切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

勝手神社春日神社~大念寺・西明寺~地蔵院 京都府木津川市・・・いろいろとあるもんだ

2020-01-17 22:26:57 | 撮影


 木津川沿いには両側ともに国道や府道が走っている。木津川市の加茂地域に向かうにはどちらの道を使っても同じようなものだが、やや交通量の少ないサ左岸の道を走ると川沿いそのものは一部で途中から山間部に入っている。目的はこの道沿いにある地蔵院だった。ところが山間部に入ったところに突然鳥居が目に入った。道沿いに鳥居がありそちらへ入って車を駐める。
 車を降りて鳥居の方を見ると鳥居だけしか見えない。そこには「勝手神社春日神社」と並列で書かれていたが、まさか鳥居だけの神社なのか?とりあえず鳥居をくぐって参道か何かわからないが、そちらへ進むと上部へ伸びる石段が見え始めた。そこを登ったところにようやく細長い境内が伸びており、手前の拝殿、そして朱く塗られた本殿が見える。

 本殿はかなり小型だが綺麗に塗られており、同じ本殿が二つ並んで建てられている。なるほどこれが勝手神社春日神社なのかと納得。その状態は別々の神社が統合してひとつになったというものではなくて、別々の神社のまま何かの事情で同じ場所に並んだということになる。どちらかが本社で、もう一つが摂社というわけでもなさそうだ。こんなケースはやはり珍しいんだろうか。今まで多くの神社を回ってきたが、全く同じ形の本殿が二つ並んでいるものは見たことはあるが、あくまでも一つの神社であって 、それぞれに別の祭神が祀られているといったようなケースだったと思う。
 由緒書きも何もなかったので、名前以外のものは分からず帰宅後調べてみると、創建がなんと白鳳時代という言い伝えもあるらしい。あるいはまたは延喜式神名帳に記載される式内社であるようだ。岡田国神社の論社扱いになっているともあった。あるいはかつては下の川沿いにあったものが、木津川の氾濫などで何度も流され、このような高い場所に移動することになったような記述も見られた。
 岡田国神社というのは、JR木津駅の南側の方に位置する比較的大きな神社で、今現在では新しい本殿が構えているが、実はそのすぐ隣の敷地に明らかに歴史のある古い元本殿の建物が2棟並んでいる。これが式内社の岡田国神社として比定されている。しかし勝手神社春日神社が論社扱いになったのには、いくつかの文献が元になっているらしくて、恭仁京との関わりから、こちらの方が比定されるべきものではないかと考える人もいるようだ。
 もちろん正直言って自分にはそんなことは分からない。ただ単純比較で、現在の岡田国神社を見ると、そちらの方が現実味があるような感じになってしまう。ともかくある意味貴重な神社をたまたま見つけてしまったといったところだった。


 続いて同じ道を南下していくと大念寺に到着。
 山沿いの少し高いところにあり、旧加茂町の中心部が一望できる。山麓であるために全体的に細長い境内で、大きな石造物などがあちこちにあった。ここにも何の説明書きもなかったが、やはり帰ってから調べると、木津川沿いのこの近辺からは城の城壁用に多くの石が切り出され、それらが残されたままになっているものも多いという。この大念寺にもそれらの石を使った石仏が残されており、室町期のものではないかと考えられているようだ。


 3箇所目は先の大念寺からほんの少し進んだところ。西明寺
 大念寺同様山の中腹のところにあるので、やはり眺望が良い。本堂は先般京都府の暫定登録文化財に指定された。そして全く知らなかったが、この西明寺には貴重な文化財がいくつかあるということを、帰宅後調べることによってわかった。現地には何の駒札等もなくて何も分からなかった。
  創建は不詳とのことだが、僧行基が関係していると伝わっているらしい。そして本尊が薬師如来坐像。かつてこれが細かく調査された結果、永承2年(1047年)に作られたものだということが判明している。重要文化財に指定された。
 他にも指定文化財を所有し、本堂横にある石造笠塔婆が鎌倉期のものであるというもので、指定文化財ではないもののかなり貴重な文化財といってもいいほどのものもある。事前に知っていればそういうことを意識して撮影したのだが、何分にもいつものように行き当たりばったりのところがあって、後になってからびっくり何ていうケースが今回もあったわけだ。年一回、秋に公開されるので今年はその仏像を見に行きたいと思っている。


 最後は当初の目的の地蔵院
 こちらも同様に山腹に境内があり眺望が良い。どのお寺もみんな似たような場所にあって、やはり木津川の氾濫等によってこういう場所に移転してきたんだろうか。江戸時代中期の創建であり比較的新しい方のお寺となる。境内も同様に細長いもので本堂も必然的に同じような形になる。
 境内には多くの石仏あるいは石塔が立っており、これらは鎌倉期の物だと言う。この辺り一帯は石に直接仏の姿が彫られた石仏が数多く見られ、お寺だけではなく、旧街道沿いにもそのような磨崖仏と呼ばれる石仏があちこちに点在している。これらをめぐるファンの人たちも多くて、リュックを担いで何人かのグループで歩いて回っている姿をよく見かける。かつて奈良の都の近くでもあり、大勢の人たちが暮らしていた地域でもあったはずで、仏教の広がりとともにこのような石仏も無名の人たちによって多く彫られたんだろう。

 4箇所一気に回ることができたが、一本の道路沿いにあったので時間的にはかなり効率的に回ることができた。本来ならもう少し事前調査をして目的を持って訪れて、貴重なものを意識して撮影するべきなんだろうが、ある意味行き当たりばったりというのも、珍しいものに出会えると言う期待感があってこれはこれで楽しいものだとも感じられる。


勝手神社春日神社

        

大念寺

    

西明寺

  

地蔵院

     
コメント
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