切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

妙堯寺 京都市上京区・・・建て替え中?

2022-01-31 22:33:55 | 撮影
妙堯寺



 七本松丸太町を北へ約200mあまり行ったところにある。名前からまず日蓮宗のお寺であるということが分かる。しかし全体としては妙堯寺というのは非常に珍しい名前だ。きっと何らかの名前に関しての由来もあるものと思われる。
 鎌倉時代に比叡山から降りてきた日蓮が、五條の天王寺屋の屋敷に滞在し自らの教義をまとめていた。その頃天王寺屋浄本・妙蓮夫妻は日蓮の信者となって屋敷を提供したと言う。ずっと後年になり夫妻の名前を一文字ずつ合わせて、本蓮寺という名前のお寺にした。
 しかし時が経って室町時代に天文法華の乱という宗教一揆が勃発。本蓮寺は焼失することになる。それに際して少納言の妙堯が子供の菩提を弔うために、同時に焼失した本蓮寺復興のために名前を改め、妙堯寺としたのが経緯のようだ。
 このような経緯から珍しい名称になったのだが、もともとお寺の創建時には天王寺屋浄本・妙蓮の夫妻が関わっており、そのお墓が境内にあると言う。
 訪れた時は山門が新築されて非常に綺麗なものになっていた。しかしそこから内部を見るとどうも本堂らしきものが見当たらない。その他の建物も普通の家が建っているようで何かわからない状態になっていた。推測だがお寺の全面建て替えが行われることになるのではないかと言う気がした。だとするとまだ数年先まで本来のお寺の姿にはなっていないだろうと思う。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教善寺 京都市上京区・・・渡辺篤の墓

2022-01-29 22:09:16 | 撮影
教善寺



 丸太町通七本松の北側約300mほどのところにある。浄円寺に隣接しており寺院が密集している中の一つだ。浄土宗のお寺であり一般的には地域のお寺として、その檀家さんに支えられているお寺ということになる。このお寺にはある一人の歴史に関わる人物の墓があるとのことだ。
 京都見廻組、渡辺篤だ。

 幕末期に尊王攘夷派と幕府側の争いが京都を中心に激しくなるその中で、新撰組による池田屋事件が起こる。しかし倒幕派は長州藩土佐藩等が連合を組み、着々と動きを強めていく。当寺、京都においては様々な藩の武士達が入り乱れており、治安の悪化が顕著になっていた。幕府が設置した京都所司代や奉行所では立ち行かなくなり、特別に京都の警護のために京都守護職が置かれる。さらに細かな警護を担当するという意味で、幕府で結成された見廻組が上洛し京都見廻組として任務にあたることになる。主として武士たちによって組織されたものであったが、現地京都においてはさらに見廻組強化のために現地で人を集め、力を強めようとした。その中に渡辺篤も入ることになる。
 倒幕派の動きは現在の京都市内中心部にある近江屋邸に坂本龍馬中岡慎太郎などが集まり作戦を練っていた。またこの近江屋周辺にも数多くの倒幕派の志士たちが集まっていた。この動きについては京都中に知れ渡っており、坂本龍馬達が暗殺されるのではないかという噂も公然と立っていたと言う。
  京都見廻組に入った渡辺篤はその後、急速に出世し見廻組の中でも指導者的な立場になっていく。元治元年の池田屋事件は京都にて大きな衝撃を与えたが、当時見廻組は直接関与はなかったと言う。しかしそれから3年後、まさに幕末の慶応3年 (1867) 12月10日夕刻、見廻組が近江屋にいた坂本龍馬、中岡慎太郎ら3名を襲撃。奇襲を受け反撃するまもなく深手を負うことになる。坂本龍馬はその場において死去。中岡慎太郎も翌日には亡くなる。これが近江屋事件だ。
 すでに大政奉還が行われており、国の中央権力は幕府から天皇へ移ったものの、幕府そのものはまだ残っており、討幕派からすればその存在を全て無くす必要があった。以降何度かの戦乱によって幕府は滅び、新政府が正式に発足することになっていく。

 

 近江屋事件においては公然と暗殺が行われたが、後々までに続く疑問として、果たして坂本龍馬を直接切ったのは誰なのか、ということが世間的にも注目されることになる。これについてはさまざまな説があり、現時点では京都見廻組によるものとするものが有力だ。
 しかし仮に京都見廻組であっても、その中の誰が直接切ったのか、までがよく分かっていない。当初はメンバーの一人である今井信郎による文書記録から、彼が本命視されていた。しかし大正時代になって病に倒れ死の近づいた渡辺篤が、それまでは語ったことがなかった真実として、私が直接坂本龍馬を斬ったのだ、と言い残し後日亡くなる。暗殺場面では両者の言い分に色々と食い違いがあり、様々な疑問が出されている。そういった意味でははっきり言ってよくわからない、ということになるだろうが、京都見廻組以外にも真犯人説はあるものの、特定の誰かというところまでは分からない。しかし、ほぼ見廻組のメンバー四人によって実行されたものだというところまでは間違いないだろうと言われている。
 この渡辺篤の墓が境内にあるとのことだが、わからなかった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浄円寺 京都市上京区・・・池田屋総兵衛の墓所

2022-01-28 22:15:08 | 撮影
浄円寺

 

 丸太町通七本松の北側約300mほどのところにある。細い路地に面しており見逃してしまいそうなところだが、お寺そのものは通常非公開であり門は閉まっている。浄土宗知恩院派のお寺で、一見ごく普通の地域のお寺のように思える。
 創建等の由緒についてはよく分かっていないが、おそらく江戸時代初期だと考えられている。このお寺には公開日に参拝者が結構訪れると言う。もちろんそれには理由があって、実は境内墓地に「入江惣兵衛」のお墓があるということだ。この人物は通称を「池田屋総兵衛」として知られており、旅籠である池田屋の主人だ。
 つまり幕末期に起こった「池田屋事件 」に関わった人物ということになる。この事件についてはあまりにも有名なので、改めて説明する必要もないだろうが、極簡単に記しておくと次のようになる。

 江戸時代の終わり頃になると度々外国の船が日本の沖合に姿を現すようになり、鎖国を続けていた日本でも様々な動きが活発になり始める。そんな中で大きな動きを示していたのがいわゆる尊王攘夷派の志士たちだ。当時の日本の政治状況は京都に天皇がいたものの、実験は江戸幕府の徳川家が握っており、事実上朝廷は飾り物にすぎない状態になっていた。そんな中に外国船が日本に現れ始めると、にわかに開国の機運も高まり具体的な行動を示す者たちが現れる。幕府は治安の悪化が進む京都に守護職を置き、いわば朝廷の動きを監視しつつ、警察的な役割を果たしていた。その配下にあったのが「新撰組」だ。
 一方池田屋は尊王攘夷を主張する長州藩・土佐藩志士のたまり場となり、様々な計画が練られ自分たちの考えをどのような形で実現するかということが計画されていた。京都守護職はそのような動きに対して様々な情報を集めながら、ついに池田屋に長州藩等の志士が集結していることを突き止め、新撰組の近藤勇に池田屋に踏み込んで長州星を一網打尽にするよう命じた。
 こうして元治元年(1864)6月5日の夜に、新撰組が池田家に御用改めとして乗り込むことになる。宿の主人である池田屋宗兵衛はすぐに2階にいた長州志士たちに連絡。ここで刀を抜き合い乱闘状態となる。この結果尊王攘夷派の計画は失敗に終わり、天皇を長州に連れて行くということは頓挫した。
 旅籠の主人の池田屋総兵衛は捕らえられ牢獄送りとなった。彼はその後獄死することになる。彼の墓が浄円寺にあると言う経緯についてはわからないが、遺族の要望だと言うことのようだ。彼自身が長州出身であるということで、長州藩を宿泊させていた関係でこの事件に巻き込まれ獄死するはめになったというのは事実であり、そういった経緯から歴史に名を残すことになった。

    

 宿であった池田屋はその後、再開されてからほどなくして廃業。後年いくつかの店になったりしたが、今現在では当時の建物自体は存在していない。代わりに全く関係のない業者が「旅籠茶屋 池田屋」と言う店を出している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《森友訴訟の国側の認諾・・・国は原告及び国民をどこまでバカにしているのか!》2022.1.26

2022-01-26 22:57:21 | 社会


 ネット記事をあれこれ読んでいると一つの小さな記事に目が止まった。12月に森友加計問題で、大阪財務局の職員であった赤木俊夫さんが自殺した件について、妻の赤木雅子さんが行政及び民事訴訟起こしたところが、審理が始まってすぐに国側は「認諾」、つまり国側の責任を認めて賠償金を支払うと宣言したのだ。

 この件については当寺、このブログでも腹立たしい問題として書いた。財務省の元財務局長であった佐川氏に対する民事訴訟はまだ続いているものと思われるが、とりあえず今回の金額によって1億700万円の損害賠償請求が確定したことになる。
 ところが読んだ記事によると、財務省側は損害賠償金の支払いについて元佐川局長の強圧的な指示命令には当たらないとして、局長には責任がないと言うことを結論付けて、損害賠償金の支払いには関わらせない方向で検討しているというのだ。

 認諾が国側から宣告されたことによって、原告の赤木雅子さんは、「夫は二度、国によって殺された」と抗議文を国に提出した。それに対して国は何らの反応もなし。同時に当時の麻生財務相にせめて墓参りをとお願いしたものの拒否され、さらに現在の財務相にも同様のお願いをしたがやはり拒否されている。
 国側の認諾そのものは本来、裁判の審理過程の中で誰が指示して公的文書の改ざんを命じたのかということを明らかにする、という大きな目的があったが、国にとって明らかに都合の悪いことであって、それを明らかにしたくないということで、あえて国には裁判を途中で終わらせると言ういわば禁じ手に出たわけだ。

 振り返れば森友加計問題については当時の安倍首相は、「もし私や私の妻が文書改ざんに何か関わっているということであれば、これはもう総理大臣をやめるどころか、議員さえ止めるべき問題だと認識している。」といった旨の発言をした。いわば尻をまくったのだ。この発言によって内閣及び官僚組織は安倍元首相発言の「帳尻合わせ」 に奔走せざるを得なくなる。ここからいわゆるあれこれの「忖度」が飛び交うことになる。こうして政治家や官僚が大挙して安倍元首相を守るために、嘘に嘘を重ねるという大失態を演じることになったのだ。

 しかしこれらの問題については、大まかには筋道が分かっているとはいえ、細かな具体的な点はなんら明らかにされていない。最終的に安倍元首相を助けるために財務省が公的文書の改ざんを、森友問題に直接関わっていた大阪財務局に通じる形で行なったところまでが分かっているだけだ。では一体誰がその命令を出したのか。普通は誰が考えたってこのような「 犯罪」に該当するようなことは、該当省庁のトップである人物しか考えられない。それが佐川元理財局長ということになる。彼はこの件によって後に出世することになると言う典型的な闇人事が行われることになる。

 敗訴という形になった国側はまたしても、佐川元理財局長に責任はないと身勝手な結論を出して、個人的な損害賠償を負担させないようにしようとしている。1億円余りの損害賠償金は一体どこから出るのか。言うまでもない。国庫から出ることになる。つまり我々国民の血税が、政治家や官僚どもの犯罪的行為に対して使われることになるのだ。
 ということは国側には、国民の血税をこのように使うことでの「説明責任」があることになる。誰がいつどのように説明責任を果たすのか、はっきり言って旧安倍総理大臣時代の政治というのは根底から腐りきっており、汚職犯罪まみれの政治が堂々となされてきた。国民に対して平然と嘘が重ねられてきた。安倍総理は退陣したがまだ国会議員として暗躍している。総理大臣は二人変わった。総理が変わったと言っても安倍元首相に関わる問題については、最後の最後まで責任追及はさせないということなんだろう。

 今や日本の国会にはほとんど緊張感がない。政権与党は自民党と公明党が組んで馴れ合い質問をしてるだけの話。野党にも迫力なし。徹底的に追及するなんてやる気があるのかと思ってしまう。皆さん紳士になってしまい穏やかに質問し、答弁を返されてもまた穏やかに一応追及はするものの、テレビのニュースなどでの国会の必要と場面なんか見てると、のんべんだらりとした雰囲気で本気度が感じられない。
 もっともこのような体たらくな状態になったのは、結局はこんな人物たちを国会議員として選出した国民の側にも大きな責任がある。日本人全体がおとなしくなって、国に抗議する気力すら失くしてしまい、おそらく期待感も何もないんだろう。ここ10数年あまりの経済政策は完全に失敗であり、国民所得は平行線をたどると言う世界の趨勢からは考えられない相対的な落ち込みを続けている。今や個人所得はお隣の韓国にさえ追い抜かされている。もちろん G 7の中で最低水準。コロナウイルスの問題にしても、政策的には完全な失敗に陥っている。今やコロナ禍で第六波に入り、感染急拡大。この件については別の機会に書くつもりだが。

 国民の中には「まだ森友加計問題?」という声もかなりあると聞く。これだから日本という国は駄目だというのだ。しかし国民をダメにしている大元は国の政治だ。おそらくは小泉政権の辺りから始まった、経済の停滞を招いた途端。ある原因が国民の諦めムードみたいなものを醸し出すようにさせたと言える。残念ながら多くの専門家や識者は、もはや日本は一流国ではない、先進国ではないと言っている。
 様々な政治的失態に対して責任追及や問題の事実を明らかにせず、いい加減にしてきたそのツケというのはあまりにも大きすぎる。このような姿勢が国全体の低迷を招いているのだ。

 今回の森友裁判の結果から、さらに高級官僚の責任逃れをさせようというあざとい方策というのがいとも簡単に実現されてしまうという実態。極めて残念ではあるがこのような日本政治及び日本国民のあり方、あるいは精神状況というのはさらに低迷化を進めさせ、失速していくことになるのだろうと思われる。
 こんなこと言えば日本はこのまま「ダメな国」になっていくだけではないのか、と言われそうだが、「世界に誇れる素晴らしい民主主義の国」になるなどとはとてもじゃないが思えない。そうなっていける要素がどこをどう見ても見当たらない。

 私などあと10年もすれば、多分この世の中からは消えているだろう。今の若い世代がこのような日本の国のあり方に対して「しょうがない」で行くのか、「何とかしなければ」との思いで動き始めるのか、ということが今後問われてくるはずだ。いや今すでに問われているのだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平安宮宴の松原 京都市上京区・・・鬼が出るのか!

2022-01-25 23:06:36 | 撮影
平安宮宴の松原



『平安宮 宴の松原
 平安宮中央部西寄り、 豊楽院の北側にあった広場で、「緑の松原」とも記され、南北約430m、 東西 約250mの広がりをもち、この説明板はその東端近くにあたる。
 呼称から宴の場として用いられたことが考えられるが、その事実を示す記録はない。 また、平安宮の南北中心線を挟んで東側の内裏と対称の位置にあることから、天皇の代替わりに当たって内裏を建て替えるための予備の空間として用意されたという説がある。 しかしながら、 天長6年(829) 宴の松原南東部に密教の加持祈祷を行う真言院が設けられたものの、 平安時代を通じて大規模な施設が造営されることはなかった。 むしろ、『大鏡』 や 『今昔物語集』 などの文学作品には、 仁和3年(887)8月に松の樹下で女性が鬼に殺害されたという話や、 若き日の藤原道隆 (953〜995) が、 弟の道長と夜に競った肝試しで、 右衛門陣から豊楽院へ行く途中、 宴の松原あたりで聞こえてくる声に怯えて一目散に逃げ帰ったなどのエピソードが収められている。
 この区域では、これまでに広い面積の発掘調査が実施されていないこともあり、 遺跡の詳細は明らかではないが、 丸太町通や六軒町通、七本松通沿いの調査では、地表から60〜70cmの深さで、 平安時代の整地層が見つかっている。 出土遺物も多くないことから、記録のとおり平安宮内に広大な空き地が広がっていた状況が想像できる。』
  (説明書きより)

  

 出水六軒町通りの交差点の角にある。すぐ横が福勝寺となる。現場の遺構、あるいは発掘されたものとして石造物が狭い土地に並べられている。無論それだけでは一体何なのかは分かりにくいので、京都市による少し大きめの説明書きが立てられている。内容は上記の通りだ。
 平安京内の内裏の西端になるようだが、その目的は明確ではない。名称の通り宴に使われた土地なのか、あるいは天皇の代替わりに内裏の建て替えが予定されていた土地なのか、明確な記録はないと言う。土地としてはかなり広い面積があったようだ。
 この土地が歴史的史跡として有名なのは、平安時代のいくつかの文献に描かれていることによる。「今昔物語集」あるいは朝廷の公式記録である「日本三代実録」今で言う日々の日記のような記録などにも掲載されている。その内容がある意味作り話のような感じがするのだが、そもそも「日本三代実録」には当時の地震の記録や風水害の記録、病気蔓延の記録などを含め、京都で起こった様々な日常のことが記録されている。そういった意味では人々の間で噂になったような話なども実際にあったんだろうと思われる。
 上記説明書きの中にあるような「女性が鬼に殺された。」という話は平安中期に体験した人物の話として周囲に広まったものだ。
 それによるとある夜、3名の若い女性がこの松原の中を歩いていた時に一人の美男子が現れ、女性の中の一人を連れて松原の中に消えていった。しばらくして悲鳴のような声が聞こえ、慌ててそちらの方へ駆けよってみると男の姿はなく、大きな血溜まりの中に女性の腕と脚が転がっていたという。ここからこの松原には鬼が出るという話につながり、平安京の中でも大きな話題になったと言う。
 当時、この松原には松の木が密集しており特に人気のないような土地であり、いわば不気味な雰囲気の場所だったんだろう。他にもこの地で起こったエピソードなどが記されている。このような場所であるだけに、本来ならさらなる発掘調査が求められるところだが、今現在となってはお寺や住宅が立ち並ぶ地域での新たな発掘調査は実質上不可能だ。平安時代は特に科学的な知見というものが乏しかっただけに、一種の怖い話、伝説のような話として記録されてきたんだろうと思われる。
 ただし現地に置かれている石造物は平安時代当時のものではなく、ずっと後年になって何らかの理由で置かれたものだと思える。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする