つれづれなるままに

今、もっとも関心のある出来事を備忘録としてつづります。2005年から。

今年度初めての授業参観

2010-11-21 | 理科教育
今年度初めての授業参観する機会がありました。
本県最南端に位置する中学校での理科授業です。

とってもすてきなのは,この地域の理科の委員会メンバーが,
みな『学び合い』を理解していた上での授業だったことです。
それでも今回見た授業は,
遠慮がちにやっていたこともあり
従来の授業との折衷型になってはいました。

授業での子どもはすばらしい,
子どもとの関係性の中で真理を追究していくその姿がすばらしい。
課題は,とっても難しい,しかし,それをいとも簡単に見抜き,説明にはいりました。

そこに待っていたのが,素朴概念でした。
従来豆電球が光るのは,単に電子がフィラメントを通過することで起こっています。
さらに,なぜ通過すれば光るのかを説明できる教師はいないでしょう。
小学校では,このとき電流が+極と-極から出てぶつかり合うことで光る,とか,
電流がエネルギーによって使われるので光る,とか,
様々な議論を踏まえて電流の無機を測定したり,電流の大きさを測定することで,
この概念を払拭しようとします。
実際,このときはこれで理解された状態になるのですが,
中学1年生でこの概念が,払拭された状態になっているのかを確かめると,
さにあらずかなりの人数の子どもは,元の概念に戻っているのです。
だからこそ,素朴概念は強固なのです。

中学では,この部分を2年の電流単元で行います。
小学校同様な手続きで,素朴概念を打破しようとします。
実際テストをするとなくなったように思われますが,
実際はなくなっておりません。
時に,この素朴概念が顔をのぞかせます。
中学校の理科では,顔をのぞかせる機械はほとんどありませんが・・・・

さて,公開された授業は,イオンの単元です。
電解質の水溶液では,電流が流れて豆電球が光り,
非電解質の水溶液では,電流は流れません。
では,この光る仕組みを考えるそんな授業でした。

課題に『豆電球が光る仕組みを・・・』とかかれていました。
子どもは,電解質の水溶液中での電極付近のイオンと電子の交換は完璧に説明をしました。
また,電子が流れることもきちんと説明しました。
しかし,豆電球が光る仕組みになると,電流ぶつかり説が頭を出し始めました。
すごいことです。
新しい知識と素朴概念の有効をはかるために,
この子らは,新教育課程で抜けた部分となっている,金属柱の自由電子を本から持ってきたことで,
イオンから発生し移動している電子とこの自由電子を一緒の物と考えず,別物と考えました。
そして,この電子と自由電子がぶつかり説や
自由電子を電流の正体とかいていることから,電流と電子のぶつかり説が
すごい勢いで伝搬しました。

結果,課題を達成した上で,光る仕組みは素朴概念で説明しようとしました。

この授業の子どもの思考のすごさです。

時事には,このぶつかり切に異を唱える子どもが出てきたことで,
素朴概念説は身を引いたそうです。
素朴概念説を唱える子どものうち多少の子どもは,この出来事で打破されたことでしょう。

この授業から示唆されることは,
このような子ども自身の解決することによって,
素朴概念が公の場に披露され,それを子ども自身が打ち崩すことができたのです。
そして,大部分の授業では,このようなことが起こらず,うわべの知識で通り過ぎていくわけです。
いや,私も昨年この部分をやりましたが,
素朴概念を持ちだしたのは,私でした。
子どもからはこういうことは出てきませんでした。出てこないような課題設定だったのです。

見事な授業でした。

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