切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

恭仁神社・鴬瀧寺 京都府木津川市・・・のどかな地域

2020-01-15 23:43:55 | 撮影


 木津川市にある恭仁神社と鴬瀧寺に行く。
 木津川沿いのこの辺りはかつて、短期間恭仁京が建設された辺りとなる。今では発掘調査によってその一部が出ている。全体像についてはあまりよくわかっていないようだ。近くの京都府立山城郷土資料館には、その発掘された遺跡の写真や調査記録、出土品などが展示されている。訪れた神社とお寺はその恭仁宮跡から少し離れるが、当時の恭仁京との関わりは多分ないのではないかと思われる。

恭仁神社



 恭仁神社は比較的最近につけられた名称であり、かつては天神社と称されていた。つまり菅原道真を祀る神社として信仰を集めてきたが、昭和の時代に恭仁宮跡にあったとされる御霊神社と合祀されて、今の恭仁神社という名前になったとのことだ。実際境内には多くの石灯籠などが建てられているがそのほとんどが「天満宮」「御霊神社」などと掘られていた。
 沿革は下の駒札通り。その文ではかなり新しいものだと感じるが、実際には相当の歴史を持っているものと考えられる。おそらく菅原道真が平安時代、太宰府へ送られて亡くなって以降その死を弔うために天満宮社として建てられたのではないかと思える。長い年月を経て本殿等、傷んだりし現在の本殿は下の駒札にある通り、江戸末期に奈良の方から移築されたものだということだ。
 長い参道を進んで境内に入ると山の麓の少し高まったところにあるので、また森林に囲まれており、鬱蒼とした感じがする。正面鳥居から拝殿、そしてその奥の本殿。そして左右に仮屋が設けられている。特に誰も来ておらず、非常に静かな落ち着いた雰囲気だ。

『恭仁神社
沿革
 もともと管原道真公を祭った村社天滿宮で本殿は、文久三年(一八六三年)に奈良春日若宮の社殿を移築Lたもの である。
 昭和四十年に、現在の恭仁京あとに鎮座Lていた御霊神社と合併L神社名を恭仁神社と改められた。
 祭神は、御霊神社から遷座された 崇動天皇及び藤原太夫人ともともと天滿宮に鎮座の管原道真公の三神である。
 当社の特徵は、長い参道の正面に舞殿とその左右に仮屋を有L、その奥に割拝殿と本殿を配するという南山城地域特有の社殿配置をなしている。
 現在も、秋祭りには仮屋において宮座が 開かれ にぎわいをみせている。昔から伝わる お祓いに 六三の 祓いがある。』
  (駒札より)
           


鴬瀧寺



 続いて神社のすぐ近くにある鴬瀧寺へ行く。
 と言っても車を置いたまま徒歩でもすぐだ。お寺の名前の看板みたいなものが出ていたのでそちらへ向かって山の方に入る。すぐに周りは山の斜面で、田畑が広がるのどかな地域。お寺の中に入ると、まるで農家のように建っているのが鴬瀧寺だ。
 残念ながらいろんな資料を調べてもこのお寺のことについては何一つ分からなかった特にお寺の敷地は境内が塀で囲まれているようなこともなく、すべてをオープンな形になっている。石地蔵が小さな祠に安置されていたり、小さな石物があちこちにあったり、本堂もあまりそれらしく見えないが、いったいどのようなお寺だったんだろう。まあ石物などの古さから見て、そこそこの年数は経っているとは思うが、とにかくこれ以上語れるものがないの、で画像を見ていただくということでおしまいにしておく。

       
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西方寺 京都府相楽郡精華町菱田・・・近鉄線が真横

2020-01-15 16:00:25 | 撮影


 この日は精華町にある神社とお寺に行った。神社の方はすでにこのブログで紹介済みなのでお寺だけ紹介しておく。
 西方寺、精華町内には同名のお寺が2箇所あるが、こちらは菱田地区のもので、近鉄京都線狛田駅から北へ約200mのところ。近鉄の線路沿いにあるので、ひっきりなしに電車の往来があり結構賑やかだ。この西方寺に関する資料は色々と見てみたが、ほとんど皆無。わずかにあった精華町の資料だけで紹介しておく。
 開基は江戸時代直前の安土桃山時代。しかし江戸中期に焼失しており、再建される。この辺りには当時多くの寺院があったようで、それぞれ様々な事情で廃寺となっており、それらのお寺の版木がこの西方寺に保存されてると言う。
 本尊は阿弥陀如来坐像。これは室町時代のものということで、普通に考えれば少なくとも精華町の指定文化財であってもよさそうなものだ。この日は誰もいなくて、特に公開日というわけでもなかったので、本尊を見ることはできなかった。
 また同じ室町時代に制作されたと言われる十一面観音像があるが、これは廃寺となった長福寺の本尊だったと伝えられている。

 お寺の規模としては小さいものだが、立派な門構え。境内に入るとあちこちによく整備された草木が配置されており、宝篋印塔や五輪塔等、なかなか年代ものだと思われるが安置されている。梵鐘は自分の目には比較的新しいものに見えた。同様に本堂も立派な構えではあるが、再建されてから比較的新しいように見える。全体としてはごく普通のお寺らしいお寺といった印象だ。まぁしかし、このようなお寺にも思わのお宝があったりするもので、本尊などは是非見てみたいと思う。

       
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