切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

稲住神社~善光寺・勝定院・勝明寺 京都市下京区・・・何とこのような神社が!

2020-01-18 22:56:59 | 撮影

稲住神社



『稲住神社略記
一 、祭神 安倍晴明 卿
一、 由 緒 (日本に於ける天文暦学の始祖)
このあたりは明治以前池がある広場で農家が 稲束を積んでいた為稲住の社名が生れたと伝える 梅小路八条のこの一帯は平安時代以後 陰陽道を以って朝廷に任えた
土御門家(安倍晴明 卿の子孫で代々陰陽頭に任じ天文暦の両博士を兼ねた 明治以後は子爵家)の屋敷 のあった所で一町四方の邸内は北部が住居 南部が祭場となっていて祭場には祭壇の本宮権殿その他 諸建物があり代々天皇の御即位に 当って聖寿の長久を祈る 天曹池府祭を行なった 貞享元年(一六八四)幕府の天文方 渋川春海は 貞享暦を作り陰陽頭土御門泰福と共にこの地 に星台を建て渾天儀で天体を観測しその正確さを証明した事は史上に明らかである
土御門家の祖靖明卿を祀る当社がここに存する由縁深いものがある
因に土御門家代々の墓碑は梅林寺にあります。
一、祭日 十一月十六日前後の日曜日』
  (説明板より)

 京都鉄道博物館という人気のテーマパークの西側にある。ちょうど御前通りに面している神社だ。周囲は住宅密集地で車で走るにも気をつけなはればならないような場所。そんな中に非常に無雑作な感じで、石鳥居が立っている。ここが稲住神社。
 細い路地に四方を囲まれており、敷地も狭く当然境内も狭くて、神社にありがちの大木はあるものの、やや小さめだ。鳥居をくぐって境内に入ると、何か神社という雰囲気よりは、公園といった感がある。そして一般的に考える神社とは雰囲気が明らかに異なる。
 拝殿があって本殿があって、という状況ではなく、小さい社の中で一番大きなものが本殿だろうと思われる祠に参拝を済ませる。その本殿らしき社の前に斜めに建っている少し小さめな社があって、これは一体何だろうかと疑問。
 社の両側には提灯が掲げられていて、 その提灯には稲住大神、あるいは〇〇?弁財天、そして「魔王尊」などと太い文字で描かれていた。この魔王尊などというのは初めて見た。いかにも怪しげな感じがする。陰陽道との関係だろうか。
 実はこの小さな神社には説明書きがあって、この日数ヶ所回る予定だったのでろくに読まず写真だけ撮って神社内を回っていたが、帰宅してからこの説明書きを読んでみると、とんでもないことが分かってきた。
 由来については説明書きを読めば大体のことはわかる。祭神がなんと安倍晴明。陰陽道であまりにも有名だ。その安倍晴明の一族である土御門家、そしてずっと後年になって渋川春海の名前まで出てくる。日本における天文学確立の第一任者と言える人物だ。説明書きにも見られる「渾天儀」というのは、今で言う「天球儀」にあたるものだ。安倍晴明とその子孫たちによって日本独自の天文研究や暦の研究を通して、最終的にこの渋川春海によって大和暦というものが作られ制定されることになった、という話もよく知られている。
 そういった意味ではこの稲住神社というのは歴史的においてもかなり重要な位置を占めるものだと考えていいだろう。
 様々な資料を調べるとネット上にも随分多くのを説明が載せられている。追求すればするほどおもしろい内容もたくさんあって、自分自身は人物の名前を知ってるぐらいで、その詳しい業績などについてはほとんど知らなかったが、思わぬところですごい神社に行き当たったものだと我ながら感心してしまった。
   


善光寺



 下京区の西大路通りから少し西へ入ったところにある。ところが普通に行ったところではなかなかこのお寺が見つけられない。注意深く路地を見ていくと、車などとても入れないような細い路地の奥に門が見えた。というよりはその前にのぼり旗が何本も立っていて、その赤い色の派手さからここにお寺があるということがわかった。この細い路地を入ったところにあるのが善光寺。
  細い路地の奥なので当然山門も極めて狭くて小さい。その山門の看板には「全国善光寺会」とあった。長野県の善光寺は全国レベルで有名だが、この善光寺に関わる同名のお寺が全国にあって、このような組織を作っているようだ。
 境内に入ると先ほどの赤いのぼり旗が何本も立てられていて、そこには南無観世音菩薩と書かれている。細く狭い境内にはあちこちに菩薩像や石造物、草木その他もろもろが密集しており、横に本堂がある。この本堂も一見するとお寺の本堂というよりは、何か広い窓のある民家のような雰囲気。京都は昔の都の時代から縦横の細い路地が縦横に走っており、それは今現在も名残としてそのまま使われている。したがってどんな広さに限らず、このようなお寺にしてもわずかな敷地に存在しているというのもそう珍しくはないのかもしれない。まぁしかしなんといっても、その窮屈さはお寺ではあまり見たことがない。神社では割とよく見られるケースだが、お寺では珍しいのではないかと思える。
 帰宅してから色々調べていると善光寺のホームページというのがあった。そこに簡単に沿革が書かれていた。それによると開基は330年ほど前の元禄年間と言う。江戸時代の後半あたりになる。最初はお寺というよりは仏法を説かれたような場だったとのことで、後に入山された和尚によって仏法の奥義が極められたとあり、その教えを請うた弟子から多くの僧が誕生し、また学者も誕生したとのことであった。
     


勝定院



 善光寺のすぐ隣。なかなか立派な門構えで、お寺の規模としては小さい方だが 存在感がある。門が閉まっていたが、ちょうど御住職が出かけるところだったので、少しお話を聞いた。撮影の方もどうぞということで、誰もいない境内にお邪魔をした。
 境内全体もよく整備されており、手の行き届いた綺麗なお寺だ。本堂はおそらく建て替えではないかとは思うが、非常に綺麗でリニューアルといった感じだ。本格的な鐘楼が建てられていて、梵鐘も当然下げられていた。このような都市部中心地にあって、どういう場面で音が響くのかはわからないが、元々が東海道本線の高架線が近く、そういった騒々しい場の中では、お寺の鐘の音が落ち着いた雰囲気をもたらすんではないだろうかと思えた。
 尚、開基は室町幕府の第4代将軍足利義持による。
      


勝明寺



 下京区にある。西大路通り近くでJR西大路駅の北約300mのあたりだ。曹洞宗のお寺で本尊は阿弥陀如来。 門前にある石柱にお寺の名前が彫られていた。これを見るとなかなか年代ものという感じがする。通用門を開けて境内に入ると、全体的に雑木がぎっしり。手入れをしているのか、あるいはあえてこのような状態にしているのかはわからないが、高く伸びた草の向こう側に本堂が見える。ここも比較的小さなお寺になると言える。
 お寺についての情報等は一切なく、資料を見つけることはできなかった。

      

コメント
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