![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/9f/c9a9efef7681bfb2d017e3026a279263.jpg)
木津川市にある恭仁神社と鴬瀧寺に行く。
木津川沿いのこの辺りはかつて、短期間恭仁京が建設された辺りとなる。今では発掘調査によってその一部が出ている。全体像についてはあまりよくわかっていないようだ。近くの京都府立山城郷土資料館には、その発掘された遺跡の写真や調査記録、出土品などが展示されている。訪れた神社とお寺はその恭仁宮跡から少し離れるが、当時の恭仁京との関わりは多分ないのではないかと思われる。
恭仁神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b3/bf761b52fd542cffc68bdaf873490f6c.jpg)
恭仁神社は比較的最近につけられた名称であり、かつては天神社と称されていた。つまり菅原道真を祀る神社として信仰を集めてきたが、昭和の時代に恭仁宮跡にあったとされる御霊神社と合祀されて、今の恭仁神社という名前になったとのことだ。実際境内には多くの石灯籠などが建てられているがそのほとんどが「天満宮」「御霊神社」などと掘られていた。
沿革は下の駒札通り。その文ではかなり新しいものだと感じるが、実際には相当の歴史を持っているものと考えられる。おそらく菅原道真が平安時代、太宰府へ送られて亡くなって以降その死を弔うために天満宮社として建てられたのではないかと思える。長い年月を経て本殿等、傷んだりし現在の本殿は下の駒札にある通り、江戸末期に奈良の方から移築されたものだということだ。
長い参道を進んで境内に入ると山の麓の少し高まったところにあるので、また森林に囲まれており、鬱蒼とした感じがする。正面鳥居から拝殿、そしてその奥の本殿。そして左右に仮屋が設けられている。特に誰も来ておらず、非常に静かな落ち着いた雰囲気だ。
『恭仁神社
沿革
もともと管原道真公を祭った村社天滿宮で本殿は、文久三年(一八六三年)に奈良春日若宮の社殿を移築Lたもの である。
昭和四十年に、現在の恭仁京あとに鎮座Lていた御霊神社と合併L神社名を恭仁神社と改められた。
祭神は、御霊神社から遷座された 崇動天皇及び藤原太夫人ともともと天滿宮に鎮座の管原道真公の三神である。
当社の特徵は、長い参道の正面に舞殿とその左右に仮屋を有L、その奥に割拝殿と本殿を配するという南山城地域特有の社殿配置をなしている。
現在も、秋祭りには仮屋において宮座が 開かれ にぎわいをみせている。昔から伝わる お祓いに 六三の 祓いがある。』
(駒札より)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/65/9a0402c0f3060ad18d51fb0f2ff5a8e9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/1c/dc4d8432e477566d11f548ffa0f59078.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/25/9458849c68f0ccdcd30e9980e8ff23f0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/38/5bc6a3ff969441abd65f7ecf67dab6d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/e1/0204e1ef5069a638af7e116e1c645ca6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/c3/506be4e4d465d6579a515c2e016af93c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/60/a173753fd6c2daf811be9a13554a529c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/ce/57d2a68967737dc0a3cdbf38017f0d53.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/9d/3033f2251e9f9133c4c9b69d110f9546.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/fa/bef374efbaf1c49c739a6f76efbe9db8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/ed/69503d76a0b39eace6727cada0a662ca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/a8/af25167f1644154d899c53f6f0b81f6c.jpg)
鴬瀧寺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/28/b9f298da5b7787a7275936a9195f924c.jpg)
続いて神社のすぐ近くにある鴬瀧寺へ行く。
と言っても車を置いたまま徒歩でもすぐだ。お寺の名前の看板みたいなものが出ていたのでそちらへ向かって山の方に入る。すぐに周りは山の斜面で、田畑が広がるのどかな地域。お寺の中に入ると、まるで農家のように建っているのが鴬瀧寺だ。
残念ながらいろんな資料を調べてもこのお寺のことについては何一つ分からなかった特にお寺の敷地は境内が塀で囲まれているようなこともなく、すべてをオープンな形になっている。石地蔵が小さな祠に安置されていたり、小さな石物があちこちにあったり、本堂もあまりそれらしく見えないが、いったいどのようなお寺だったんだろう。まあ石物などの古さから見て、そこそこの年数は経っているとは思うが、とにかくこれ以上語れるものがないの、で画像を見ていただくということでおしまいにしておく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c1/88bb390a2e0298b6496d954d7f459957.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/cd/289f803cadc1c45e8852c49d1a934157.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/90/1f5c6c687aef0a029eccfaf60841f56d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/2b/23723d92ae06acbe863de4c33cf2bf95.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f2/6081e0501e207746dd26de2e1e05bbb8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/31/718dbab18edd65672a89d911f826d050.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/76/a989759df8e43abe35a3efc57df4ecce.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/8b/c3537f8d1f46b8d8c8d8b9590fcd5016.jpg)