参観者の授業を見る目にかかっているフィルターは,なかなかどうして強固なようです。しかし,必ず賛同者はいます。ただ,この先生方も自分でやるという段階には歩を進める勇気は持てません。そのための会を続けることが大事だと思っております。お力をお貸しください。
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