正月三が日はあっという間に終了。もちろん年金生活者の爺には特に関係ない。まぁしかし3日目を初詣とは思えないのでただの「詣」とした。
今回は左京区にある比較的有名な「岡崎神社。」
金戒光明寺の近くにあって、おそらく神社近くのコインパークは全て満車だろうと思い、金戒光明寺の駐車場に駐める。そこから約5分位東へ歩くと岡崎神社だ。やはり有名どころとあってかなり人が多い。参拝も行列ができており、御朱印やお守りを買うのにも、あるいはおみくじにも行列ができていた。ここでは西洋人も結構見た。場所柄近くには名所がたくさんあるので外国人も来やすいんだろう。
でも本当は場所柄、市街地の中心部近くを通らなければならないので、かなり渋滞しているだろうと予想していたが、全くその通り。南北の幹線道路は東大路も川端通も全部大渋滞。行くだけで疲れてしまった。帰りも同じように大渋滞。行く時以上に時間がかかってしまった。その点は散々だ。
岡崎神社に行ったのは何故なのか。ここは「狛兎」で有名な所。うさぎを祀っている神社なんて言うのは、全国的に見ても非常に珍しい部類になる。わずかにうさぎと関係するような神社やお寺はそこそこあるし、爺が住んでいる宇治市の宇治神社なんかでも関係がある。何しろ祭神に「莵道」というぐらいだから。
さて境内に入っていく。やはり若い女性が全体的には多いし、ファミリー以上にアベックのやつらが多い(腹立つ)。外国人は一人旅の人が多いようだ。鳥居をくぐって少し行くと早速真新しい石像の狛兎が左右から迎えてくれる。多くの人たちが狛兎の横に立って記念撮影。
神社境内をあちこち撮影しながら本殿へ向かう。長い列ができていて順番に進んでいくと手招きうさぎがいた。それを見つけて若い人たちが「あのウサギ手招きしてる」などと喜んでいた。100円の賽銭を入れて参拝。続いて隣の祠には黒石で彫られた撫でうさぎが鎮座している。ここも大行列。柄杓で水をかけて黒ウサギの頭をなでなでする。何かご利益があるらしい。さらに境内の奥の方までぐるっと回って写真などを撮っていると、草木のある庭の片隅にひょっこりとうさぎが置かれていた。これまた見つけた若い女性たちが大喜びしていた。
本殿の向かい側には横長の棚に、高さ5cmくらいの超小型うさぎの置物がずらりと並んでいる。若い女性もちっちゃい子供たちも可愛い可愛いと大喜び。そして最後にまた行列に並んで、うさぎのお守りを購入。800円。高い。こうして無事三日目の「詣」は終了。長い長い渋滞の帰路につく。
帰宅して出納帳に今日の出費を記録。その時に「あれ!」と思った。
今日行ったところは「狛兎」で有名な岡崎神社。子丑寅卯辰・・・などと干支を頭の中で言ってみると、今年は子年だ。何とここでやっと自分の大きな勘違いに気がついた。子年ということは、ねずみ年。うさぎは全く関係ない。うさぎは3年先の卯年だ。
うさぎで有名な神社といえば、京都には大豊神社というのがある。今日行った岡崎神社からは比較的近いところにある。ブログにも一昨年の4月に紹介している。石像駒うさぎが結構有名だ。あくまでも今年は子年。どこでどう勘違いしてしまったのか。起きて朝食、ウォーキング、帰宅して新聞読んで、ネットでうさぎで有名な神社を検索。その結果岡崎神社。この時点で「うさぎ」になってしまっていた。一度勘違いした間違いというのは、寝ぼけた頭には修正能力がなく、すっかり今年はうさぎとの思い込みにはまってしまい、そのまま現地へ行って帰宅して、やっと気がつくという有様。
自分のアホさ加減に嫌になってしまう。でもまぁ仕方がない。3年後の卯年を先取りしたという形にして、この岡崎神社は今まで行ったこともないので、初紹介ということでブログに載せることができる、という自分勝手な論理で掲載することにしておく。
『子授け・安産・厄除の神
東天王 岡崎神社
御祭神 素盞噂令・奇稲田姫命・八枝御子神
桓武天皇延暦十三年(七九四)平安京遷都の際に、 王城守護の為平安京の四方に建立された社の一つで、 都の東(卯の方位)に鎮座する事から東天王と称した。
清和天皇が貞観十一年(八六九)に造営、後醍醐天 皇も造営、室町時代には足利義政が修造、幕府との関係も深く、平家物語は官幣四十一社に加えている。
治承二年(一一七八)に、中宮の御產の奉幣を賜った事から、安産の神として祈願する信仰がある。
創祀の王城守護方除の勅願より、方除厄除神としての信仰が絶えず、厄除祈願はもとより、地鎮祭等の建築に関する祭事の申し込みが多い。
また往時背後の紫雲山を始め境内一帯がうさぎの生息地であった事から、うさぎは氏神様の神使いと伝えられ、本殿や境内の灯篭・狛兎・狛犬の台座・斎館等にうさぎの彫刻が見られ、特に手水屋形にある子授けうさぎ像は参拝者の人気を集め、御祭神が八柱もの御子神をもうけられ、うさぎが多產である事から子授けの神として祈願信仰されている。
岡﨑神社々務所 』 (パンフレットより)
『岡崎神社
祭神として、 素戔嗚尊、橘稲田媛命及びその御子三女五男八社神を祀る。
延暦十三年(七九四)、桓武天皇の平安京遷都の際に、王城守護のため平安京の四方に建立された社の一つといわれ、都の東方に鎮座することから東天王と称した。
清和天皇が、貞観十一年(八六九)に造営し、播磨国(現在の兵庫県) 広峯から祭神を迎え祀ったといわれる。
治承三年(一一七八)に、中宮の御産の奉幣を賜 ったことから安産の神として信仰され、また創始時の王城守護方除けの勅願により、今も方除厄除神としての信仰が絶えない。
古くから、うさぎが氏神の使いと伝えられ、祭神が子宝に恵まれ、うさぎが多產であることから子授けの神として祈願信仰されている。
境内にはうさぎの彫刻が多く見られ、特に手水屋形にある子授けうさぎ像は参拝者の人気を集めている。
京都市』 (駒札より)