西京区桂川沿いにある極楽寺・下桂御霊神社・地蔵寺(桂地蔵)の3箇所へ行く。このうち3ヶ所目の地蔵寺については、1年前の2月4日付けでこのブログで紹介済みなので、写真だけ再掲載しておく。
場所は有名な桂離宮のすぐ近くで、何れも離宮との関係があるとのことだ。
一箇所目、極楽寺。
ここは庭園が非常に有名で、下記の資料にもあるように、京都市の指定名勝となっている。極楽寺そのものは安土桃山時代と言うか、戦国時代の途中であり、もうしばらくすれば徳川家康によって徳川幕府が開かれようかとという頃だ。戦乱の世にあって人々の気持ちの中には早くこれが治り、平和を求める気持ちが極楽の名を冠する寺を建ててほしいということから創建されたものだと考えてもおかしくないと思う。
境内もよく整備され、庭園はやはり見事なもの。美しく見えるように計算された設計で、どの季節においても文字通り極楽の世界を表しているような雰囲気になる。写真など見ているとやはり、紅葉期の風景は素晴らしいものだ。
資料には竹山林泉の形式とあるが、このような庭園については、枯山水というのは非常に有名であり自分でもそれなりに知っているが、これは初めて聞く名前だ。どこがどうだという詳しいことはわからないが、漢字をそのまま当てはめて考えればそうなんだろうなと言う自分なりの納得で済ませた。
やはり庭園に小さな山、川、岩、草木などを配置し、それを何らかの世界に見立てて心の平安を得るというのは中国から伝わってきたものも含めて、東洋独自の発想なんだろうかと思える。あまり観光客は来ていないようだが、やはりこういったところを心の余裕を持って楽しむというのもいいのかと思う。
2箇所目は下桂御霊神社。
御霊神社という名前は全国各地にある。これは平安時代に大いに流行った御霊信仰に基づいて創建された神社をいうが、御霊信仰そのものは、実在の人物が御祭神として祀られているケースが非常に多い。
なぜなのかと言うと、該当人物が多くの場合、何らかの画策に会って無実の罪を背負わされ非業の死を遂げたとか、あるいは何らかの恨みを残して亡くなったことによる怨霊を鎮めるために祀った、といった考え方が信仰として広まったものとみられている。そういったものを鎮めるために建てられた神社が御霊神社と呼ばれるようになった。京都にもこの桂だけではなく、京都市街地中心部に同様に、上御霊神社や下御霊神社がある。
この下桂御霊神社の祭神は橘逸勢という人物で、かつて遣唐使として派遣され、書を学ぶことによって、当時は三筆と呼ばれるほどの書の達人として知られた人物であった。しかし朝廷に謀反を企てたという罪で姓をとして扱われることになり、遠国へ流されることになった。その途中亡くなったことによって、彼の娘が弔うために尼となって亡くなった地において信仰の日々を送ることとなった。後日その娘を称えるところから橘逸勢の罪も免除されることとなり、落着となった。
このような経緯から、橘逸勢が祀られている御霊神社は他にもあるようだ。神社というものはそういった意味で、その名称からしてその背後には様々な物語があり、庶民の信仰やあるいは貴族たちの思いが込められた形で創建され、今に続いているものが多い。そういった意味ではただ単に、記紀の中の神話に基づくような祭神ばかりではないというのも、神社の現実的な存在意義があったんだろうと思える。
極楽寺
『京都市指定名勝
極楽寺庭園
極楽寺は、天文18年(1549)、下桂村の地侍・中路壱岐が称念上人を請来して一寺を建立したことに始まります。江戸時代、桂挂離宮を造営した八条宮家代々の位牌所でした。
庭園は、書院(天保2年=1831建立)の南に広がり、築山林泉の形式をとります。庭に架か
る石橋に”天保十一子年施主若中“と刻まれていて、これが作庭年代を示していると考えられ
ます。かつて豊富であった湧水や流入水量が減少したためしばらく枯池とされていましたが、昭和63年に池底防水工事がなされ、水の景がよみがえりました。
この庭園は、昭和62年5月1日、京都市指定名勝とされました。
京都市』 (説明書きより)
『極楽寺庭園
極楽寺は,天文18年(1549),下桂村の地侍であった中路壱岐が称念上人を請来して一寺を建立したのに始まる。当寺は桂離宮に近接し,またそれを造営された智仁,智忠両親王を始めとする八条宮家代々の位牌所であったことでも知られている。庭園が造成された時期は,庭内にある花崗岩製の切石橋の「天保十一子年施主若中」という刻によれば,天保2年(1831)に建築された書院の完成後,間もない頃であることがわかる。江戸時代後期に多く見られる,築山林泉庭の様が良好に維持されているという点で,庭園文化史上貴重なものである。』
(京都市 文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課 資料より)
下桂御霊神社
『下桂・御霊神社
創建 八七六年(貞観一八年)
御祭神 橘逸勢
橘逸勢は、嵯峨天皇、空海と並び日本三筆と称された天下の能書家で平安初期の官人。書聖をお祀りする珍しい神社です。
皇室の尊崇篤く、桂宮家より多くの御寄進を賜っている。
後水尾天皇の御震翰勅額「御霊宮」、鳳輦などを御下賜。これらと共に社宝が例大祭に展示される。』
(駒札より)
地蔵寺(桂地蔵) 20190204アップ済み