妙堯寺
七本松丸太町を北へ約200mあまり行ったところにある。名前からまず日蓮宗のお寺であるということが分かる。しかし全体としては妙堯寺というのは非常に珍しい名前だ。きっと何らかの名前に関しての由来もあるものと思われる。
鎌倉時代に比叡山から降りてきた日蓮が、五條の天王寺屋の屋敷に滞在し自らの教義をまとめていた。その頃天王寺屋浄本・妙蓮夫妻は日蓮の信者となって屋敷を提供したと言う。ずっと後年になり夫妻の名前を一文字ずつ合わせて、本蓮寺という名前のお寺にした。
しかし時が経って室町時代に天文法華の乱という宗教一揆が勃発。本蓮寺は焼失することになる。それに際して少納言の妙堯が子供の菩提を弔うために、同時に焼失した本蓮寺復興のために名前を改め、妙堯寺としたのが経緯のようだ。
このような経緯から珍しい名称になったのだが、もともとお寺の創建時には天王寺屋浄本・妙蓮の夫妻が関わっており、そのお墓が境内にあると言う。
訪れた時は山門が新築されて非常に綺麗なものになっていた。しかしそこから内部を見るとどうも本堂らしきものが見当たらない。その他の建物も普通の家が建っているようで何かわからない状態になっていた。推測だがお寺の全面建て替えが行われることになるのではないかと言う気がした。だとするとまだ数年先まで本来のお寺の姿にはなっていないだろうと思う。
七本松丸太町を北へ約200mあまり行ったところにある。名前からまず日蓮宗のお寺であるということが分かる。しかし全体としては妙堯寺というのは非常に珍しい名前だ。きっと何らかの名前に関しての由来もあるものと思われる。
鎌倉時代に比叡山から降りてきた日蓮が、五條の天王寺屋の屋敷に滞在し自らの教義をまとめていた。その頃天王寺屋浄本・妙蓮夫妻は日蓮の信者となって屋敷を提供したと言う。ずっと後年になり夫妻の名前を一文字ずつ合わせて、本蓮寺という名前のお寺にした。
しかし時が経って室町時代に天文法華の乱という宗教一揆が勃発。本蓮寺は焼失することになる。それに際して少納言の妙堯が子供の菩提を弔うために、同時に焼失した本蓮寺復興のために名前を改め、妙堯寺としたのが経緯のようだ。
このような経緯から珍しい名称になったのだが、もともとお寺の創建時には天王寺屋浄本・妙蓮の夫妻が関わっており、そのお墓が境内にあると言う。
訪れた時は山門が新築されて非常に綺麗なものになっていた。しかしそこから内部を見るとどうも本堂らしきものが見当たらない。その他の建物も普通の家が建っているようで何かわからない状態になっていた。推測だがお寺の全面建て替えが行われることになるのではないかと言う気がした。だとするとまだ数年先まで本来のお寺の姿にはなっていないだろうと思う。