教師は,子どもに話が伝わっていないことを知っているのに,
授業では伝えたという。
そこで,最近のテレビを見ていたら
コミュニケーションを講習している方が,
「人の話た内容が伝わっていかない」ことを示す実験をしていた。
*******うろ覚えから*************
A4版の紙を用意する。縦置きでも横置きでもよい。
以下の指示を口頭でするので,紙に書いて欲しい。
1 丸を2つ書いて下さい。
2 丸の中に黒丸を書いて下さい。
3 丸の上に横棒を書いて下さい。
4 三角を一つ書いて下さい。
5 半円を一つ書いて下さい。
6 以上を囲んで下さい。
どんな図が書けたでしょうか。
隣の人と比べてみましょう。
(間)
私が書いて欲しかったのは,
このような図だったのです。いかがでしょう。
同じになりませんね~。
**********覚え書き修了**************
さて,ここからです。
『どうしてみんな私の言ったように書かないのか」
と,問えば,
「もっと丁寧に教えてくれないからだよ。そうすれば,みんな同じになったよ。」
この要求に応えるために,
教師は,丁寧に教える方略を考える。
一度書いた子どもの絵の傾向を評価し,
その対策(手立て)を立て,指示をもっと詳細に考え,
子どもの性格を考慮し,
一人一人の手立てを作る。
さて,この結果,みんなが同じ絵を描くことはできただろうか。
大部分の教師は,
子どもへ教師が手を差しのべたことで知識が獲得されると考える。
子どもが置かれた状況によって子どもが自分自身で判断し,
知識の再構成が行われているとは,考えていない。
教師の話したことなんて,どうせ伝わらないから,教師が何かしよう,ではなく
どうせ伝わらないから,伝わった子どもに任せてみよう。
が,正統だと思うんだけれど。
尾崎豊の「卒業」,「十五の夜」は,私の原点である。
現状の学校では,
教師の言葉に合致し,文脈に合わせられた子どもだけがよしとなる。
おかしいと思わないのかな,教師の皆様。
閣下の原点も「15の夜」でしたか~!?
教師の出発点での出来事であり,生徒の心の裏側を常に意識していられる教師を,今もめざしています (^_^)